翌日。
帰りのHRが終わり、クラスのみんなが散り散りになっていく。
そんな風景を、俺は暫く眺めていた。
「お、いたいた」
教室を出て行く人の流れに逆らい、新が俺の所に寄って来た。
「岳志。ゲーセン行こ、ゲーセン」
「はぁ? お前、部活は?」
「たまには体を休めねぇとな」
彼にはどうやら自分が幽霊部員であると言う自覚がないらしい。
「なぁ、行こうぜぇ。新しく入ったゲーム、すげぇ面白いんだって」
どっちにしろ、俺にはやらなくてはならない事があるのだ。ゲームだって、そんなに金をかけてまでやりたいとは思わない。
「ああ……悪い、新。俺今からやる事あんだ。また今度な」
そう言うと、新は肩を落とした。
「そっか。お前も大変だよな〜、一人暮し」
別にそれ関係の用事という訳ではないが、うまい具合に誤解してくれたようだった。
実際の用事の内容を新に言ってしまうと、即刻取調べが始まってしまうからだ。
そんな事で時間はかけたくない。
「わりぃな。また今度って事で」
少し寂しそうな顔で「ああ」と答える新。そのまま教室を後にした。
彼の姿を見送ったあと、俺もカバンを持ち立ちあがる。
念のため、もう一度カバンの中を調べる。
――……うし。ちゃんともって来てるな。
俺は教室を出ると、急いで保健室へ向かった。
保健室の前に来たは良いのだが、いざ入る勇気が出ない。
手に汗が滲む。緊張してるのだろうか。それも年下相手に。
でも、今日中に渡さないと、加奈ちゃんが心配するだろう。
このノートは、それだけ加奈ちゃんにとって、大事な物なのだ。きっと。
――よしっ!
俺は保健室の戸に手をかけた。
ガラガラとドアを開ける。
「あ、今先生、職員室ですよ……ってあれ?」
中央のテーブルに教科書などを広げ、もくもくと勉強をしていたであろう、加奈ちゃんと目があった。
「センパイ、どうしたんですか?」
加奈ちゃんは、俺と目を合わせながら言った。
「え? あ、いや。ただ用事があって……」
「用事って……先生なら職員室に行るって……」
「あ〜、いや。用事ってその……芳井さんに」
加奈ちゃんは首をかしげた。
俺はカバンから、例のノートを取りだし、加奈ちゃんに渡した。
「……どこにあったんですか? これ」
見つかったと言う嬉しさと、なぜ俺が持っていたのかという、ある種の不安とが混ざった表情だった。
「あの後、図書室の戸締りとかしてた時、落ちてたのを見つけて」
「そうなんですか。良かった〜」
ノートを胸に当てている加奈ちゃんは、ほんとに嬉しそうだった。
でも次の瞬間、その表情は不安の表情に変わっていた。
「もしかして……中……見ました?」
「……ごめん」
素直に謝った。ほんとは、その一言だけじゃなく、もっと丁寧に謝罪すべきなのだろう。
でも、声が出なかった。
加奈ちゃんは、少し頬を染めていた。恥ずかしいのだろう。中を見られたことが。
「……でも、いい話だよね。それ」
「……え?」
俺の突然の発言に、加奈ちゃんは戸惑った様子だった。
「読んでて面白い内容だし、今実際に問題になってる社会問題とかをうまく取り入れてる。戦闘シーンも、比喩とか上手に使ってて、迫力があるよ」
「……え? え?」
まだ彼女は、俺が何を言ってるのか分からない様子だった。
あのノートに書かれていた物。それは、彼女が書いたオリジナルの小説だった。
高校生が書いたとは思えないほど、良く出来た物だった。
「ほんとにそれ、芳井さんが書いたの?」
少しずつだが、やっと俺が何を言ったのか理解し始めた加奈ちゃん。
さっき以上に頬を赤く染め、
「は、はいっ。私が書いたんです」
「小説書くの上手だね。作文とか得意でしょ」
