初めて来た人へ

―第四話―

「……それでは、できるだけニュースです」
 テレビの中では、いつものように久米さんが番組を進めている。
 このニュース番組との付き合いも、やっぱり長い。
 小学校高学年の頃から見つづけている。
 だからこのセリフを聞くと、瞬時に今が何時ぐらいなのか分かる。
 大体十一時をちょっと過ぎた所だろう。そう思い、時計を見る。
 針は十一時五分を指していた。
 そして、ようやく俺が加奈ちゃんの小説を読み終わった時間も、同じく十一時五分。
「もうこんな時間なのか……」
 ソファーから体を起こし、伸びをして部屋に戻る。
 カバンにノートをしまい、もう一度居間へ戻る。
 テレビでは、さっきのニュース番組は終わっていた。そして、誰が見るんだか分からないような短い番組がやっている。
 流しには、たまった洗い物。でも、俺一人分の物だけだ。
「ったく……出かける時は一言言えって、何回言えば気が済むんだよ、クソ姉貴」
 昨日まで家でだらだらしていた姉ちゃんは、今日になってまた、どこかへと出かけてしまった。
 別に、急に居なくなった事が心配なわけじゃない。むしろ、あんな人間ほど、しぶといってのが世の常だ。
 ただ、なにも言わないで二度と帰ってこない……そんな経験は二度としたくなかった。
 一応は家族。俺が高校生になるまでは、自分の人生を犠牲にしてまで、俺の面倒を見てくれたんだ。その恩を忘れた訳じゃない。とりあえず、何らかの形で、返したいとは思ってる。
「……はぁ」
 短くため息をつくと、風呂場へと向かった。


 ザブンと湯船につかる。思わず声が漏れる。
「ああ〜。疲れたな〜」
 ものすごくじじくさいと自分でも思う。こんな姿を友達には見せられない。
「……友達か……」
 正直、加奈ちゃんと俺は、どんな仲なのだろうか。
 あの日図書室で偶然出会って、趣味が同じって事で結構仲が良くなって、たまたま彼女が落としてしまったノートの中を読んで、それがすごくおもしろい小説で、返し際続きが読みたいって言ったら加奈ちゃんは続きを書いてくれて、せっかくだから一緒に帰ろうって言って、一緒に帰った。
 今考えると、物凄く都合がいいと言うか、マンガみたいな出会い。
 でもそれは、短いが確かに、加奈ちゃんと出会い、過ごした時間。
 その短い時間の中で、どれだけお互いを知り、絆が深まったは分からない。
 でも多分、もうお互いを友達と呼び合える関係にはなったと思う。
 しかし、だからなんなのだろう。
 俺は、その先を求めているのだろうか。
 確かに、加奈ちゃんは素直そうで、前向きで、かわいい。
 最近の女子高生とは思えない、しっかりした子だと思う。
 あんな彼女がいるってのも、悪くは無い。
 でも、俺は正直、彼女をそんな風には見ていない。
 だからって、これでお互いの関係を終わらせるってのも、嫌な気がする。
「……どうなるんだろ。この先」
 鼻の下まで湯船につかると、ブクブクと口から息を吐き出した。


「続きどうでしたか?」
 翌日、保健室でノートを返すと、さっそく感想を問い詰めてきた。
 彼女の作品は、先の全く読めない意外性が魅力だった。だから、読み終わるたびに続きが気になってしかたがなかった。
 そう彼女に言ったら、満面の笑みを浮かべて、また続きを書いてきますと言った。
「この先のアイディアって、もう出来てたりするの?」
「はい。物語の大部分は、大体頭の中で完成してます。あとは、必要な文章を付け足したりするだけです」
「すごいな〜。やっぱり才能があるんだよ、加奈ちゃんには」
「ありがとうございます。最近はセンパイのおかげで、自分の作品に自信が持てるようにもなってきたんです。もちろん、今のままで十分って考えはありません。出来るなら、もっと上手になって、面白い作品が作れたらなって思ってます」
 ほのかに頬を染めて、微笑を浮かべる。
「加奈ちゃんは、この後何か用事?」
 もし無ければ、また送ってあげよう。そう思ってた。
「ごめんなさい。今日この後、病院で検査があるんです。だから……」
 さっきまでの笑顔は、完全に失われてしまった。
「あ……そっか。ゴメン」
「大丈夫ですよ。検査って言っても、そんなに大げさな事でもないですし」
 無理して作った彼女の笑顔を見ると、胸が疼く。
 彼女の器用な車椅子の動かし方を見ると、きっと幼い頃から、車椅子と一緒なのだろう。
 その検査とやらとも、長い付き合いのはずだ。それだけ、辛い思いをしているに決まっている。
「……そっか。じゃぁ、俺そろそろ帰るわ」
「あ、ちょっと良いですか?」
「ん? なに?」
「センパイ、携帯電話って持ってますか?」
「え? ああ。もってるけど?」
 そういって、ポケットからケータイを取り出す。
「じゃぁ、アドレス教えてくれませんか?」
「別に良いけど……なんで?」
「お近づきの印って事じゃ、ダメですか?」
「なんか今更って気もするけど……いいよ」
 ケータイを開き、個人情報のページを開く。アドレスと電話番号が、ディスプレイに映し出された。
 それを見ながら、加奈ちゃんは電話帳に登録し始めた。
 しかし、加奈ちゃんがケータイを持ってるなんて意外だった。
 まぁ、高二にもなってケータイを持ってないってのもかえっておかしいのだろうけど。
 むしろ彼女の場合、緊急用の連絡手段として持っているのだろう。
 最近はメールのやり取りなどで、電話としてではなく携帯メール送信端末として利用する人が多いが、彼女の場合、ケータイ本来の使い道で利用しているのだろう。
「え〜と……うん。これでよし。ありがとうございます、センパイ」
「ん。あとでメール頂戴。加奈ちゃんのアドレスも登録したいから」
「はい」
「んじゃ、また明日」
「はい。さようなら」
 笑顔で俺を見送る彼女。
 その笑顔のうち、一体どこまでが本物の笑顔なのだろう。


