初めて来た人へ

―第二話―

 始業式とホームルームを終えると、少しだが自由時間が出来た。俺はさっそく龍二の居る席まで足を運んだ。
「何だかんだいって、結局篠原さんと良い雰囲気だったじゃん」
 先に龍二の所に居た賢吾が、からかうように言う。
「別にそんなつもりで話してたんじゃねぇよ。てか向こうから話しかけて来たの」
 そして、俺が橋本さんに告った事が学校中に知られてしまっている事も話した。だが二人は、いかにも今更って顔をしている。
 聞けばもう、その話は二人の耳に届いていたそうだ。結局俺だけ知らずじまい。とたんに空しさが沸いて出てきた。
「……はぁ」
 と溜め息をつき続けた。
「何だかな〜」
「……そんな事より、今日午前中で終わりだろ?」
 突然龍二が切り出す。
「どっかでかけねぇ?」
「そうだな。カラオケでも行くか」
 賢吾が提案する。
 久しぶりのカラオケ。気分転換にはいいかもしれないなと思った。
「勇樹はどうする」
 俺は迷わず「いいよ」と答えた。
 俺は既に、告って振られた事が皆にバレてしまっている、と言う事に対しての恥ずかしさが無くなっていた。やっぱ賢吾の言うとおり、この時期の恋ってこんなもんなのかなと、ついつい納得してしまうのだった。


 翌日にはもう本格的な授業が始まった。再来週の頭には学力診断テストが始まるからだ。とは言え、一年の授業内容の確認が主なので、あわてて勉強するほどの事でもない。
 でも、春休み中遊びっ放しで勉強らしい勉強は何一つしてなかったから、かんを取り戻さないといい結果が出ないのは至極当然。
 春休みボケを直す為、俺たちは今勉強している。
「……くそ〜……」
 しかしそう簡単に直るほど、春休みボケはあまくない。中一の問題が、思うように解けない。
「……え〜っと……アレ? 違った……」
 ふと隣から聞こえた薫の声。どうやら隣の薫も悪戦苦闘中らしい。
 ちょっと覗いてみる事にした。
「え〜っと……」
 なかなか苦労しているようだ。なんだか自分と同類の人が居て、少し安心した。
「……ねぇ」
 と薫。いつの間にか俺が覗いていた事に気がついたようだった。
「カンニングしないでよ」
「問題の解けてない奴相手にカンニングもクソもあるもんか」
 俺は冷静に言ってやった。
「酷っ。そうゆう海野君はどうなのよ」
 そう言って彼女は俺のノートを覗き込んできた。俺はすぐノートを閉じる。
「コラコラ」
 声を低くし、ちょうど今授業を行なっている先生のマネをしながら続ける。
「カンニングはいかんぞォ、篠原ァ」
「どうせ海野君だって解けてないくせに」
「何を失敬な。んな訳あるか」
 その言葉に少しムッと来た俺は、ノートを開くと彼女に見せびらかす。
「ちゃんと解けてるだろうが」
 すると彼女は笑みを浮かべ、
「答え見せてくれてありがと」
 と言って自分のノートに答えを書き写す。
 相変わらずなバカぶりを発揮してしまう自分に少々の自己嫌悪、そして後悔。
「ったく、うまい事やりやがって」
 溜め息混じりにそう言う。
「私の作戦勝ち」
 彼女はVサインをして笑いながら続けた。
「海野君って意外と単純だね」
「篠原さんがずる賢いだけ。俺はいたって……」
「『単純』の対義語は『複雑』だよ」
 彼女の視線は既にノートだった。
「そんな事も知らないの? 国語力ないね。日本人なのに」
 俺はフンと鼻であしらうと、イスに寄りかかった。
「でも確かに、海野君って複雑そうな顔してる」
「そうか?」
「なんか悩んでるの? やっぱり香の事?」
 俺は「違う」と即答した。
「もうその事は吹っ切ったつもり」
「『つもり』……ねぇ。心のどっかではまだ悩んでるんじゃないの?」
 そう言った後彼女は、「そうゆうの、なかなか忘れられないもんね」と付け加えた。
「さすがは失恋回数三回女」
「嫌な言い方ね。『人生のセンパイ』とかって言い方が出来ないの」
「そう呼ばれたい?」
「せめて『失恋回数』だけは止めて。言っとくけどかなり傷ついてるのよ、私」
 そう言った彼女の顔は、どこか寂しげで、悲しそうだった。
「……そりゃすまんかったね。センパイ」
 少し間をおいて俺は言った。さすがに言い過ぎたのかもしれなかった。でも、やっぱりどこか素直になれないようだ。少し顔が熱い。照れてるらしい。
「な〜んてね。実は全然傷ついてなかったりして」
 そう言ってちょこっとだけ舌を出す。
「……やっぱずる賢いよ、篠原さん」
「何か言った? 単純坊や」
 俺はまた、小さく溜め息をつく。
 ふと前に視線を戻すと、クラスの連中がニヤニヤしながらこっちを見ている。俺は暫く固まった。
「まったく。仲がいいのは結構だが、授業中にイチャイチャするのは止めろ」
 先生は呆れたように俺と薫に言った。とたんにクラス中が笑い出す。
 そっと彼女の方に視線を戻すと、彼女も耳まで真っ赤だった。


