初めて来た人へ

―第四話―

 何事もなく月日は流れ、気がつくと寒さの厳しい季節になっていた。十二月の半ばともなると、早くも夏を待ち遠しく思うほどだった。
 十二月二十四日、世間的に言えばクリスマス・イヴ。この日は龍二主催のボーリング&カラオケパーティーに参加した。
 龍二は俺と賢吾と薫を誘った。だが、彼女持ちの賢吾は当然先約がある。龍二は「これだから彼女持ちは」なんてブツブツ愚痴をこぼしていたが、俺が「別に賢吾が悪いわけじゃないんだし」となだめると、少し落ち着きを取り戻した。
 仲間内では俺と薫しか参加者が居なかった為、龍二はこの後、適当に男一人女二人を誘う事に成功し、全員出席で当日を迎えた。
 うまい事男女のペアが出来るようにしたのは、龍二の策略……もとい気づかいなのだろう。
 楽しいイブの夜になるものと思っていたが、最悪な事にボーリングは激しく苦手だった。今まで出したハイスコアも、百五十程度。
 嫌いな訳じゃないが、下手くそさをわざわざ人に見せるもの気が引ける。俺は、遊びと言うのを忘れ本気になってプレーした。
 企画者なだけに、龍二は上手い。女子にいい所を見せようと張り切っているんだろうが、それでなくても上手い。他の二人もなかなか。少なくとも俺よりはスコアがいい。
 少しばかり居たたまれない気持ちになった。けど、そこで逃げると余計恥ずかしい。俺は、最後の一球にかけてみた。
「……最後の最後ぐらい、いいとこ見せてやるってんだ」
 俺は頬を両手ではたくと、ボールを手に持って投げた。
 ボールは奇跡的にも真ん中を進み、どんどんピンへとその距離を縮める。景気のいい音でピンが倒れる。だが一番右端のピンだけ、見事に残ってしまった。
「うわ〜。おし〜な」
 龍二が言う。
 その一言が、俺の闘争心と言う炎をふつふつと燃え立たせた。ボールが戻ってきたらそれをすぐ持ち、狙いを定めて投げる。我ながらいい狙いだった。
「おし!! 行け!!」
 あと少しだ。あと少しで念願のスペアが。俺は生唾を飲んだ。
 だが、その願いがかなう事はなく、ボールは当たる寸前でガーターへ消えた。俺は悔しさのあまり、声を上げてその場に崩れた。ボーリング場の係員や他のお客さんから見たら迷惑そのものだろうが、俺はそんなの気にしなかった。
「ドンマイだね」
 薫が俺の肩に手を置く。
 その後二ゲームほどやり、それでボーリングは終了。引き続き一同はカラオケへと移動した。
 逆にここからが俺の見せ場だった。歌う事だけは、病的に上手かった。
 ボーリングで崩れたイメージを修正するように、俺はいつもより早いペースで歌い続けた。ロックは叫ぶように歌い、バラードはペーソスに力を入れた。ヒップホップは龍二と一緒になって、テンションを最大まで上げて歌った。
「歌上手いんだね」
 歌い終えて席につくと、いつの間にか隣に居た薫が言った。
「ちょっと意外かも」
「そうか?」
 テーブルのアイスコーヒーを一口飲むと、俺は続けた。
「下手に見える?」
「少し」
「でもさ、上手そうに見えて実は超ド音痴っていうよりはマシじゃん?」
 薫は「そうだね」と微笑した。
 暫くしてもう一口コーヒーを口に入れた時、俺の歌う番がやってきた。
「がんばって」
 後ろから聞こえて来た薫の言葉が、なんだか嬉しかった。


 午後六時。カラオケはどこも、六時ぐらいになると『高校生未満のお子様は保護者同伴』とか言って入れてくれない。
 嘘をついてまで長居したいと思うほど不満足な訳でもなかったので、俺らはそのままの足で飯を食いに再び外に出た。
 カラオケを終えた時点で、メンバーのほとんどが男女でペアを作っている。
 もちろん俺は、薫と一緒だった。今更、あまり会って喋った事の無い子と一緒ってのも面倒だし……と言うのが本心だった。
 暫くそんな状態で歩いていると、駅前という場所なだけに、周りの人の視線が気になってきた。
 この集団は、はたから見るとどんな集団に見えるんだろう。ダブルデートならぬトリプルデートと言った所だろうか。
「なんか私たち、デートしてるみたいだね。トリプルデート。なんちって」
 いきなり隣の薫が言い出した。その事に俺は驚き、薫の方を振り向く。
「……どしたの?」
 俺のその過敏な反応の仕方に、薫も驚いてしまったようだ。
「……もしかして同じ事考えてた?」
 けど俺は無視して歩く。
「……そんな訳ないか」
 なんだか寂しそうに薫は呟く。
 それを聞いたとたん、少し後悔した様な気がした。やるせない気分になって、ふぅと小さく溜め息をつく。
 この地方は、雪が降る事は結構まれだ。多分今年も雪は降らないと思う。でも、顔を刺すような冷たさは、雪が降ろうが振りまいが大差はない。
 思わず寒いと口走ってしまいそうだった。隣の薫も、多分考えている事は一緒なんだろう。手に息を吹きかけては、その両手をこすり合わせている。
「手袋でも持って来ればよかったのに」
「だってこんなに寒くなるとは思わなかったんだもん」
 そう言って、相変わらず手に息を吹きかける。
 かく言う俺も手袋の持ち合わせがなかったりする。とは言え俺の場合、寒いのは平気な人間だから、行動に支障はないのだけれど。
「……ねぇ勇ちゃん」
「ん?」
「手、つないでいい?」
「……ハァ?」
「だめ?」
「なんでまた……。それこそ本当のデートじゃんか」
「だって寒いんだもん」
「篠原が悪いんだろ? 手袋忘れてきたから」
「男の子でしょ? グダグダ言わないの」
 薫はそう言うと、無理やり俺の手を掴んできた。完全に薫のペースだった。と言うより、彼女は少しわがまま過ぎだ。
 だが、それはともかくとして、薫の手は驚くほど冷たかった。熱射病の時といい今回といい、つくづくかわいそうな子だと思ってしまう。
「うわ〜。勇ちゃんの手あったかいな〜」
 こっちは冷たくて冷たくて我慢できないのに、彼女は一人天にも昇る心地、と言ったように笑っていた。
「知ってた?」
「なに?」
「手の温度と心の温度って反対なんだって?」
「え?」
 薫は俺の言ってる事がよく分からないらしい。
「だから、手が暖かい人は心が冷たいって事。聞いた事無い?」
 薫は首を振った。そしてすぐに続けた。
「じゃぁ、勇ちゃんは心が冷たい人なんだ」
「今頃気がついたのか?」
「……ど〜ゆ〜意味?」
 俺は微笑すると、薫の手を振り解いた。
「早くしねぇと。皆もうあんな所だぞ」
 いつの間にか龍二達の姿は小さくなってしまっていた。
 俺は、薫がついて来られる程度に小走りをする。
「待ってよ〜。まだ手ぇ暖まってないんだから〜」


