―第七話―

初めて来た人へ
 翌日、二人はナータルの家へ向かった。
 なぜ呼ばれたのか解らなかったが、今後の事で何か言われる事があるのだろうと思い、昼過ぎに訪れた。
 カルーナの街並みは、一昔前のヨーロッパの都市を思い出させる石造りの街並みだった。
 街は活気にあふれ、露店には旬の果物などが並ぶ。
 そこを抜けたちょうど突き当たりに、ナータルの家はある。
 呼び鈴を鳴らすと、女性の声が聞こえた。
 ルキアスが、ナータルに呼ばれて来たことを説明すると、どうぞと中へ入れてくれた。
 居間へと案内してくれている女性の、その腰より少し上まで伸びている長い栗色の髪が、歩くたびに揺れる。
 居間のドアを開けると、私服姿のナータルが出向いてくれた。
「よく来てくれた。ここに座ってくれ」
 言われるがままソファーに座ると、さっきの女性が、紅茶の入ったカップを三つ、リヴァル達の前に置いた。
「それで、なんで僕達はここに呼ばれたんですか?」
 ルキアスは早速本題に入る。
「ああ。実は君達にお願いがある」
「お願い?」
 ルキアスは聞き返す。
「カルノス! 下りて来なさい!」
 誰かが階段を下りる足音。
 居間に入ってきたのは、十三、四歳の少年だった。
「……彼は?」
「私の息子のカルノスだ」
 そう言って、カルノスと呼ばれた少年の頭を、ポンと叩く。
「と言っても、実の息子ではない。捨てられていたのを、保護したんだ」
 リヴァルたちは、少々驚いた。
 似たような話はよく耳にするが、そんな目にあった人間本人を、この目で見るのは初めてだった。
「どの道、人間からはこの子は生まれてこない」
 ナータルのそのさり気ない一言は、ルキアスをさっき以上に驚かせた。
「どういう意味ですか?」
 ルキアスが問う。
 するとナータルは、髪の毛で隠れてしまっている、カルノスの体の一部を見せた。
 耳だ。彼の耳は、リヴァルたちのそれとは異なり、先が尖った形をしている。
「まさか……エルフ?」
 ルキアスの発言に、黙って頷くナータル。
 ただリヴァルのみ、何がなにやら分からん、と言った表情を見せている。
「なんだ? エルフって」
 なんのためらいも無くリヴァルは質問する。
「エルフは、ロミネト文明時代に存在していた、もう一つの人種だ」
 ルキアスは、エルフに関する最低限の知識を、簡単に教える。それよりも聞きたい事があったからだ。
「しかし、ロミネト文明末期の末期大戦の際、多大な被害を受けて後に絶滅したはずでは……」
「それはあくまで可能性。証拠が無い以上、絶滅したとはいいきれん。現にここに、エルフが生きているんだ。疑いようがあるまい」
 ナータルの言ってる事はもっともだった。
 なにも言えなくなり、ルキアスは黙ってしまう。
「カルノスはエルフゆえ、世界を知らない」
 ナータルの表情が曇る。安易な気持ちで聞ける話ではない事を、二人は悟った。
「幼い頃から、エルフ故に人種差別にあい、それっきり家にこもりっ放しなんだ。ちょうどいい機会だから、一緒に連れて行ってもらいたい」
 だがそこで、二つの疑問が残る。
 二人の旅は、常に死と隣り合わせ。彼に、その旅の中で生き残る術があるのか。
「心配ない。こもりっ放しと言っても、何もしていない訳じゃない。日々体術の訓練をし続けている。少しは力になるはずだ」
 自身ありげに言うナータル。
 なるほど、どうりで同年代の子より、体つきがいいはずだ。
 基本的にエルフは、人間より寿命が短い。その分、幼い頃から一人前として生きていけるよう、十代に入るとすぐ自然に体つきが良くなると記録に残っていた。
 彼とて例外ではないようだ。まだ十代前半にも関わらず、小柄ではあるが、十七歳で尚且つ猟師として鍛えられたリヴァルといい勝負だ。
「しかし外に出れば、また色々と言われるんじゃ?」
 二つ目の疑問を、ルキアスはナータルに問いかける。
 それが原因で、カルノスは家にこもるようになってしまったんだ。
「まぁそれを覚悟で、この子自身が行きたいと言うんだ」
「……なら連れてこうぜ」
「なっ!?」
 あまりに淡々と言うリヴァルに、ルキアスは驚きの声をあげる。
「こいつが行きたいって言うなら連れてけばいいじゃん。足手まといにならなきゃ俺は問題ねぇぞ」
「ははは。決まりだな」
 ナータルはけらけら笑いながら言った。
「と言うわけだ。いいな、カルノス」
 再び彼の頭をポンと叩く。
「……こいつ等が足手まといにならなければいい」
 何気無く言ったカルノスの言葉に、一番反応したのはリヴァルだった。
「なんだと?」
「なんだよ」
「おいリヴァル。落ち着けって」
 ルキアスがリヴァルを宥めようとするが、彼の怒りはおさまらない。
 カルノスに対するリヴァルの第一印象は、生意気なクソガキ。
 先が思いやられるよと、ルキアスは溜め息をついた。
「それより、姉ちゃんも行くんだろ?」
「え? 私?」
 台所にいたさっきの女性が、居間へやって来た。
「そう言えば紹介が遅れたな。彼女は私の娘のニーナだ」
「初めまして。ニーナ=ボスティーノです」
 ニーナの挨拶に、リヴァルとルキアスは少し堅くなって返事をする。
「そんなに堅くなるな。ニーナは十七歳。リヴァル君と同い年だ」
「いぃ!? マジで!?」
 リヴァルは身を乗り出した。
「驚いた。もっと年上かと思った」
 ルキアスもリヴァルほどではないが、その事実に驚いているようだ。
「で、姉ちゃんはどうすんの?」
「でも、私が行っても邪魔なだけじゃ……」
「姉ちゃん、ヒーリングが使えるじゃん」
「ヒーリング? なにそれ?」
 それは、リヴァルが初めて耳にする単語だった。
「治癒能力の事だ。気功とも言うな」
「源霊魔術とは違うのか?」
「根本的には違うのだが……周りがそう勘違いしてるんだ」
「へ〜。便利だなそれ。全然邪魔じゃねぇよ」
 ルキアスの説明を聞き、リヴァルは何故だか嬉しくなっていた。
 普段から狩りをしているリヴァルは、『怪我をする』と言う事の重大さが良く分かっていた。
 ほんのささいなキズでも、治療を怠れば、へたすれば命にまで関わる事だってある。
 ましてや、いざと言う時に薬などが不足していると、やはり危険な事に変わりはない。
 そう考えると、ヒーリングを使える彼女の存在は、常に死と隣り合わせのこの旅には、欠かすことのない存在となるだろう。
「姉ちゃんが危険な目にあったら俺が守る。だからいいだろ? 行こうよ」
「でも……」
 カルノスのセリフはどうでも良いとして、ニーナ自身、やはり恐怖心がある様だ。
 無理も無い。いきなりの話なうえ、死ぬかもしれない旅。
「……分かったわ。カルノスがそうまで言うなら」
 あっけらかんとニーナは言う。
「私のヒーリングがみんなの役に立つなら、私は構わないわ」
 そんな理由で良いのかと、ルキアスは問おうとした。が、彼女が自分で見出した答えと決断に、今更何を言っても遅いと思ったのか、口を閉ざした。
「ニーナも行くのか。暫く寂しくなるな」
 ナータルは笑いながら言った。
 だが、その言葉に込められた真の意味を感じ取れたのは、カルノスとニーナだけだった。
「……だが、ここで私がそんな顔をしていては、本当はいけないのかもしれないな」
 ナータルは、すっと顔を上げ、ルキアス達の方を向いた。
「この子達を……よろしく頼む」
 彼のまなざしに、悲しみのような物はなかった。
「はい」