「よう。今日のテストどうだった?」
 いつもの様に俺たちは三人で、開けた田園風景の中を帰る。
 部活には一応所属している。その名も『帰宅部』。『部』がついているのだから立派な部活だ、などと無理に説得するのはダメなのだろうか。
「俺は普通だったかな」
 俺の問いに賢吾はそう答えた。
「結局一年の復習だけだったろ? ちゃちゃっとやってすぐ寝た」
 賢吾は仲間内じゃ一番頭がいい。蛇足ではあるが、顔もすごく整っている。所謂『イケメン』だった。
「いいよなぁ。賢吾は頭良くて」
 龍二は肩を落とす。
「俺なんか最悪だったよ。とくに英語」
 龍二は仲間内で一番頭が悪い。
 取り柄らしい取り柄のない、ごく普通の人間だ。顔はそこそこ。成績は中の下。でも明るく気軽に話せる。
 とにかく、どんな場に居ても自然とムードメーカーになれる資質があるのが、彼の特徴だった。
「俺は社会がダメ。日本史ってどうもな」
 俺の成績は、大体いつも中の中から中の上辺りをうろついてる。
「やっぱ春休み遊び過ぎたのが痛かったかな〜」
 俺はそう呟く。
「俺だって散々お前等に付き合わされてたんだぞ?」
 賢吾は言った。なんだか、遊んだ事を言い訳に使った事に苛立ちをおぼえてしまったようだ。
「俺らと賢吾とじゃ、もともとの出来が違うからだよ」
「ったく。またそうやって逃げる」
 龍二の言葉に、賢吾はさらに腹を立たせたようだ。
「まぁまぁ。終わった事をとやかく言ってもしょうがねぇって」
 龍二と賢吾の衝突はさほど珍しい事ではないが、基本的に俺は争うのも争ってるのを見るのも嫌いな人間だった。二人の間に入ってなだめる。
「……あ〜。なんかすっきりしねぇ。ゲーセン行こ、ゲーセン。格ゲーで勝負だ、賢吾」
「……やれやれ」
 俺はそう肩をすくめた。
「お前も行くだろ? 勇樹」
「嫌って言っても連れて行くくせに」
 それが龍二という男だ。
「OK。ただし龍二のおごり。今月厳しいから発案者のお前が全面負担な」
「げ。そりゃねぇよ」
 と嫌そうな顔をする龍二に、賢吾は何の遠慮も無く言った。
「『全面』ね。じゃ俺の分もよろしく」
「はぁ? 賢吾は自腹だ。当然だろ」
 龍二は即答する。よっぽど賢吾におごるのがいやらしい。
 結局ゲーセンに行くまでこの討論は治まらず、結果的に龍二は俺の分だけを負担する事で決まった。
 当然使った金は龍二に返すつもりだ。もっとも、いつ返せるかなんて分からないけど。


「賢ちゃん」
 翌日の登校中、聞き覚えのある声がした。
「おう、恵美。おはよ」
 賢吾は振り向き際に挨拶をする。品川恵美。賢吾の彼女だ。
「龍君に勇ちゃんもおっは〜」
 俺と龍二は軽く挨拶をすると、二人から少し距離を取った。
「だからさ、毎回毎回そんな気ィ使うなって、なぁ」
「そうだよ。別にジャマだなんて思ってないよ、私たち」
 二人はそんな事言うけど、一緒に居ると何だか恥ずかしいのが本当の理由。
「いいって、気にすんな」
 と龍二。
「なんか避けられてる気分……」
 恵美ちゃんはそう言うけど、何だか雰囲気的に入りづらいものがあった。
「恵美が話そって言ってるんだから話しに加わればいいじゃない」
 これまた聞き覚えのある声がした。俺は後ろを振り向いた。
 薫が、何故かそこに居たのだった。
「あ、薫ちゃん、おっは〜」
 薫も俺たち同様、軽く挨拶をしこっちにやって来た。
「でもま、あの二人の世界に干渉しないようにという心構えは素晴らしい。拍手を贈呈しよう」
 薫は一人で拍手をした。
「なんで篠原さんがこっちから?」
 俺は真っ先に頭に浮かんだ疑問をぶつける。
「何でって……こっちの地区に住んでるから」
 そうあっさりと答えた。今まで気付かなかった。
「もしかして小学校も一緒……とか?」
「もしかして知らなかった?」
 俺は頷く。
「ハァ? マジ?」
 龍二が割り込む。
「俺ずっと知ってったぞ?」
 人間とはじつに不思議だ。
 長年こうやって場所や道を共にしていたのに、その人の存在を強く意識しないと、今まで居た事に気がつかないのだから。
「そうだったんだ……わりぃ」
 俺はとりあえず謝る。なんか悪い事をした気分だ。いや、実際悪い事をしたんだ。でなければこの罪悪感の出所は一体どこなんだ?
「いいよ謝んなくても」
 彼女は笑顔でそう言った。
「それよりも……勇樹……勇ちゃん……か」
 いつの間にやら俺ら三人組は、恵美ちゃんから『勇ちゃん』『龍君』『賢ちゃん』と、まるで幼馴染であるかのように呼ばれていた。だが彼氏である賢吾は当然として、何で俺らまでそう呼ばれるのかは不明。賢吾曰く、彼女のポリシーなのだそうだ。親しき仲にはあだ名あり、と言う、何とも無理を押し通したような彼女なりのポリシーらしい。
 それを聞いた薫が、何かを思いついたようだ。その証拠が、今俺の目の前で見せている怪しい笑顔。
「よし。私もこれから、海野君の事勇ちゃんって呼ぼ」
「恥ずかしいから止めろよ」
 俺は即答した。正直この呼ばれ方はあまり好きではない。『勇ちゃん』なんて、まるで女の子じゃないか。
「もう決めちゃったもん。恵美ちゃんネーミングセンス、バッツグン」
「えへへ。アリガト」
 なんだかいいように振り回されているような気がしてきた。でもきっと、それは気のせいなんかじゃないんだと思う。

 思えば、ムシムシする六月下旬のこの日から、俺と薫の距離が縮み始めたんだと思う。

 続く

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