初めて来た人へ

―第八話―

「……で?」
 賢吾はてりやきマックバーガーを頬張りながら、少し怒りをあらわにした口調で言った。
「お前はいつになったら篠原に告るんだ?」
「そう簡単に事が進むなら苦労しないって」
 対する俺もてりやきマックバーガーを頬張りながら言う。
 気がつけば、また寒さの厳しい季節になっていた。自分の気持ちを改めて理解してからもう何ヶ月もたった。なのに、いざ彼女に告白しようとしても、緊張や恐怖心が邪魔をする。
「怖いのか?」
「うん」
 龍二の問いに、俺は即答した。
 そう。俺は怖い。万が一の事を考えると、いくら可能性が高くても動けない。今の彼女との今の関係が崩れる事は、俺にとって二つある内の一つの日常を、確実に失うと言う事だ。
 気持ちを伝えない事には、彼女との関係に何の変化も無い事は百も承知。それは分かっている。けど、それと恐怖心を天秤にかけても、結果は火を見るより明らかな事だった。
「……俺って本当に不器用な奴だよな」
「何を今さら」
 龍二と賢吾は声を揃えた。
 本当に意気地とだらしの無い不器用な人間だと思う。


 その日、いつものように学校に行くと、クラスメートの一人に声をかけられた。浅野翔という奴だ。元陸上部で、そこそこいい成績を残していてよく表彰されていた。彼とは、龍二達ほどではないにしてもそこそこ気が合い、結構雑談をする事があった。
 今回もその流れ。彼は両手を合わせて言った。
「勇樹って篠原と仲いいよな」
 『篠原』と言う固有名詞が飛び出したので、一瞬驚く。
「それが……どうかしたか?」
 その後、彼の言う事を聞き、俺はさらに驚き、複雑な気分になった。
 簡単に話をまとめると、彼は薫が好きなのだ。翔はクラスの女子ともよく喋るが、篠原とだけはあまりそういう機会が無かったらしい。でももっと仲良くなって、出来るならいずれは自分の彼女にしたい。
 だから、そのキッカケとしてデートにでも誘おうとしたい。しかし、いきなり誘うのも変な風に思われる。
 そこで俺の出番と言う訳だった。
 クラスで一番彼女と仲のいい男子である俺に、その代役を務めてもらう、という訳だ。
「な。頼むよ。頼めるの勇樹しかいねぇんだ」
 友人にここまで頭を下げられてしまうと断りづらいものがある。
「……あ、ああ。後で聞いてみるよ」
 俺は曖昧に答えた。翔は「サンキュ〜」と嬉しそうに笑ったが、俺はすぐに顔をそらした。多分この動揺は顔に出てしまっている。そう思うと、まともに顔を見合わせられなかった。


 次の週の日曜日。俺と翔、薫と薫の誘った吉田愛と言う子の四人で、お台場へと出かけた。午後の気温は少し温かく過ごしやすかった。
 俺たちは、フジテレビの球体展望台へ行ったり、パレットタウンへ行ったりと、シンプル且つありきたりにしてマンネリなデートコースをそれなりに楽しんだ。ちなみにこのデートコースは翔が独自に決めたコースだった。もっと別のコースを提案したが、彼は人ごみが大の苦手なのだそうだ。対してお台場も変わらないのだけれど。
 俺は出来るだけ薫から距離を取り、吉田さんと並んで歩くようにした。薫の隣は翔にまかせ、彼等の後ろを追うように歩いた。
 時折薫は俺の方を振り向いた。どこか不安げなその表情を見ていると、申し訳なさそうに思えてきた。俺はすぐに顔をそらしたり、吉田さんと会話をしたりしてやり過ごした。
 そのたびに胸がきしむ。
 自分のやっている事が、この世に存在する全ての罪よりも重いように思えて仕方がなかった。


