―第十話―

初めて来た人へ
 風の渓谷をぬけ、ルーミナル大陸の西側に出る。
 一行は一度、山のふもとにテントを張り休む事にした。
 その間にカルノスの治療はあらかた終わり、またリヴァルとのケンカまがいの組み手を行えるほどになった。
 その事にルキアスは驚き、同時に感心した。
 夕食をとり終えた後、シルフから精霊側の状況を話された。
 彼等も、ローケス大陸の異常気象がいつまで経っても治まらない事を不思議に思い、何度かその地に出向いた事があるそうだ。
 その時各源霊に呼びかけてみたのだが、どうやら何かの力によって操られているらしい。
 だがそれは、詠唱語による物ではない。
 もっと大きな何か。
 その証拠に、精霊たちの詠唱語になんの反応も示さない。
 基本的に源霊は、精霊の指示を最優先する。
 つまり、人間が詠唱語で源霊を操っても、精霊が別の詠唱を行えば、人間の指示は無効になる、という事だ。
 その精霊をも無視するほどの力。今の所どんな物なのか見当がつかないが、それだけの力を――精霊を圧倒するほどの強力な力を、敵は所持している。
 それだけは確かだ。
 いったん話はそこで途切れ、小休止した後、今度は今後の事を話し出した。
 次に向かうのはホス湖。
 大陸横断山脈の頂上にあるその湖は、広さ約三二〇平方キロメートル。
 ルーミナル大陸の水瓶として、長年にわたり貢献していた。
 シルフが言うには、確かにそこに、水の精霊・アクエリアスが居るらしい。
 ホス湖までは大陸西側を流れる川を上流に向かって歩けば、数時間で着くそうだ。
 東側と違い、西側は山の斜面がなだらかで登りやすい。
 ルキアスの出した提案を反対する者は一人も居なかった。
「さて」
 ルキアスはそう話を一度止め、続ける。
「明日は早い。もう寝ようか」


