初めて来た人へ

―第三話―

 先生曰く「中二の夏休みをどう過ごすかで、今後の進路に大きな差が出てくる」らしい。でも結局俺たち三人組の夏休みは、プールや映画に行ったり、原宿や柏などに出張ってばかりの夏休みだった。夏休み中に使ったお金は、少なく見積もっても七、八万は超すだろう。
 もちろん宿題はちゃんとやった。でも宿題と言っても、ページ数の少ない問題集が三冊ほど。後はやるやらない自由の読書感想文だとかそんな物ばかりだから、八月の頭にはすぐ終わってしまった。
 そんな夏休みもあっと言う間に終わりを告げた。新学期ということで、クラスではさっそく席替えが始まった。基本的にどこに座るかは自由で、男同士・女同士で隣になってもいい事になっている。ただ席を替えない事はタブー。つまり連続で同じ席に座る事はダメとされていた。
 賢吾の力を借り、俺たち三人は何とか窓側の一番後ろの席三つを確保した。後ろの二席には龍二と賢吾が座る。俺は前回の席で一番後ろだったため、前回一番前だった龍二に席を譲った。
 別にたいした差はないし、三人が固まっていればこれでいいかな、なんて思った。
「ねぇねぇ」
 突然声をかけられ、その方を向く。
「ここ、空いてたりする?」
 薫だった。
「空いてたらどうするの?」
 俺は分かりきった質問をした。
「座りたいんだけど」
 ざっと周りを見渡すと、もう空いてる席は俺の隣しかなかった。
 ――また一緒か……。
 ちょっとウンザリもしたが、心のどこかでは、少しホッとしている自分が居た。
「ダメ? 勇ちゃん」
 薫は『勇ちゃん』の所に力を入れた。周りの視線が少し痛かった。
 俺は暫く考えると、小さく溜め息をついた。
「どうぞお好きなように」
 薫は「やったね」と小さくガッツポーズをした。
「二学期もよろしくお願いします」
 クラスメートの視線がさっき以上に痛かった。


 体育祭の練習は、新学期が明けるのと同時に始まった。残暑がまだまだ厳しい時期、午前中の授業の八割は練習に消える。
 なんだってこんなに急いで体育祭を行うんだろう。せめてもうちょっと涼しくなってからでもいいではないか。などと愚痴を言っている暇でさえない様にも思われた。
 その日は入退場の練習の日だった。いつにも増して強い陽射し。最高気温三十度以上と今朝のニュースでやっていた。炎天には雲はなく、自然に日陰が出来る事はない。
 まさに地獄。きっと倒れる人も出てくるだろう。ただその第一号にならない様、俺は必死だった。
 順を追って開会式の練習をしている時、後ろの方で何かが倒れる音がした。とうとう倒れた人間がいる様だ。後ろがすこし騒がしかった。皆につられて俺は後ろを振り向いた。
 ――……あ。
 よく見ると、倒れているのは薫だった。俺はすぐさま駆け寄る。
「あ、海野君、保健委員だったよね」
 近くにいた女子の問いに、「ああ」とだけ答える。
 なるほど、こんな時こそ保健委員の出番ってわけである。彼女が次の言葉を発する前に、俺は薫を背負った。
 背中からも分かる。少し熱っぽい。
 俺はすぐに保健室へ運んだ。


 薫は、軽い熱射病と診断された。保健の先生曰く、暫く寝かせておけば大丈夫との事だ。
「まぁこの気温と直射日光じゃ無理ないわね」
 もっともだと思った。それでも尚練習を止めないのだから、この学校の先生はどうかしてると思う。
 本当に生徒のために働いているのだろうか。本当は給料の為だけに、仕方なく教師をやっているんじゃないのだろうか。そんな事まで思ってしまった。
「あ、海野君」
「はい?」
「この後練習……出る?」
「何でですか?」
 出る出ないの前に、基本的に出なきゃいけないはずなのでは。先生の言葉は、その考えを覆さんばかりの台詞だった。
「先生これから用事があってここを空けなきゃならないの。その間篠原さん一人になるでしょ? だから頼めないかな、彼女の看病。ホントは、海野君みたいなバリバリ思春期の男の子に女の子の看病任せるのは、保健の先生として気が引けるんだけどね」
「先生、それ言い過ぎ」
「あらそう? でも興味がないって言えばウソになるでしょ?」
 俺は言葉に詰まった。否定はしない。けどさすがにそれは言い過ぎだ。
「まぁ、海野君にそんな度胸はないか」
 付け加えるようにいい、ケラケラと笑い出す。
 正直この先生にはついて行けない。けど、おかげで練習をサボる口実が出来たのも事実。この手を逃すバカは居ない。俺は「分かりました」と答えると、長いすに腰掛けた。
「そう。ありがとう」
 先生はそう言うと、デスクに広げてあった資料やノートパソコンをしまった。
「よかったわね、練習サボれて。篠原さんに変な事しないでよ」
 そんな事を言い残し、教室を出て行った。
 やはり俺の真意は読まれていたのか。もっとも、これだけあからさまだとわからない方がおかしいのかも知れない。
 俺は窓の外に視線を向ける。炎天下、熱心に練習をしている生徒が見えた。こんな涼しい所でくつろいでいる俺の姿を見たら、皆どう思うだろう。
 想像しだしたその刹那、俺はすぐにそれを止めた。身震いがしてきたからだ。
 ――つーか……眠ぃ。
 俺はそのまま長いすに寄りかかると目を閉じた。溜まっていた疲れも手伝ってか、いつの間にか意識が遠のいていた。