 翌日の朝、ナータル氏の家に泊めてもらった二人は、カルノス・ニーナと共に、王都カルーナを後にしようとしていた。
 だが、町の出入り口で、ルキアスが知人に呼び止められ、別れの言葉を受けていた。
「いいよなぁ……ルキアスやニーナは」
 今まで見せた事が無いような笑顔で知人と話しているルキアスを見て、リヴァルはふと呟いた。
「なんで?」
 ニーナは問う。
「だって、帰れる場所があるからさ」
「……リヴァルには……無いの?」
 それは、リヴァルにとっては辛い記憶。
 リヴァルは、これまでの事を全て話した。もちろん、その過程で島を追い出された事も。
「そうだったの」
「でも後悔はしてねぇ。俺ももっと世界を見てぇって思ってたし。それに、あいつほっとくと、どうなるか分かんねぇしな。一応ボディーガードだし」
「リヴァルって強いね。いろんな意味で」
「そうかな」
「……大丈夫。無いなら作れば良いじゃない。自分の帰る場所を」
 一陣の風が、リヴァルの頬を……ニーナの髪を撫でた。
「……だな。簡単な事じゃないかもしれないけど……」
 ニーナの言葉で、少しだけ、自分の心が和んだのが分かった。
 が、突然背中に激痛が走る。
「姉ちゃんに何してんだ!!」
 犯人はカルノスだった。なんの遠慮も無く、リヴァルに飛び蹴りを食らわした。
「なにもしてねぇよ!! てめぇこそ姉ちゃん姉ちゃんって……このシスコン野郎!!」
 昨日の一件の分も含め、二人は殴り合いをし始める。
 そこに、知人の輪から離れてきたルキアスが、三人に合流した。
「何をやってるんだ?」
 ルキアスはニーナに聞く。
「遊んでるのよ。きっと」
「……まったく。まだまだ子供だな」
 けど不思議と、嫌な気はしなかった。
「ほら。さっさと行くぞ」
「くっそ〜。しかたねぇ。この勝負はお預けだ。次こそ決着をつける」
 とリヴァル。
「望むところだ!」
 とカルノス。
「ったく、それでも十七か。少しは大人になれ」
 ルキアスはリヴァルに対して口を尖らせた。
「カルノスもほどほどにしときなさいよ」
 ニーナはやさしく言う。
 帰る場所があるから、人は、後ろを振り向かずに前に進める。
 彼等は、目の前に広がる広い平野を、後ろを振り返らずに歩いた。
 彼等の旅は、始まったばかりだ。

 続く

第六話へ

目次へ

第八話へ