初めて来た人へ

―第二話―

 散らばった本を棚にしまい終えた時、後ろで見ていた彼女は、少し恥ずかしそうに「もう少し手伝ってくれませんか」と言って来た。
 俺は「いいよ」と答えると、彼女の車椅子を押してやろうと手を伸ばした。だが「自分で出来ます」と言って、また器用に車椅子を動かした。
 彼女が探していた本は、さっきのハードカバーの小説が一冊。あとは、人体の不思議何たらとか言うやつと、ギリシャ神話の本を数冊。後者の二つは、何かの資料用として使うらしい。
「本はよく読むの?」
 本を探し終え、イスに座りながら俺は聞いた。
「はい。こんな状態だと、外に出かける事も少ないので。よく読む方なんですか?」
「ああ。俺もやる事が無い時は、本読むかテレビ見るかぐらいだから」
 そうなんですかと、彼女は言った。
 似たもの同士。自分で言うのもなんだが、はたから見れば、そんな言葉が良く合いそうだった。
「スポーツとかは好きじゃないんですか?」
「好き嫌いって言うより、興味が無いんだ。そんなに、運動神経いい方じゃないし」
「そうなんですか……あ」
 ふと思い出したように、彼女は言った。
「私、加奈って言います。芳井加奈。二年です」
 一瞬、なんの事か分からなかったが、彼女が……加奈ちゃんが自己紹介した事に気がつくと、俺も自己紹介をした。
「ああ。俺、石井岳志。三年だよ」
「石井センパイですね。石井センパイ、いつもここに?」
「毎日って程でもないけど、大抵はここで本読んでる。でも、一人暮らししてるから、居ない時もあるけどね」
「一人暮らししてるんですか?」
 意外だと言わんばかりの表情。そんなに珍しいのだろうか。一人暮らし。
「いいな〜。私も一人暮らししたい」
「そんなにいいもんじゃないよ。一人暮らしって」
 親が居るなら普段やらなくてもいい家事を、一人暮らしの場合全部自分が担当。
 最初は誰だって、一度ぐらい一人暮らしに憧れを抱く。でも実際にそうなると、思っていたほどの自由は無く、毎日が忙しい。
 夢の無い事だとは思う。けど、事実である事は間違いない。
 その事を彼女に伝えると、
「それでも、一人暮らしって憧れます」
 と言った。
 その時だ。ガラガラとドアが開いた。
 入ってきたのは八重樫先生だった。
「加奈ちゃん。そろそろ戻りましょ」
 時計を見ると、閉館時間寸前だった。
「は〜い。それじゃセンパイ。今日はありがとうございました」
 元気良く、軽く手をふって、彼女は言った。
「ああ。芳井さんも、気をつけてね。色々と」
 ペコッと頭を下げると、八重樫先生に連れられて、図書室を後にした。
「加奈ちゃん、もしかしてあのセンパイに一目惚れしちゃったの?」
 二人の背中を見送っていた時の、八重樫先生の突然の言葉。
 加奈ちゃんだけじゃなく、俺まで驚いた。
「そ、そんなんじゃ無いですッ!! もう……先生の意地悪!」
 そんなに勢い良く否定しなくても、と思ってしまったのは果たして罪なのだろうか。正直へこんでしまった。
 ――俺もそろそろ、戸締りとかして帰るかな。
 そう思い図書室を歩いていると、さっきの本棚の所で、一冊のノートが落ちているのに気がついた。
 ――誰のだ?
 名前を見ると、芳井加奈と書かれていた。
 ――今ならまだ間に合うかな。
 俺は急いで戸締りをし、図書室を後にした。


 保健室につくと、すでに加奈ちゃんは居なかった。と言うより、すでに保健室は閉まっていた。
 ――しょうがない。明日にでも返しに行くか。
 ノートをかばんにしまうと、下駄箱へと向かった。


 最近はずっと、晴れの日が続いていた。
 外には赤く染まった空。以前の暗い空が、まるで嘘のようだった。
 雨上がりのムシムシした感覚も無く、初夏を感じさせる今日この頃。
 季節の流れは、やっぱり速いものだった。何時の間にか訪れ、去っていく。
 それを実感するたびに、俺は少し幸せな気分になる。
 俺は、伸びをすると、ゆっくりと歩き出した。
 ――そう言えば、食パンもうなかったっけ。
 帰り際にスーパーによって、買い物を済ませたあと、真っ直ぐ家に帰った。


 家の鍵を開けた。と、思ったら、逆に閉めてしまった。
 ――は?
 鍵をかけ忘れたのかという不安が脳裏を過った。
 再び鍵を開け、中に入る。
 玄関には見なれた靴が置いてある。
「……姉ちゃん帰ってんの?」
「あぁ、岳志ぃ? お帰り〜」
 予想は当たった。三週間ぶりに、姉ちゃんが家に帰っていた。
「お帰り〜じゃねぇよ。どこほっつき歩いてたの?」
 居間に向かうと、薄いTシャツと短パン姿の姉ちゃんが、ソファーに座ってくつろいでいた。
「どこに行こうと、お姉ちゃんの勝手でしょう。元気してた?」
 いきなり帰って来たかと思えばいつもこうだった。
 どうせ彼氏の家にでも泊まってたんだろう。
「まぁね」
 軽く返事をする。
「飯、どうするの?」
「作ってくれるの?」
 姉ちゃんは、ソファーから身を乗り出して言った。
「どうせ姉ちゃん作れないでしょ」
 と、俺が言うと、姉ちゃんは頬を膨らませた。
「ちょっと!! ど〜ゆ〜意味よ!! 岳志が中学ん時、いつも作ってあげてたじゃない!!」
 いつも? 週一回の間違いだ。それ以外は、いつも店屋物とかコンビニ弁当で済ましてたくせに。
 もしくは、やっぱり俺が作ってて、姉ちゃんがたまに邪魔……もとい手伝ってただけ。
「とにかく、食べんの? 食べないの?」
「食べるに決まってるでしょ」
「はいはい。献立は勝手に決めるかんね」
 そう言うと、姉ちゃんはテレビに視線を戻す。
 俺は早速、米をとぎはじめた。


 洗い物が終わり、やっと自分の部屋に入る。
 ゴロンとベッドに横になると、しばらくボ〜っとした。
 宿題も出されていないし、それ以外にやる事もない。
 俺は、カバンに手を伸ばした。
 ――本でも読もう。
 だが、カバンの中で一番に手に触れた物。それは、一冊のノートだった。
 ――あ、そうか。
 結局渡せなくて、加奈ちゃんのノートを持って帰ってたのを、今になって思い出した。
 何気無くそれを取り出す。
 とくになんの教科のノートとも書いていない。自由張的なノートなのだろう。
 なんの傷もない、キレイな大学ノート。
 ――……なに書いてあるんだろう。
 そう思い、ノートを開こうとした。だが、寸前で止める。
 ――人のノートの中を勝手に見るなんて、プライバシーの侵害だ!!
 そう、自分に言い聞かす。でもこの好奇心は、どんな力をもってでも、押える事はできない。
 俺は、そっとノートを開いた。

 続く

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