 夕方、パレットタウンの大観覧車の列に、俺たちは並んでいた。パレットタウンのシンボルともいえるこの観覧車は、休日、特にこの時間帯は、少なくても一時間は並ばなくては乗れないぐらいの人気だった。
 列に並んでいる最中も、薫は俺の方をチラッと見ては、不安そうな顔を見せた。今すぐにでも彼女の隣に移動したい。翔の約束を破り、彼との友情を壊してしまっても構わない。彼女を傷つけてしまう事は、それよりももっと辛く罪深い事だと思うから。
 でも、そこまで分かっていても、俺は動けなかった。
 彼女を傷つけてしまうという恐怖と、彼との友情を壊してしまうという事実が葛藤していた。
 観覧車に乗り込んだ時、結局薫・翔組と、俺・吉田さん組に分かれて乗る事になった。俺たちの乗るゴンドラが少しずつ地面から離れ、パレットタウン周辺の景色が一望できるぐらいの高さまで登った。
 赤く染まるビル群や街並みは、神秘的な魅力と共に、一種の恐怖を呼び起こした。
 彼女の心を暗示しているように思えた。彼女の傷ついた心を暗示しているように思えた。今見ている赤こそ彼女の心を流れる血。
 取り返しのつかない事をしたときに感じる絶望感。血の引く感じ。
 そわそわと落ち着かず、貧乏揺すりがひっきりなしに続いた。
「海野君ってさぁ」
 吉田さんが、観覧車に乗ってやっと口を開いた。
「好きなんでしょ? 薫ちゃんのこと」
「……」
「言っとくけど、私の目は誤魔化せないからね」
「……何を根拠に」
 ちょっとした苛立ちのせいで、つい冷たい口調になる。
「もし違ってたら、普通の人ならもっと落ち着いてるよ」
 吉田さんは一瞬こっちを見たが、すぐに視線を外に泳がした。
「大方、浅野君も薫ちゃんの事が好きで、仲良くなるキッカケが作りたくて今日のデートを計画したけど、誘うに誘えなくって海野君に頼んだって所でしょ?」
 俺は黙って吉田さんの話を聞いていた。
 本当はそんな事聞きたくなかった。聞かなくても分かっていた。けど、俺の耳は何の抵抗も無くその話を脳に送り込んでしまう。
 吉田さんはさらに続けた。
「浅野君の方は、海野君が薫ちゃんの事を好きだって事に気がついていない。鈍感もいい所だよね」
「……うるさいよ」
「海野君はどうしたいの?」
「うるさいってば」
「薫ちゃんの事好きなら、早く告っちゃえばいいのに」
 彼女は俺の言葉などまったく気にしていない様子だった。彼女なりの考えや、彼女なりに考えた俺が今後とるべき行動を、勝手に話し出した。
 その話は、ゴンドラを降りる五分近くになるまで続き、最後にこう言って終わったのだった。
「海野君も辛そうな顔してるけど、海野君の場合は自業自得。ホントに辛いのは――」
 ――分かってる。そんな事は。
 俺は心で彼女の名前を呟いた。
 それと同時に、吉田さんも同じ名前を口にした。
「――薫ちゃんの方なんだよ」
 ゴンドラを降りるまでの五分は、今まで感じた事の無いぐらい、流れの遅い時間だった。


