初めて来た人へ

―第十五話―

 夕食をとった後、またしばらく散歩をした。夜九時になっても街の人だかりが治まる様子は無かった。むしろ一時間前よりも増えている。そんな錯覚さえ覚えそうなほどだった。いや。実際増えているかもしれない。
 時々コンビニに入り体を温めたりしながら薫と色々な事を話した。去年のクリスマスは結局どこも行けなかった事を話の過程で思い出した。
 その事を話すと彼女は「受験だったからね」と許してくれていた。
「今頃後輩たちも頑張ってるのかなぁ」
 薫はコンビニの窓を隔てた空間に目を向けた。俺もどこを見る訳でもなく、窓の外に目を向ける。
「……勇ちゃん」
「ん?」
 薫のほうに目を向けた時、彼女は少し俯いた状態だった。どこかセンチメンタルな表情をしていた。
「今から中学校に行かない?」
「今から?」
 そう聞き返すと彼女は頷いた。
 俺は黙って彼女の手を取るとコンビニを出た。そして街を離れ、次第に寂しくなって行く暗い道を歩いた。
 途中川沿いに進路をとり、そこと繋がっていた湖の畔を歩いた。水の冷気で一段と寒かったが、この方が近道だった。
 それに薫と手をつないでいると、その寒さが和らいだ。
 街灯は少なく、そのためか月明かりが異様に眩しい夜だった。空には冬の星座が彩られていた。時おり二人で正座の探しっこをして歩いた。
「オリオン座、分かる?」
「馬鹿にしてるでしょ」
 前例がすでにあるからな、と言おうとしたが止めた。薫はすぐにオリオン座を見つける事ができた。
「オリオン座を作ってる星の内の左上の星と、こいぬざ座とおおいぬ座を作ってる星のそれぞれ一つずつを全部つなげたのが冬の大三角。分かる?」
 彼女は目を細めたり、俺の腕の下にもぐりこんで指差す方向を調べたが、結局「微妙」と言った。
「冬の星座って、一般的には『オリオン』『おおいぬ』『仔いぬ』『双子』『おうし』の六つが有名だけど、他にも『一角獣』とか『ハト』『うさぎ』なんかもあるんだ」
「理科の教科書に載ってたっけ?」
「『ハト』と『うさぎ』は無かった気がする」
 俺はテレビでこの事を知ったと彼女に言った。昔から、サイエンスチックな番組が好きだった。
 やがて小高い丘のふもとに着いた。中学校はここを登った先にある。坂は、いわゆる『いろは坂』だった。俺たちは毎日ここを登って通っていた。
 学校はレール状の鉄扉でしっかり閉められていた。だが俺はそれに手をかけ、軽くジャンプして体を一気に向こう側へ持っていった。
 薫は両手をかけ体を持ち上げると、またぐ様にして鉄扉の向こう側――俺からするとこっち側へ移動した。途中彼女のスカートがめくり上がって中が見えたが、見て見てないフリをした。
 暗く静まり返った中学校。たくさんの懐かしさと同時に、少しの恐怖を感じた。
 人が居る気配はない。職員室に明かりが灯っているが、カーテンの隙間から覗いて見ても人の居る形跡はない。
「防犯の為に電気つけてるんじゃない?」
 彼女の言葉に俺は「なるほど」と感心した。
 久しぶりに校庭のトラックを走ることにした。なぜしたかったのか分からないがそうしたかった。もしかしたら、冬にマラソンをしていた時の光景が、無意識にフラッシュバックしたからなのかもしれない。とにかく衝動的に走り出した。彼女は、朝礼の時とかに先生が登って退屈な話をする鉄の台に座っていた。
 確か前に、このトラックは一周二百メートルと聞いた事があった。俺は五週で音をあげた。つまり一キロでギブアップ。情けない。
 薫の元に返ってくるなり、彼女は俺に抱きついた。
「暖かいなぁ。勇ちゃん」
「俺は動くカイロか?」
 そう微笑した。
 校舎の中に入る手段は残念ながら見つからなかった。もっとも、そんな事をしてばれたらとんでもない事になっていたから、半ばホッとしていた。
 校舎の裏の方に回り、中庭についた。ここには小さい池がある。小さな池は、噴水のようだけど噴水じゃない、小さな管から漏れる様にして出てくる水のおかげで、全体は凍らずにすんでいた。
