初めて来た人へ

―第七話―

 六月十七日。以前も言ったが、この日は俺にとって特別な日である。
 今さら家族で祝うほどの日でもないのだが、友達なり親戚なりから一声もらうと、嬉しくなる。ほんの些細なものであっても、プレゼントなんてくれた日には、もうウハウハだ。
 その日、登校してすぐ、俺は眠たくなって机に突っ伏していた。用事で俺達よりも先に学校に来ていた薫は、教室に入ってきた俺の姿を確認したのか、すぐによって来て言った。
「はい。勇ちゃん」
 顔だけを起こし、机に置かれた小さな正方形の箱を見た。
 ピンクをベースにした白の水玉模様の紙に綺麗に包まれ、赤のリボンで飾られたそれは、今すぐどこかに隠さないと周りから怪しい目で見られてしまう様な物だった。
「……なに? これ」
「誕生日おめでとう」
「……プレゼント?」
 彼女は微笑みながら頷いた。
「開けて」
「今、ここでか?」
 それは愚問のようだった。
 口では言わなくても、その表情は俺に「開けて」と訴えかけているような物だった。
 仕方なく体を起こし、リボンをそっと解いた。周りの視線が俺の体を刺すように痛かった。
 紙を丁寧に取り、その中身があらわになった。何の変哲もないごく普通の白い箱。その箱を開けると、中には黒く小さい袋のようなものがあった。
 布製のその袋は無地で、持ち上げると少しだけ重みが伝わった。
「……なに? 中身」
 だがこれも愚問だったようだ。
「……開けるまでのお楽しみって奴か?」
 そう聞くと、彼女は相変わらず微笑みながら頷いた。少し不気味なものがあった。
 袋の口に両手の人差し指を入れ、左右にゆっくり開いた。
 その中にあったものはペンダントだった。黒く綺麗な丸みを帯びたオニキスを埋め込んだ、極めてシンプルな形の物だ。だが、見た感じ結構高そうな物だった。
「気に入ってくれた?」
「……高くなかった? この宝石、オニキスって奴だろ?」
「うん。一万したかな」
 俺は一瞬、ペンダントを落としそうになった。
 一万なんて金額は、中学生にとってはまだ破格の値段だ。そう易々と手に入る額でもなければ、そうホイホイと手放せる事のできる額でもない。
 いくら誕生日だからとは言え、こんな高価な物を貰うのは気が引けた。
「……なんてね」
 彼女は何が可笑しいんだか、クスクスと笑いながら言った。
「一万なのは間違いないけど、買ったの小学生の頃だから」
 そう言った後、彼女はそのペンダントのオニキスの部分に指を当てる。
「小学生で宝石なんておマセ過ぎかもしれないけど、どうしても欲しくなっちゃってお年玉とか使って思い切って買ったの」
 それを聞き、俺は脱力した。
 さっきまでの思考はいったい何の意味があったのか。今となっては考えたくもなかった。
「良いのか? だって篠原のだろ?」
「良いの。だって私のだもん」
 彼女の言葉の意味がいまいち理解できなかった。
「でもサンキュ。ありがたく頂戴いたします」
 と、俺は微笑んで言った。それを聞いた彼女は、また喜びで顔をほころばせた。