「結構……得意な方かも……。あの……ありがとうございます。誉めてくれて」
「ん? なんで?」
顔を逸らしながら、加奈ちゃんはぼそぼそと言った。
「これ、恥ずかしくてあまり人に読ませた事無くて……だから、さっきみたいに誉められた事なかったんです。だから……嬉しくて……」
「そうなんだ」
加奈ちゃんの横に腰を下ろす。
「すごく良い話しなのに、なんかもったいないね」
「そ、そんな事……ないですよ。なんか行き当たりばったりって言うか、いい加減って言うか……」
恥ずかしさゆえの返答だろう。実際読んでみて、いい加減だなとは思わなかった。
でも問題は、そんな事じゃない。まだその話は、完成していないのだ。
「そんな風に思ってたら、ほんとにいい加減な作品になっちゃうよ。自信持って書きなよ。才能あるんだから」
黙って頷く彼女。
「それよりさ、続き読んでみたいな」
「続き……ですか?」
「ああ。まだそれ、途中でしょ。続きがすご〜く気になるんだけど」
「ほ……ホントですか?」
俺は頷いた。ぱぁっと彼女の表情が明るくなった。
「じゃあ、明日書いてきます。少ししか書けないかも知れませんけど、絶対続き書いて、図書室に行きます」
「え? 図書室まで? いいよ。俺がここまで来るよ」
彼女は車椅子だ。無理はさせたくない。
でも、加奈ちゃんは、首を横に振った。
「大丈夫です。八重樫先生に頼めば図書室まで行けますし、読んでもらう側の人をわざわざここに呼ぶなんて、失礼ですよ」
そんな事無い。そう言おうとした。
でも、それより先に、彼女は言った。
「それに、初めてこれを褒めてくれたんですから、やっぱり私から、渡したいなって思って」
完全に切り出すタイミングを失ってしまった。
「そこまで言うなら、俺待ってるから。明日、図書室で」
「はい。楽しみにしてて下さい」
それを聞くと、俺は立ち上がり、保健室を出ようとした。
「あの……ありがとうございました!」
軽く手を振って返事をすると、保健室の戸を閉めた。
図書室のドアを開けると、誰もいなかった。
今考えると、図書室を利用する人ってかなり少ない。
カウンターに目をやるが、今日も図書委員の姿が見当たらない。
――今日は誰だっけ、当番。
生徒手帳を取りだし、当番を確認する。
以前の事もあったため、一応生徒手帳にメモしておいたのが幸いした。
それによると、当番は達也と信二。前回と同じ一年だった。
――またあの二人か……。こりねぇよなぁ。
どうせ一般の生徒は誰も来ないだろう。そう思うと、いちいちカウンターの方に座るのも面倒になってきた。
普段どおり生徒用の椅子に座ると、机にカバンを置き、本を読み始めた。
暫くそうして待っていると、再びドアが開いた。
「あ、センパ〜イ」
『図書室ではお静かに』という警告を心得ているせいか、少し小声で加奈ちゃんは言った。ここには、俺と加奈ちゃんの二人しか居ないのに。
「センパイ、こんにちは」
「こんにちは。いつも元気だよね〜、芳井さんって」
「そんな事ないですよ」
口では否定するが、実際彼女は、ほんとに明るい性格だった。
俺よりもテンション高いし、結構ムードメーカーとしての素質がありそうだった。
「それより、続き書いてきました。読んでみてください」
そう言って、あの大学ノートを差し出す。
以前まで読んだところで開くと分かったが、加奈ちゃんが書いた続きの量は、半端じゃなかった。
閉館時間まで約一時間。それまでに読み終わるかと言われると、恐らく無理な話だ。
いくら本を読みなれているとはいえ、この量では完敗だ。
――とりあえず、読めるところまで読もう。
俺は早速読み始めた。
閉館時間十分前。気がつくとそんなに時間がたっていた。
