初めて来た人へ

―第一話―

 放たれた矢はその軌道を変える事無く、的へと吸い込まれた。
 的紙をピンポイントで貫く清々しい音が、燦々と日の照る昼間の空に響いた後、控えで正座している部員たちが「よ〜しッ!」と声をあげた。
 高校の時から続けている弓道も今年で四年目になった。自分ではあまり自覚は無いが、客観的に見るとそこそこ腕は良いらしい。最初は単なる暇つぶしで始めた弓道ではあるが、その魅力にドップリとはまり込んだのは、単純に面白かったと言うだけではなかった。
 部活は違えどいつも応援してくれた人が居たから、ずっと続けられたんだと思う。
 今日の成績は、二十本射った内十五本が的を射た。内、皆中(かいちゅう)――つまり四本全ての矢が的を射たのは三回。俺からすればたいした事は無いのだが、大学に入ってから始めた人にとってはすごい事らしい。もっとも俺にも、高校の時は今の自分みたいな人にそんな憧れを抱いていた時期があった。
 部活が終わると、俺は友人達三人と大学に程近い場所にある喫茶店へ寄った。その友人の中には幼馴染の龍二と賢吾も居た。何だかんだで長い付き合いだ。
「けどマジすげぇよ。勇樹は」
 同じ部の知也にそう声をかけられる。
「今日の成績。先輩顔負けじゃん」
「そんな事ねぇって」
 俺はあくまで否定的に返す。
「練習しだいで上手くなっから」
「ホントかよ。俺なんかちっとも当たらねぇのにな〜」
 だが、正直知也の筋は悪くは無かった。飲み込みも早いし、それなりに最初から筋力があるほうだから、すごく安定している。今後の成長が楽しみだった。
「あ、でも俺一つだけ勇樹に勝てることがあんぞ」
 その一言に皆がいっせいに知也に注目する。彼は携帯に貼ってあるプリクラを見せびらかした。
 そこには知也とその彼女らしき女の子が、幸せそうに笑みを浮かべて写っていた。
「交際二ヶ月目。かわいいっしょ」
 だが俺たち三人は、「な〜んだ」と言った表情で知也の顔を見た。
「な……なんだよ、その目は」
「なんだって言われても……なぁ」
 と龍二は俺と賢吾の顔を見た。
「え? 三人とももう居んの?」
 と、知也は改まったように言った。
「いや。こいつだけ」
 賢吾はそう言って、俺を親指で指差した。
「勇樹に? 聞いてねぇぞ」
 それは当然の事だった。なぜなら智也にその事を言っていなかったのだから。
 俺は左手の薬指にある物を見せた。
「……指輪か……ああッ!!」
 何の飾り気もないシルバーリングに込められたある想いを、彼は悟ったようだった。
「……結婚指輪……なのか?」
「いや。婚約指輪」
 と俺は訂正した。
 そして俺は携帯を取り出して開き、ディスプレイの下に張ってあるプリクラを見せた。
「この子がその相手? って言うかなんかそのプリクラ少し古くね?」
「もう二年近く、機種変の度に張ったりはがしたりしてたからな」
「二年?」
「ああ」
 指輪が約束の証にして二人をつなぐ絆なら、さしずめプリクラは思い出の形と言った所だろうか。
「今は遠距離恋愛中だ。もう四、五年付き合ってるかな」
 それを聞いたとたん、知也は肩を落とした。
 それを見て俺は少し勝ち誇った気持ちになった。
「なんなら、その生い立ちでも聞いてみるか?」
 からかい半分に聞いてみると、彼は意外と身を乗り出してきた。なんだかんだで興味津々と言った様子だ。
 俺はその様子を見ると微笑し、そして語りだした。
 全ての始まりは六年前。
 その時俺たちは、まだ中学生だった。


「……五組……か」
 中学二年の新学期の朝、俺はクラス分けの用紙を見て呟いた。
「俺も五組だ。また一緒だな」
 と賢吾。
「うわ〜、偶然。俺も一緒だよ」
 と龍二。
 俺と賢吾と龍二は小学校の頃からの幼馴染で、何をするにも三人一緒だった。クラスも小三の頃からずっと一緒だった。
 とにかく俺たちは、所謂腐れ縁というやつだった。
「……これってやっぱり、誰かが故意にやってると思うんだよ、俺」
 などと言ってみる俺。でも、さすがにここまで都合よくクラスが一緒だと、そう思いたくもなる。
「いったい誰だよ、そんな事するヤツ」
「……さぁ」
 龍二の言葉に対して、俺は肩をすくめた。龍二は続けた。
「とにかく、何言ってもこれからまた一年間、クラス一緒なんだ。よろしくな」
「何を今更」
 俺と賢吾は声を揃えてそう言った。


