―第八話―

初めて来た人へ
 七月下旬。その季節には似合わないほどの涼しい風が、暗闇に光る焚き火を揺らした。
「結構涼しいな」
 ルキアスはニーナの方に目をやる。少し寒そうだ。
「寒くはないか?」
「ううん。平気」
 そう言うと思っていたのか、ルキアスは構わず薪をくべた。
「この辺は川が流れてるせいか、結構夜は冷え込む。無理すると、風邪をひくぞ」
「ありがと。でも大丈夫。ここは暖かいから」
 テントの近くで、ルキアスとニーナは夕食の準備を、リヴァルとカルノスは、そこより少し離れたところで組み手をやっていた。無論、はたから見れば喧嘩その物なのだが、本人達が組み手と言い張っているのだから、あれは彼等流の組み手なのだろう。
「まったく。進歩の無い奴等だ。見てるこっちが恥ずかしくなってくる」
「でも、あんなに楽しそうなカルノスを見たのは初めて」
「……あれで楽しんでるのか?」
「感情表現が下手なだけよ。本物の姉弟じゃ無いけど、一緒に暮らしてて何となく分かってきた」
「……ま、あの二人の場合、お互いが遊び相手ってとこか」
「退屈って言葉を知らなそう」
「確かに……さて、そろそろ良いかな」
 焚き火の上につるされている小さな鍋の蓋を取る。食欲をそそられるような臭いが辺りに広まる。
「お〜い、リヴァル! 餌だぞ餌!」
「人を獣みたいに言うな!」
「なんだ。違うのか?」
「ったりめ〜だ!!」
 リヴァルは、すたすたとテントに戻ると、奪い取るように、スープの入った皿をルキアスの手から取った。
「これ、姉ちゃんが?」
「ルキアスと一緒に作ったの。おいしい?」
 少し照れたように、無言で頷くカルノス。
「ぶは〜。子供だなぁ、ほんと。なに恥ずかしがってんだよ」
 リヴァルは、カルノスを挑発するように言った。
「人の事言えた分際か? むしろ同レベルだろ?」
「なんか言ったか? ルキアス」
「別に」
 ルキアスの澄ました態度に、少し怒りを覚えるリヴァル。
 やけになったのかスプーンを使わず、皿に直接口をつけ、残りのスープを飲み干した。
「ったく、汚いな。獣」
「獣言うな!」
「分かったよ。少し静かにしててくれ。獣」
「おいっ!」
「ルキアスの言う通りだ。少し黙れ、獣」
「こんのクソガキ!」
「もう、カルノスもいい加減にしなさい。獣を怒らすと食べられちゃうよ」
「……んなニーナまで……」
 たちまち、辺りに三人の笑い声が響いた。
 それを見ていると、自分がこんなにもいらついているのがバカらしくなってきた。
 そしてリヴァルも、苦笑を浮かべた。


「で、結局この後どうすんの?」
 夕食を終え、片付けもし終えた後、少しみんなが落ち着いたのを見計らいリヴァルがたずねた。
「精霊に会うったって、どこで会えばいいんだ?」
「とりあえず、この大陸に存在している精霊は四人。風の精霊シルフ・水の精霊アクエリアス・地の精霊アース・火の精霊イフリート。ここからなら、直線距離で言えばアクエリアスのいるホス湖が近いんだが、川を上流に進もうとしても、途中で滝にぶつかってしまうから、『風の渓谷』と呼ばれる谷をぬけていくしかない」
 一通りの説明を終えたルキアスは、手に持っているコーヒーの入ったカップを、口に近づけた。
「……つまり、これから風の渓谷を目指すって事でいいのか?」
 カルノスは、自信無さげに言った。
「そうだな。そう言う事になる」
「確か、風の渓谷にはシルフが居るって聞いた事があるわ」
「つ〜ことは、風の渓谷でシルフに会った後、ホス湖でアクエリアスに会うって事だな」
「うまく行けばの話だがな」
 リヴァルの言葉に、ルキアスは少し冷めたように答える。
「精霊はめったな事が無い限り、人間の前に姿を見せない。会える会えないは時の運だ」
 辺りは一気に暗いムードに。しかし。
「でも、やるしかねぇよ。そうだろ?」
 リヴァルはルキアスに向かって言った。
「……そうだな。こんな所で弱気になっていては、先が思いやられる。すまない」
「お前から『すまない』なんて言葉が出てくるとは思わなかった」
「どういう意味だ」
「さ〜ね。俺はもう寝る」
「顔ぐらい洗え」
「分かってるよ」
 リヴァルはタオルを持って、近くの川へと向かう。
 川の水は思ったより冷たく、逆に眠気が覚めてしまうようだった。
 波打つ水面には、自分の顔と月、そして無数の星が写っていた。
 ――やるしか……ないんだ。
 さっき自分で言った事を、もう一度頭の中で復唱する。
 後戻りはできない。自分には、戻れる――帰れる場所が無いから。
 だが、だからこそ進む事ができる。帰れる場所がある時よりも、踏み出す一歩を、躊躇無く強くできる。
 リヴァルは立ち上がると、握りこぶしをつくり、呟いた。
「……上等だ」