 今リヴァル達がのぼっている大陸横断山脈には、いくつかの火山が存在する。
 ほとんどが死火山・休火山だが、ギネイ山という山だけは活火山だった。
 これから行くホス湖は所謂カルデラ湖だ。
 まだこの地に人類やエルフが誕生する何千年も前に大噴火を起こし、カルデラとなった。
 人類が誕生した頃には既に水がたまり、湖になっていたと記録には残されている。
 それだけ古く大きいな湖だから精霊が住み着いたと、ヨハン=フレールは説いている。
 ただそれ以外の理由で精霊が住み着いた事は十分考えられる湖だった。
「うわ〜……綺麗な湖……」
 ニーナは感嘆の溜め息を漏らす。
 頂上に着いた時の第一声だ。
 淡い霧で覆われた山頂に波一つ立っていない穏やかな湖。神秘的だった。
「精霊が居るのも分かる気がするよ、マジで」
 リヴァルはそう言いながら、湖の水に手を触れる。
「冷てッ」
 湖の水は、まるで底が見えるのではないかと思えるぐらい、透明度が高かった。
 もちろん実際に底が見えるわけではない。
 その暗い水中を見ていると、まるで吸い込まれてしまいそうな、ある種の恐怖感が掻き立てられて来る。
「ところでシルフ」
 ルキアスは、自分の周りを飛んでいるシルフを呼ぶ。
「ここのどこにいるんだ? アクエリアスは」
「特に決まってないけど……なんなら呼んで来てあげるよ」
「すまない。頼む」
 ルキアスがそう言うと、シルフは湖の向こうへと消えていった。
「……寒い」
 カルノスは腕をさすりながら言った。
「一応ここは山頂だからな。ふもとと比べたら気温は低くなる」
 だがカルノスは、黙って首を横に振った。
「それだけじゃねぇ」
 そう言って湖に目をやる。
「あん中になんかいる」
 ルキアスもカルノスに合わせて目をやるが、何も感じない。
 寒いのは確かだが、単に気温が低いために感じる物だけだった。
 恐らくカルノスだから……エルフだから人と比べて、そう言った第六感のような感覚が冴えているのだろう。
「リヴァルはどうだ?」
「え? ああ、なんか居るってのは確かだな」
 ルキアスは「やっぱり」と呟く。
「なんでやっぱりなんだよ?」
 リヴァルは少し腹立たしそうに言い、ルキアスを見た。
 その時の彼は、微笑を浮かべていた。
「え? いや別に」
 そのルキアスの笑みに、リヴァルはなぜだか腹が立った。
 暫く岸でシルフの帰りを待っていると、湖の向こうから声が聞こえた。
「お、帰ってきた」
 リヴァルがその方を見ると、手を振っているシルフが見えた。
「おまたせ」
 岸に戻ってきたシルフの横には、見知らぬ男――もとい精霊が居た。
 外見は好青年といった所だろうか。優しい目をしていた。
 手には青い二股の槍を持っている。
「彼がアクエリアス?」
 ルキアスが聞くとシルフは頷いた。
「はじめまして、皆さん。僕がアクエリアスです」
 そう言ってペコッとお辞儀をする。
 外見だけでなく、性格も人の良さそうな精霊だった。
「大体の話はシルフから聞きました」
「なら話が早い。協力してくれないだろうか」
 ルキアスはすぐに交渉に出た。
「……すぐには返答しかねますね」
 予想外の言葉に、ルキアスは動揺する。
「ですが、僕の頼みを聞いてくれたなら、少し考えてあげましょう」
 意地悪そうな笑みを浮かべながらアクエリアスは言った。
「頼み?」
 聞き返したニーナの方を向き頷くと、彼は続けた。
「モンスターの影響のせいか、今この湖の生態系がメチャクチャになりかけているんです」
「つまりそのモンスターをどうにかしろと」
「はい」
 カルノスの言葉に彼は頷く。
「元々ここにモンスターは住み着いていなかったんです。ですが少し前に、ブロルの科学班が実験に訪れてそのまま帰っていってしまって」
 またブロルか。ルキアスはそう思うと、苛立ちが込みあがって来るのをおぼえた。
「けど何であんたが何とかしねぇんだ?」
 リヴァルはもっともな疑問をぶつける。
「僕の源霊魔術では効果が無いんですよ」
「効果が無い?」
 ルキアスが聞き返した次の瞬間、突然湖が音を立てて、爆発したように水しぶきを上げた。
 一同はいっせいに振り返る。
 湖から首を出していたのは、巨大な蛇のようなモンスターだった。
 鋭い目から放たれる殺気は凄まじかった。
 普段はそう言ったものを感じ取れないルキアスでも、十分に感じ取る事が出来た。
「彼がそうです」
 あくまでも冷静に、アクエリアスは言う。
「この湖の主と言っても過言ではない存在になりつつあります」
「あれを殺せば、俺らの旅に付き合ってくれるんだな?」
 リヴァルの問いに黙って頷くアクエリアス。
「OK。いっちょやってやるか」
 リヴァルが剣を抜くのと同時に、ルキアスがリヴァルの横に並ぶ。
「……お前大丈夫なのか?」
「無理でもやるしかないだろう」
 ルキアスの目に迷いは無かった。
「それに相手はブロルの作り出したモンスター。そのせいでここの生態系がダメになると聞いて、大人しくしていられるか」
 カルノスも参戦しようとしたが、寸前でニーナが止める。
 まだ彼は病み上がり。無理に戦わせると、以前よりもひどい怪我をしかねない。
 それがニーナには不安だった。
「カルノス。ここは僕とリヴァルに任せろ」
 ルキアスの言葉に、カルノスは少し大人しくなった。
 だが気を許すと、その隙に動き出しかねない。
 今回ばかりは、ニーナも必至だった。
 突然モンスターは雄たけびのような物を上げる。
 瞬間、その殺気が今までよりも強くなった事を、二人は体で感じ取った。
「来るな」
 ルキアスは杖をかざした。
「サポート頼むぞ! ルキアス!」

 続く

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