 教室に行くまでに、俺はざっと、これから一年間よろしくされるクラスメートを確認した。その中に、俺にとってあまり顔を合わせたくない人の名前があった。
「……見つけたか?」
 俺の様子の変わりようを悟ったのか、賢吾が言った。
「ああ。また一緒なのか。気まずいな、お互いに」
「まぁ、とやかく言っても始まんないって。一緒なら一緒で別にいいじゃん。お前が告って玉砕しただけだろ」
「それを言うなって……」
 俺は目の周りを腕で拭うふりをした。
 一年生の終わりに、俺は生まれて初めて、異性に告白したのだ。
 その子の名前は橋本香苗といい、誰と話しても、女の子と言ったらその子の名前が出るほど知名度が高い。大人びている訳ではなく、むしろまだあどけなさを残している。だが、それでいて凛としている。そして誰からも好かれる。
 だが、俺が告った時には既に彼氏持ち。俺の短い青春は、あっけなく終わってしまったという訳だ。
 よりにもよって、またその子と同じクラスになるとは思ってもみなかった。
「でも案外、向こうはそんな事思ってなかったりして」
 龍二の、刺のあり過ぎる言葉。俺はさらに落胆した。
 俺が橋本さんに告った事を、この二人は知っている。昔からお互いに、「三人の間に秘密は無し」なんて言い合って来ているから、もちろん俺が橋本さんの事を好きな事も二人に言っていた。
「そう気を落とすなって」
 賢吾が慰めの言葉をかけてくれた。
「この時期の恋なんてそんなもんだ。大丈夫。すぐ他に好きな人が出来るって」
 その台詞は、既に彼女の居る賢吾だから、大人しく耳を傾けられる言葉だ。これを龍二が言ったらどうだろう。多分「知った風な事を言うな!!」とか言って即殴り掛かっているだろう。
 そんなこんなの会話が一段落した頃、いつの間にか教室の前に来た。教室に入ると、黒板に書かれた席順の通りに、俺たち三人は分かれた。
 名字が海野の俺は、一番廊下に近い席の一番後ろの席。一番窓際の一番後ろの席同様、席替えの際激しい争奪戦が行われる席だ。
 龍二の苗字は鳴嶋。だから席は真ん中の最前列。
「最悪だし〜。寝れねぇじゃん、この席」
 と、そうそう愚痴をこぼす。寝る事が既に前提になっているという時点でとても彼らしいと思い俺は苦笑した。
 余談だが、実は龍二のような教卓に一番近い席が、一番寝ててもばれないものだ。寝かたによっては、実際ちゃんと起きていて授業を聞いてるようにも見える。
 俺の席は、小声なら喋っていてもバレないと言うのが最大の利点だ。寝ているとすぐバレてしまうが、基本的に俺は寝ないほうだし、喋っていれば寝ないですむ。
 賢吾の苗字は守岡。一番窓際の席の真ん中ぐらい。特にこれと言った長所も無く、また短所も無い普通の席だった。
 暫く周りの男友達と喋っていると、先生が入ってきた。先生の話がスタートすると、辺りは静かになった。退屈な時間の始まりだ。
「ねぇねぇ海野君」
 暫く先生の言葉に耳を傾けていた時、突然隣の子が話しかけてきた。
「あ、えっと……」
 失礼ながら見覚えがなかった俺は、名前を確認するために黒板に目を向ける。
 篠原薫。俺の名前の隣にはそう書かれていた。
「えっと……篠原……さん、だよね。何?」
「海野君でしょ、香に告ったの」
「……」
「……あれ? 違った?」
「……なんで篠原さんが知ってんの? その事」
 賢吾と龍二は、仲間内の秘密を軽々ばらす様な口の軽い奴等じゃない。「許可なしに仲間内の秘密をばらす事は御法度」なんて言い張っている様な奴等だ。
 もちろんばらしてよしと許可を出した覚えは無い。
 橋本さんが自分から言うとも思えない。
 ――じゃ、いったい誰が……。
「何でって有名だよ」
「有名?」
「それとも、みんなにバレてる事自体知らなかった?」
 俺は黙って頷く。
「誰が言ったの? 橋本さんが言うとは思えないんだけど」
 俺がそう言うと薫は、
「香の彼氏しかいないじゃん」
 俺は思わず納得してしまった。
「え? じゃぁもしかして、これって秘密でも何でも――」
「無いね」
 彼女はあっけらかんと言った。
 おもわず顔が赤くなったのが分かる。顔がすごく熱かった。
「ま、しょうがないよ。一回ぐらいの失恋で気を落としてたら人生やってけないって」
 やけに知った風な事を言うと思った。
「じゃぁ篠原さんは、失恋した事あるの?」
 本来こんな事を堂々と聞くのは、人として間違ってる事だと分かっていた。でも、なんか納得がいかなかった。
「……女の子のプライバシーに首突っ込むの?」
 彼女はそう言って続けた。
「あるに決まってるでしょ。三回失恋してる」
「そんなに?」
「一回は小学生の時。もう二回は中学になってから」
「小学生で一回? そんなの失恋て言うのか?」
「当たり前でしょ。立派な失恋」
「なんか一回ぐらいでこんなにへこんでる俺がバカみたいだ」
 そう言うと彼女は微笑しながら、
「これも人生経験のうちだよ」
 なんて、慰めなのかどうかすら分からない言葉をかけてくれた。
「海野君って結構面白いね」
「なんだよ、ヤブカラボウに」
 篠原さんのその笑顔を見ていると、顔が熱くなってくる。
「でも私の勝ちだね」
「何が?」
「人生経験の数」
「失恋の数……の間違いじゃなくて?」
 すると彼女は頬を膨らませた。
「そ〜ゆ〜事言うな」
 そして俺の頭を叩いた。結構痛い。
「って〜な。何だよ、いきなり」
 そんなやり取りをやっていると、先生が「痴話喧嘩ならよそでやれ」なんて言い出した。刹那、クラス中が笑いの渦に飲み込まれた。
 俺と薫は、顔を赤くしながら、それぞれをお互いのせいにして喋るのを止めた。

 これが、俺と篠原薫の出会いだった。

 続く

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