「……ふ〜」
大きく息を吐き、イスにもたれ掛かる。
結局読み終わらなかった。が、小一時間でこれだけ読んだのは、初めてかも知れない。
「ゴメン。家に持ってかえって読んでもいい?」
「全然構いませんよ。やっぱり張り切りすぎたのかな。書き過ぎました」
「そんな事無いよ。続き、すごく気になってたから、すげ〜面白いよ」
「えへへ。ありがとうございます」
ノートを閉じ、カバンにしまう。
達也と信二がここに現れた形跡は無い。結局また、あいつ等はサボリのようだ。
加奈ちゃんも帰りの支度をしている。
「加奈ちゃんって、いつも一人で帰ってるの?」
「……え? あ、はい。家近くなんで、一人で帰ってます」
「じゃあさ、今日は一緒に帰らない? 送ってくからさ」
加奈ちゃんは、暫く呆然としていた。
「え? でもセンパイは……」
「俺は別に平気だからさ。それに、一人だと結構不便だろ?」
でも加奈ちゃんは、うつむいたまま、答えようとしない。
やっぱりありがた迷惑なのだろうか。
「……いいですよ」
やっと口を開いた加奈ちゃん。かわいらしい笑顔がそこにあった。
「ほんとは私、センパイともう少しお話したいなって思ってたんです」
ほんのりと頬が赤く染まっている。
「じゃぁ、ちょっと待ってて。戸締りとかしてくるから」
加奈ちゃんは「はい」と答えると、入り口のほうに車椅子を動かした。
加奈ちゃんに指示されながら、車椅子を動かして階段を降りる。
なれない動作なだけに、うまく降りれず、加奈ちゃんには迷惑をかけてしまった。
校庭に出ると、廊下でも感じた暑さがより一層増した。
梅雨も一段落ついた今日この頃。とうとう今年も夏が来たのだなと、つくづく思う。
「しっかし暑いよな〜。車椅子って、夏場結構大変でしょ」
「そんな事無いですけど……座ってばかりだから、お尻が蒸れちゃうんです」
照れ笑いを浮かべて言う。
「芳井さんてさ……家どこらへん?」
「校門を出て左に少し行った所です」
図書室で彼女が言った通り、やはり家は近いようだ。
その道は実際坂道も無く、車の通りも少ない。比較的、安全な通学路と言える。
その通学路を歩きながら、俺たちは会話を楽しんだ。
内容と言うと、テレビや本、学校の友達の事など、他愛ない事ばかり。
でも、あまり女子とは会話しない俺にとっては、新鮮な経験だった。
なにより、そんな自分の話を聞いて、楽しそうにしている加奈ちゃんを見ていると、とても嬉しくなってくる。
この時間が終わらなければ。そんな事を思ったのは何年ぶりだろう。
でもその願いは、呆気なく破棄されてしまった。
「あ、ここです」
一見、どこの家とも大差ない、ごく普通の一軒家だ。
だが、車椅子の加奈ちゃんの事を考え、段差のある所はスロープになっている。
「玄関前まで送ろうか?」
「いえ。ここで大丈夫です。ありがとうございました」
「明日、帰り保健室に寄るよ。ノート返さなきゃならないし」
「そんなに急がなくても大丈夫ですよ。あと、明日も私が図書室に行きます」
「いや。どうせ明日、放課後なんもやる事無いし、毎日毎日図書室に来させたらわるいよ」
「……じゃぁ、明日は私が待ってます」
ぱぁっと加奈ちゃんに笑顔が戻る。
「じゃぁ芳井さん。また明日」
そういって加奈ちゃんの家を後にしようとした時、
「あ、センパイ待ってください」
突然加奈ちゃんに呼び戻された。
「ん?」
「あの……これから私の事、『加奈』って呼んでください」
「……へ?」
「センパイなのにさん付けって不自然な気がするんです。だから」
「分かった。じゃぁ、また明日ね。加奈ちゃん」
「はいっ!」
軽く手を振って、俺は帰路についた。
続く
第二話へ
目次へ
第四話へ