 翌日リヴァル達は、早速シルフに会う為に、風の渓谷へと歩を進めた。
 距離にして約三十キロ。
 テントを張っていた近くの川を渡り、北西の方向に歩くと、ルーミナル大陸を二分する大きな山脈が見えてくる。
 大陸横断山脈と呼ばれるその山脈の一角に、風の渓谷はある。
 名前の由来は、その深く入り組んだ地形によって、そこででしか観測できないほどの強風が吹くためだ。
 つまり、風の精霊シルフが居ると言うのは、後からつけたこじつけに過ぎない。
 でも今の彼等には、それ以外の手掛かりが無い。
 低い可能性だが零ではない。ほんの少しの可能性に、かけるしかないのだ。
 もっとも、実際風の渓谷で観測される風源霊の源霊圧は、他の地域のそれを大きく上回っている。
 その結果が何を言いたがっているのかは別として、やはり可能性は零ではない。
 山脈を三十分ほど登ると、一枚の立て札が見えて来た。
 あまり新しい物ではない。だが、そこに削られている文字を読む事は容易だった。
「『この先風の渓谷。落石注意!』……だってさ」
 リヴァルは読み上げると、ルキアスの方を向いた。
 いつも真剣な眼差しをしているルキアスだが、その瞬間は、今まで以上に真剣だった。
「どうしたの? ルキアス」
 心配して、ニーナが声を掛ける。
「あ、いや。何でも無い……ただ」
「ただ?」
「やっぱここに居るんだな? シルフが」
 ニーナとルキアスに割り込んで、リヴァルが言った。
 それに黙って頷くルキアス。
 小さな賭けにかけた甲斐があったというもの。
 四人はさらに奥へと足を運んだ。