 夕食を食べ終え、男女のグループごとに帰路に着いたのは十時を過ぎた頃だった。
 まさかこの歳で『お持ち帰り』なんて事を考えてる奴なんていないとは思うが、とにかく、こんな夜遅くに中二の女の子を一人で帰すなんて、一男子として許せる行為では無いのは皆同じだったようだ。
「今日は楽しかったね」
 帰り道、薫は笑みを浮かべながら言った。
「ああ。龍二もうまい事やるよ」
「ほんとほんと」
 結局帰り道も、俺たちは手をつないでいた。
 でも不思議と、恥ずかしさは無かった。このスタイルが当たり前のような。そう。薫が俺の事を『勇ちゃん』と呼び始め、いつの間にかそれが当たり前になってしまった時とよく似ている。
 何もかもが当たり前になっている。
 何もかもが当たり前になっていく。
 それは、俺と薫の関係も例外ではないのだろうか。
 きっといつしか、気付かなくなるのかもしれない。他人に言われたり学習しなければ、地球が動いている事を知らないままのように。俺たちの関係も似たような――他人に言われなければはっきりとお互いを見つめなおす事が出来ないような、そんな関係に。
「今年も終わりだね〜」
「ああ。早いな〜。二〇〇一年ももう目の前か」
 彼女も「うんうん」と頷きながら、
「二十一世紀の幕開けだね」
 と嬉しそうに言った。
 何が嬉しいんだか良く分からなかった。だが改めて考えると、俺たちはその、世紀が変わる瞬間を味わえる。それがきっと嬉しいのかもしれない。俺自身そうだった。得した気分になる。
「……でも受験もあるんだよな〜」
 目の前に迫る現実。思わずそう愚痴ってしまう。
「勇ちゃんはどこ狙うの?」
「ん〜……入れる所に入る」
「も少しよく考えてみたら?」
「じゃぁ篠原は?」
 なんで薫はこんなに受験に対して前向きなんだろう
 俺はもう「落ちたらどうしよ〜、落ちたらどうしよう〜」と早くもノイローゼ気味なのにだ。
 とは言え、試験のほぼ一年前からノイローゼだなんて口が裂けても言えなかった。
「ん〜……勇ちゃんと同じ所」
 薫の笑顔を見て、一瞬鼓動が高鳴る。
「人の事言えるのかよ、篠原は」
 そう言いながら、軽く薫の頭をグーで叩く。あくまで軽くだ。
「よ〜く考えた結果、勇ちゃんと同じ高校に行きたいって結論になったの」
「そもそも何で俺なんだ?」
 自分でそう問いかけながら、自分で気恥ずかしくなった。
「だって……」
 そうためらう薫のせいで、余計に緊張してきた。
「……勇ちゃん、からかいがいがあるんだもん」
「……はぁ?」
 なんだか緊張していた自分がバカらしくなってきた。
「一緒にいて飽きないし」
 一人ハイテンションの薫に対し、俺は溜め息をついた。そしてそのまま、暗い家路を二人で歩いた。
「あ、ここでいいから」
 と、薫は暗いT字路で止まり言った。
「篠原は右?」
「うん」
「玄関前まで送ってくけど?」
「大丈夫。ここからほんとすぐだから」
 あまりしつこくしてもありがた迷惑だ。 薫がすぐ近くだって言ってるんだから、多分大丈夫なのだろう。
「分かった。じゃぁまた三学期にな」
 薫は「うん」と返事をすると、T字路を曲がっていった。と思ったら、すぐに立ち止まって振り向いた。
「勇ちゃん」
 少し大きめな声で薫は俺を呼んだ。
「ん? 何?」
「良いお年を」
 そう言って手を振る。
 俺も手を振りながら「良いお年を」と返す。
 一人帰路について、俺はもう一度、その言葉を心の中で復唱した。そして、来年が色んな意味で、本当に良い年になる事を願った。

 続く

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