 結局、それ以外何事もなく今日という一日が過ぎていった。
 そして下校。薫は図書室で調べるものがあるといって学校に残った。帰りはいつものメンツだった。
 下校途中で、俺は今朝の事を話した。休み時間の時にでも話そうかと思ったのだが、龍二が騒ぐと迷惑になるので、このタイミングにした。
 案の定、彼は頭をかきむしって雄叫びに似たものを上げた。おそらく悔しいのかもしれない。
「そっか〜。勇ちゃん誕生日なんだね」
 恵美ちゃんは「おめでとう」と言ってくれた。
「しかしクラスメートの前で堂々とプレゼントを渡すなんてな」
 賢吾は興味深そうに言った。
 俺も本当にビックリした。
 彼女は羞恥心と言うものが無いのだろうか。
 いくら付き合っている人間であっても、あそこまで堂々と出来る人はいない。多分恵美ちゃんだって、賢吾に対しあそこまで出来ないと思う。
「けど、それだけ大胆になれるって事は……」
 賢吾はチラッと俺の方を見た。
 その先は、わざと言わないでおいたのだろう。言葉の続きを自分で考えさせ、それについてもう一度考えさせようと言う、賢吾なりの親切なのだと俺は思った。
 薫は俺の事を。賢吾の言葉の先は、容易に想像できた。
「……あいつ……」
 俺は、どこを眺めるわけでもなく、視線を泳がせた。
 生暖かい風が、容赦なく俺達に襲い掛かった。気持ち悪い風だった。ワダカマリで一杯の俺の心のように。
 薫の事を考えると、必ずそう言った物でスッキリしなくなってしまう。
 彼女が俺の事を想ってくれている事は、十分すぎるほど鮮明に伝わるのに、何故俺は、薫の事でこんなにも悩むのだろうか。
 そして、そんな自分のせいで、彼女が確実に傷ついている事を思うと、余計に辛くなる。こんな自分が、本当に嫌になってくる。
 なにが俺をジャマしているのだろうか。なにが俺をこんなにまで悩ませるのだろうか。彼女の為を思って、彼女の事を考えようとしても、ワダカマリに邪魔されてしまう。
 過去に何度も異性を好きになった事はある。でも、その時の『好き』と言う気持ちと今の薫に対する気持ちは、ことごとく違っていた。
 それが戸惑いを生み、やがてそれがワダカマリに変わる。
 そうして、少しずつ増えていくそれがいつしか心その物を強く圧迫し、余計に俺を焦らせ、思考を鈍らせる。
 道理にかなった循環だ。我ながら素晴らしいと思う。ただそれが、利を生むのではなく害その物である事以外は。
 小さく、皆に気付かないように溜め息をついた。
 暫く俺は無言でいた。龍二達三人は、世間話に花を咲かせてばかりいた。俺の悩みはあくまで俺が解決する事だから、自分たちには関係無い。そう言いたげだった。
 もっともそれはそれで当然の事であり、誰が好きだとかそう言う事に関して、他人は干渉するべきではないと、俺自身思う。
 結局は自分の意志の問題。
 他人は、簡単な相談や意思決定のキッカケをくれる程度しか、この問題に関しては干渉してこない。
 だがそれは、その人を思っての行動だ。
 決して酷い事ではない。むしろ親切と言った方がいいだろう。
「……勇ちゃん?」
 心配してくれたのか、恵美ちゃんが俺の方を見た。
 いつの間にか、彼等も会話を止めていた。
「……深刻そうだな」
 龍二も鼻で溜め息をつき、言った。
「……自分が篠原の事を好きなのかどうか……ぶっちゃけ良く分かんねぇんだ」
 俺は重い口を開いた。出た言葉は、俺の正直な気持ちだった。
 三人は黙って聞いていてくれている。
 俺は続けた。
「今までで好きになった人ってのはさ、その人と色々話をしたり、手をつないだり、そんな事をして『一緒に居たいな』って思える人だったんだ」
「香ちゃんも?」
 恵美ちゃんの言葉に「もちろん」と言って続けた。
「橋本さんの場合は、どちらかと言えば一目惚れに近いのかな。たまたま何かで一緒になって、ちょっと話しただけで、すごく優しそうで可愛いなって思ってさ」
 少し照れ臭そうに笑った。
「クラスが違うから、話す機会も少なくてさ。余計そうな風に思っちゃったんだよ」
 俺は「けど」と続けた。
「……篠原は違う。あいつは逆に身近すぎて、そんな風に思えないんだ。近くに居過ぎるから、そこに居るのが当たり前になってて、『一緒に居たい』って思えない」
「近くに居るのが当たり前な存在……『一緒に居たい』って思わなくてももう近くに居る存在……って事だよな」
 賢吾が確認するように聞いた。俺が頷くと、賢吾と恵美ちゃんは顔を見合わせて微笑した。
「勇樹は鈍感だな」
 と賢吾。
 その後、恵美ちゃんは少しためらいがちに言った。
「それだけでも……十分人を好きになる理由になると思うよ」
 俺はハッとなって彼女の顔を見た。
 彼女は賢吾と腕を組みながら、「ね?」と賢吾にふった。
「そう言うこった」
 賢吾はまた微笑した。
「つまりお前は、篠原が好きなんだよ。一緒に居て当たり前。だからこそ好き。そういう事だろ?」
 龍二も賢吾に続いて言った。
 気がつかなかった。そういう形の『好き』と言う気持ちがあると言う事に。
 全てのワダカマリが、怒涛の如く流れていった。心が軽やかになり、とてもすがすがしい気分だった。
 言葉で表現するなら、白一色の空間。そこには一人の人の姿があった。いつも近くで「勇ちゃん」と声をかけてくれる、身近に居すぎる存在。

 篠原 薫

 彼女はもう他人ではない。
 俺の、ワダカマリで一杯だった心の中に、ずっと彼女は居たのだ。彼女は既に、俺の心に居座る、大切な存在。唯一愛しく思える無二の存在。
 全てが鮮明に頭に響いた。
 その真実は、外からではなく中から、俺の心に居座る薫本人から言われた様な感覚だった。
「問題解決……だな」
 龍二が俺の肩を叩いた。
 少し強めに叩かれ、俺は肩を押さえた。
「……みんな……」
 俺はうつむきながら呟いた。
「……ありがとう……」
 素直にそう言えた。
 彼等が居なければ、俺は今の気持ちに気がつかず、薫をずっと傷つけ続けただろう。
「あとは気持ちを伝えるだけだね」
 恵美ちゃんは、自分の事では無いのにもかかわらず、嬉しそうに言った。
「そうだな」
「がんばって。応援してるから」
 俺はもう一度「ありがとう」と返した。
 自分や彼女の事をもう一度見つめ直し、見出した答えに、迷いは無い。
 もうきっと……迷ったりはしない。

 続く

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