 進むにつれ強さを増す風によって、四人は悪戦苦闘を強いられていた。
 渓谷内に入ると、目を開けられないほどの強風だった。
 時折弱くなるものの、移動が苦なのには変わりない。
「んだよこれ。前がわかんねぇよ」
 と、愚痴をこぼすリヴァル。
「なんとかなんねぇか? ルキアス」
「今考えてる。少し待て」
 基本的に、風や雨、地震や雷といった自然現象は、源霊によって引き起こされていると考えるのが一般的だ。
 もちろん、この強風も例外ではない。
 源霊の行動を、『感じる』段階で無効化するには、方法は一つしかない。
 ルキアスは目を瞑ったまま、詠唱を開始した。
 その詠唱が終わった時だ。四人は全く、強風を感じなくなった。
「……どうなってんだ?」
 カルノスは言った。
「僕達の体の周りに、風源霊を集めて作った膜をはった。これで、簡単にではあるが僕達は風源霊と一体化した事になる。この程度の強風なら、なんとか凌げるはずだ」
 そう言ってルキアスは歩き出す。
 ルキアスのおかげで、さっきとは比にならないほど動きやすくなった。
 目的の場所と見られる所も、その数時間後には見つける事が出来た。
 他の場所よりは足場が安定しており、開けた空間だった。
 岩が積み重なって出来た祭壇のような物がある。
 ルキアスはそっと触れてみる。
「間違いない。ここだ」
「どうすんだ? この後は」
「とりあえず、詠唱語で呼びかけてみる」
 リヴァルの問いにルキアスはそう答えた。
「姉ちゃん、詠唱語って何?」
「源霊を操る為に使う言葉の事よ。詠唱の時に使われるからそう呼ばれてるの」
「源霊魔術の権威であるヨハン=フレール氏が見つけた言葉で、元々は源霊や精霊同士が使う言葉だ」
 ニーナの言葉に付け加えるようにルキアスは言う。
「なるほど。って事はつまり、源霊魔術は源霊との会話って事か?」
「基本的にはな」
 さっそくルキアスは詠唱語で、そこに居るだろう風の精霊・シルフに語り始める。
 その刹那だった。
「まいったな。詠唱語ベラベラじゃん」
 幼い子供の声が辺りに響いたかと思うと、祭壇が淡く光り出した。
 その光の中から現れたのは、まだ幼い少年だった。
「ようこそ風の渓谷へ。って言っても、あまり歓迎されて嬉しく思う所じゃないけどね」
 そう言って微笑した。
「あなたが風の精霊・シルフ――」
 ルキアスが、恐る恐る聞いてみる。が、突然それを遮ってシルフが言った。
「あなたなんて使わないでよ。見た目で言えば僕のほうがまだ子供なんだし。『お前』とか、『シルフ』って呼び捨てでも良いよ」
 とは言っても、彼等精霊が生まれたのは世界が生まれたのとほぼ同時。
 見た目は子供でも、歳は間違いなく数千歳を超える。
 そうすぐ呼び捨てにできるほどの存在ではない。
「で、わざわざここに来てなんのようなの?」
 思い出した様にシルフは言った。
「ああ。実は――」
 ルキアスはこれまでの経緯を簡単に話す。
「ふ〜ん。大変なんだね、色々と」
 他人事のように彼は言う。
 ルキアスは、協力してくれるよう頼む。
 すると彼は、以外にもすんなりとOKをくれた。
「僕も人間は好きだし、好きな人等が困ってるのを、見て見ぬフリなんて絶対出来ないからね。僕なんかで良ければ、協力してあげる」
「本当にすまない」
 最後にルキアスは、申し訳無さそうにそう言った。
 残り三人も、安堵の溜め息をつく。
「でもその前に、あいつ等何とかした方が良いんじゃない?」
 突然シルフは、リヴァルたちの後方を指差した。
 まさかと思い振り向く。
 案の定、そこに居たのは、ブロルの紋章が記された鎧を纏っている兵士たちだった。
 ある程度の予想はしていたが、いつのまにか包囲されていた事に、四人とも驚きを隠せないで居た。
 その集団から、よりリヴァルたちの近くに立つ男が、静かに口を開く。
「道案内ご苦労だった。感謝するよ」
「追跡か? 良い趣味とは言えないな。感謝される覚えもない」
「生意気な口をきく」
 そう、鼻であしらった。
 その間に、リヴァルは剣を抜いた。
 リヴァルとカルノスは、ニーナの前に、そしてルキアスの隣につくようにして構えた。
「……話して分かる様子じゃ……無いな」
 その状況を見て、男は言う。
「へぇ。あのカレイサとか言う奴よりは賢そうじゃん」
 挑発しているのかどうかは定かではないが、リヴァルは言った。
「……何故ここまで来れた。いくら鎧を纏っているとはいえ、この強風は凌ぎきれないはず……」
 もっともな疑問を、ルキアスは男にぶつける。
「源霊魔術師は、何も君だけじゃないって事だ、ルキアス」
 すると男は、短く詠唱した。
 宙に立てた中指の先に、小さな炎がおこった。
「……それでまた、人の技術を盗み見したのか。つくづく悪趣味な奴だな」
「人の技を盗み取って身につける事は、悪趣味でもましてや卑怯でもない。立派な作戦とも言える」
 男は再び、鼻であしらう。
「ざっと数えて二十。どうするルキアス」
 指揮を全てルキアスに任せようとするリヴァル。だが男は、それを聞き、笑った。
「心配いらん。私の部下程度の実力では、到底務まらない相手だと言う事は委細招致。あいつ等は貴様等を逃がさない為の壁だ。私が相手をしよう」
 やけに都合の良い条件だとは思ったが、好都合といえば好都合だった。
 リヴァル達は、しばらくの間かたまる。そして沈黙。
「俺が行く」
 その沈黙を打ち破ったのはカルノスだった。
「な、何言ってるのカルノス!」
 ニーナは血相を変える。
「いつもの組み手とは訳が違うのよ! 聞いてる!?」
 必死だった。彼を死なせない為に。
 ルキアスも、内心はニーナと同じだった。
 だが、彼がこの旅に加わった時から、それを覚悟で彼自身旅をしている事を良く分かっている。
 だからあえて何も言わなかった。むしろ勝てそうな予感すらしていた。
「勝てるのか?」
 その中で、唯一リヴァルだけは、内心も表情も落ち着いていた。
「試したいんだ。自分がどれだけ強いのか」
「そうか。なら何も言わねぇ。心置きなく戦って来い」
 そう言ってカルノスの後押しをする。
「リヴァル!」
 ニーナの、その怒りにも似たその矛先は、一気にリヴァルに向けられた。
「大丈夫だって。あいつの強さは、何より俺が良く知ってる」
 毎日のように喧嘩まがいの組み手を行っていたのは、他でもないリヴァル自身。
 リヴァルにもルキアス同様、勝てそうな気がしていた。
「貴様等なめているのか?」
 男はカルノスを見て言った。
「こんなガキごときに相手が務まるほど、俺は甘くは無いぞ」
 男の表情は真剣だった。
「ガキガキうるせぇよ、おっさん」
 突然カルノスは言う。
「強い弱いは戦ってみなきゃわかんねぇだろ?」
 明らかに挑発気味だった。
「それとも逃げるのか? このガキ相手に」
「……なめられたもんだな」
 フゥと息を吐き、続けた。
「お前、名前は?」
「カルノスだ。おっさんは?」
「十一部隊隊長・ディギル」
 そう言うと、ディギルは手甲から仕込みナイフの刃を出した。
「容赦無く行くぞ、カルノス!」
 ディギルは走り出した。

 続く

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