 目が覚めた時には、時計は十二時を指していた。あと二十分ほどで午前の授業は全て終わる。外に目をやると、まだ生徒達は練習の真っ最中だった。
 ――よくやるよ。まったく。
 そう思いながら小さく溜め息をつくと、後ろでカーテンの開く音がした。
「……勇ちゃん?」
「おう、篠原さん。おきた?」
 どうやら保健の先生の代わりに俺がいる事に、少し動揺しているようだ。無理もないのだけど。
 俺は薫が校庭で倒れて、それを俺が運び、保健の先生の代わりに看病していた事を全て話した。すると薫は、さっきほど動揺はしなくなっていた。むしろどこか安心している、と言ってもいいだろう。
「……今、四時間目? まだ練習してるんだ、外」
 薫は外を見て言った。
「ほんと。いい根性してるよ、皆」
 俺は続けた。
「仮病でも使って休めばいいのに」
「それ、勇ちゃんの言うセリフじゃないよ?」
 痛い所をつく。
「何を言うか。俺は篠原さんの看病を――」
「それ」
 いきなり薫は、話を止めて俺を指差した。
「『篠原さん』って止めよう?」
 その瞬間は、彼女の言葉の意味が全く把握できなかった。
「え? じゃぁ篠原……で良いのか?」
 薫は小さく溜め息をついた。
「……ま、いっか。ホントは薫って呼び捨てにして貰っても良かったのに」
「それさ、付き合ってるように思われるよ?」
 そう言った傍ら、少し気恥ずかしくなった。
「嫌なの?」
「嫌なのって……」
 俺は少し動揺し、それでも何とか話を続けた。
「と、とにかく、『薫』って呼び捨てはまだ早いっつーか……別に『篠原』でも良いじゃん」
 薫がなぜそこまで自分の呼ばれ方にこだわるのか、その時はよく分からなかった。もしかしたらそれは、お互いをそう呼び合える仲になりたいと望んでいる、彼女の心境の表れなのかもしれない。
 けど、きっとそれは単なる俺の自惚れであり思い込みだ。俺は、その時はそう言い聞かせ、その話題を頭の中からかき消した。
 そんな話をしているとチャイムが鳴り出した。
「さてと。給食だ給食」
 俺は長いすから立ち上がると、教室を出ようとした。
「篠原。何してんだ?」
「え? あ、今行く」
 まだ保健の先生が帰ってくる様子はない。昼休みにでも顔を出せば心配ないだろう。
 薫が出たのを確認すると、俺は扉を閉めた。


「ずるい」
 龍二は給食の時間中、ずっとそれを連呼した。
「だ〜か〜ら〜」
 何回俺はそう説得しただろうか。
「これは保健委員としての務めであって、別に仮病を使ったわけじゃないの」
 だがまるで効果がない。
「しかもよりにもよって女子と一緒だったなんて!!!」
 思いっきり誤解されそうなセリフを大声で言った龍二に、俺は思わず箸を投げつけた。
「看病だ看病ッ! なんもやましい事なんかしてねぇっつーのっ!!」
 いい加減説得するのを諦めようかとも思う。こんなんじゃいつまで経ったってきりが無い。彼女持ちの賢吾はいたって冷静……と言うより、ハッキリ言って鬱陶しそうだった。
 床に落ちた箸を洗って戻ると、俺は給食の時間になって始めて薫の方を見た。ただ黙々とおかずをたいらげている。さっきまで熱射病とか言って寝ていたのがウソのようだ。
「……? どしたの?」
 どうやら長い間薫を見ていたようだ。箸を口に咥えたまま、彼女は俺の方を見て言った。
「いや。なんでもない」
 なんか少し気まずい。それもこれも龍二のせいだ。
「しかもいつの間にか呼び捨てにしてるしさ〜」
 今すぐこいつを追い出したい。
 俺は大きく溜め息をついた。

 続く

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