「……と言う訳だから、明日までにやってとくように」
 物理の担任が念を押すように言うと、すたすたと教室を出ていった。
 同時に、クラス中の人間が、散り散りになっていった。
 昼飯どき。だが、あまり腹は減ってなかった。
「お〜い、岳志ぃ」
 新だ。手には今買って来たであろう、パンが握られている。
「飯にしよう、飯」
「ああ。ここで食うの?」
「外行こう。いつもの日陰」
「だな。行くか」
 俺はカバンを持って、新と共に外へ向かった。
「最近お前、付き合い悪くないか?」
 『いつもの日陰』についた時、新は俺に聞いた。
 玄関を出てすぐの所にある、植物の屋根で覆われた日陰。
 その屋根を支える為の鉄柱が四方に存在しているが、ツタが絡まっていて見た目は自然その物。木漏れ日が気持ち良かった。
 前は屋上が定番だったが、この季節、直射日光が辛い。
 どんなに涼しい風が吹いても、日の光りまでは遮ってはくれない。
 その分ここは日陰で涼しく、頭上には、常に光合成を行っている植物がある。
 生まれたての酸素も豊富で、とても屋上なんかより気持ち良い。
「そうか? いつもどおりだろ?」
「いや。最近放課後の付き合いが悪い」
 確かに、新の誘いは最近断ってばかりだ。
 もともと、自分は行動派の人間じゃない。
 ちょっとした息抜きだったり、いたしかたなく新たちに付き合っている。
 嫌いなわけじゃない。でも、グループで行動すると、どうしても自由が制限される。
 やはり、自分一人で自由に行動していた方が、気持ち的には楽なのだ。
「……っておい、新」
 俺は重大な事を聞き忘れてしまった。
「お前、放課後っていつも暇だっけか?」
「どーゆー意味だ?」
「部活。試合前なんだろ? レギュラーのお前がサボっててどうすんだよ」
 新が言葉に詰まった。露骨に困った顔をする。
「……部活さぁ……レギュラー落とされたんだわ」
「……マジ?」
 黙って頷く新。聞いちゃいけない事を聞いてしまった。
「まぁさ、あんだけサボってりゃ、いつかこうなるとは思ってたけどさ」
 しかたが無い。そんな顔をしている新だが、恐らくは物凄いショックなのだろう。
「もうどうせ、今更真面目に部活行っても、やる気でねェしよ。もういいわ」
 完全に諦めモードだ。どんな事においてでも、新がここまで諦めモードに突入したら、もう止めようが無い。恐らく、このまま部活を止めるんじゃないだろうか。
 そう考えると、少し気の毒にもなってきた。
 もちろん自業自得なのだが、ここまで落ち込んだ新を見るのは、親友として辛い物がある。
「……しょうがない。今日ぐらいは付き合ってやるか」
 本当は今日、帰り際保健室によるつもりだった。でも、一日ぐらいは、新に付き合ってやらないと、後が怖い。
 加奈ちゃんには悪いけど、明日って事にしてもらおう。
「マジで? サンキュ〜。じゃぁゲーセン行こ、ゲーセン」
「はいはい。いつぞやの『新しく入ったゲーム』だっけか?」
「そうそう。早く勝負して〜」
 とか何とか言って、結局負けるのがこいつのパターンだ。
 教室に戻り、席に着く。
 さっきの新との会話で、少し興奮してしまった気持ちが治まると、加奈ちゃん宛てにメールを打った。
 返事には、『せっかく書いて来たのに残念です。明日は大丈夫ですか?』と書いてあった。
『もちろん。明日、保健室で待ってて』と返事を打つと、ケータイをカバンにしまった。

 続く

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