 駅からの帰り道、方向が別々なので、翔達と別れ薫と二人で歩いた。
 時計は九時を指していて、十一月中旬の気温は相当の物だった。いつもなら、手には彼女の温もりがあるのだが、今日は無い。無理も無いな、と思った。
「……なんで誘ったの?」
 暫く無言の時間が続いていた。近道をする事になって歩いていた小さな公園で、彼女はそう口を開いた。苛立ちの混じった声だった。
 彼女の問いに、俺は答える事が出来なかった。
「……初めて勇ちゃんに誘われて、すっごく楽しみにしてたんだよ?」
「……うん」
「なのに勇ちゃん、ぜんぜん私と話そうとしなかった。むしろ避けてたよね」
「……」
「……だんまりか……」
 彼女の白い吐息が闇に消えていった。
「……勇ちゃん?」
「……ん?」
 そう言って振り向いた時、彼女の目に溜まった涙を見た。
「……ううん……何でもない……」
 同時にその涙が流れ、頬を伝う。
 それを見てしまったとたん、俺は金縛りにあったように体が動かなかった。だが彼女は、少しずつではあるが速度を速め、先を歩く。
 俺はまだ、彼女に何も言っていないのに。言わなきゃいけない事が山ほどあるのに、それを体が拒んでいるように、微動だにできない。
 今言わなきゃ、一生後悔する。今言わなきゃ、もう手の届かない所に彼女は行ってしまう。
 今言わなきゃいけない。今こそ、今だからこそ言わなきゃ。
『気持ちを伝えない事には、彼女との関係に何の変化も無い』
 今さら恐怖に臆している場合じゃない。人は常に、無意識の内に明日と言う不確かな物に恐怖しているのだから。
 可能性に臆していては、人は成長しない。
 今こそ言わなきゃ。
 今こそその時なのだから。
「……違うんだ、篠原」
 ゆっくりとした口調で、俺は話し出した。
 緊張のせいか寒さのせいか、はたまた恐怖のせいなのか、足は今まで経験の無いほどに震えていた。
「……ホントは今日、翔に頼まれて誘ったんだ」
 俺は全てを打ち明けた。
 翔が薫の事を好きである事。翔の事を思い、ずっと薫の事を避けていた事。
「……ならちゃんと言ってくれれば良かったのに」
「……ゴメン」
 そう言った後、彼女に気付かれないほど小さく深呼吸をし、話を続けた。
「……けど俺、今日ずっと、篠原の事気になってたんだ」
 その言葉に、彼女は微かに反応した。俯きぎみで影になっていた彼女の顔が、公園の外灯に微かに照らされた。
「翔と話してる最中にチラチラこっち見てた時の顔、すごく不安そうで、俺、やっちゃいけない事をしたんじゃないかって、ずっと思ってた」
「……やっちゃいけない事って?」
 薫の目から流れる涙は止まる事を知らないようだった。涙声でそう聞き返してきた。
「……篠原を傷つける事」
 今度は彼女にも分かるほど大きく深呼吸した。
「……俺、ずっと怖くて言えなかったんだ。俺の誕生日のあの日からずっと……」
「……うん」
「すっげー辛かった。でもそれは自業自得でさ。ホントに辛かったのは……」
 ゴンドラの中での会話を思い出した。
 ずっと辛い思いをしてきたのは、ほかでもない……。
「……篠原なんだよな」
 勇気を出せ。可能性に臆するな。
 俺は自分にそう言い聞かせた。
「だから、その事についての謝罪も含めて、今ここで言うよ」
 暫く目を閉じ、心を落ち着かせた。
 今までの恐怖心。不安感。全てが無くなりかけているのが分かった。
 いつか感じた……六月十七日の下校時に感じた物と酷似している。
 今なら言える。今こそ言える。
 俺の、この気持ちを。



 好きだ……。
 篠原の事が……。
 他の誰よりも……。



 彼女の方に目をやると、口を手で覆い、嗚咽を必死にこらえていた。
 俺はそっと近寄る。すると彼女は、もたれかかる様に俺の胸に倒れこんだ。俺は彼女をそっと抱きしめる。
「……勇ちゃんの……バカ」
「……ごめん」
「その一言を……私どれだけ待ってたと思ってるの?」

『『篠原さん』って止めよう?』
『え? じゃぁ篠原……で良いのか?』
『……ま、いっか。ホントは薫って呼び捨てにして貰っても良かったのに』
『それさ、付き合ってるように思われるよ?』
『嫌なの?』
『嫌なのって……』

 去年の九月。保健室での会話。あの時思った事は、自惚れでもなんでもなかった。
 今になってようやく分かった彼女のあの言葉に秘められた本当の意味。遠回しだけど、でも、素直すぎる、あの言葉の意味。
「……薫……ゴメン」
 俺はもう一度謝った。
 でも彼女は、俺の胸に顔を埋めながら、そっと、優しく呟いた。
「……大好き」
 俺は、薫の事を改めて腕の中で確認し、そしてもう遠くに行かないように、少し力をこめて抱いた。

 続く

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