 とは言えこの気温だ。池の端っこの方は薄い氷が張っていた。
 池を囲いそれに背を向けるようにして四つのベンチが設置してあった。それの一つに二人で腰を下ろした。
 イスの冷たい感覚が一気にお尻全体を襲った。背もたれにもたれかかると、小さくミシッと音がなった。
「やっぱここは和むなぁ」
 俺はそう言いながら伸びをした。
「私も。ここが一番好きかも」
 その言葉を最後に、沈黙。噴水の音と遠くの車の音がかすかに響いていた。
 そんな中、俺は自分の鼓動がどんどん上がって行くのに気がついた。最初はどこか心地よさがあったが、もうすでに手に負えず、今すぐどうにかしたいと思い、そう願うほど、苦しかった。
 その刹那、突然隣でくしゃみが聞こえた。振り向いた時、彼女が口の周りを手でおおい、二度目のくしゃみを繰り出そうとした。
 そして繰り出した。俺は自分のマフラーを解き、彼女に巻いてあげた。
「……ありがとう」
 彼女がそう言った時、自分の手はまだ彼女の肩の上にあった。その手に少し力が入ってしまった。なぜだか分からない。この緊張の表れなのだろうか。
「勇ちゃん……?」
 薫の言葉が、まさにスイッチだった。
 俺は彼女とキスをした。少し長いキスを、この暗がりの中で。
 そのキスを一度やめ距離を取る。彼女の顔が仄かに赤く染まっていた。
 俺は彼女に、少しだけ舌を出すように言った。俺の手本どおりに彼女は舌を出した。そしてその状態のまま、またキスをした。俺も舌を出し、そして彼女の口の中に舌を入れ、何かを探るように動かした。
 口の周りから、水をかき回した時のような音が聞こえてきた。顔の位置をずらしながら、何度も、そして長く、今までした事の無い濃厚なキスをしあった。これをディープキスと言うのだろうか。
 薫は最初腕で俺の体を押すように、拒絶的な反応があった。だがもう今は全くの逆で、俺の首の後ろに腕を回していた。
 キスを終えると、薫の左側に居た俺は体をその位置にしたまま、顔だけを薫の右側に持っていった。
 そして彼女の顔を左に向かせ、右耳の裏に、軽く舌を当てた。
 とたんに彼女は驚いたように小さく声をあげた。俺は、今度はそこに唇を当てる。キスからなめる行為へと移行した。彼女はくすぐったそうな声をあげるようになった。舌で耳の裏をなぞった。そして下に移動し、耳たぶを優しく噛んだ。彼女は肩をびくつかせ、小さい溜息をついた。
「勇ちゃん……」
 彼女の声と息遣いが耳元でした。
「勇ちゃん……止めて……」
 俺はまた舌でなぞる様にしながら位置を下にずらした。顎の輪郭をなぞり、途中で何度かキスをした。
「お願い……止めて」
 彼女の拒絶の色が目立った。だが俺はもう無我夢中で、彼女の口を塞ぐようにまたキスをした。彼女はまたあえいだ。それがいとおしく、この欲求をさらに増強した。
 とうとう自分の手が動き出した。コートの隙間に手を入れ、服の上から彼女の体をなぞる。
 夏に見たあのスレンダーな体を少し思い出しながら、くびれを捜し、少しずつ上へ移動する。そして、服の上からでも分かる、彼女の胸に手を置いた。
「止めてっ」
 彼女の力が強くなり、俺はそこから引き離された。瞬間、自分のした事の重大さがやっと分かった。
「ごめん……」
 そう謝るしかなかった。
 彼女はかすかに肩で息をしていた。顔も真っ赤で、俺が舌でなぞった辺りを手で辿っていた。
「……するならするで……ちゃんとした所でしようよ」
「今からどっちかの家に行く?」
「そ……それは無理。親居るし」
 もっとも、俺も無理なのだけれど。
「ホテルとか?」
「とにかく外はヤダ。寒いし……初めてが外だなんて恥ずかしいよ」
 俺はもう一度謝ると彼女の手をとった。
 そして、懐かしい中学校を後にした。


 有川に聞いた情報が初めて役に立った気がした。有川は学校でバンドを組んでいて、そのバンド名になぜかラブホテルの名前を使っていた。
 だから、仲間うちじゃ一番そういう情報に詳しく、場所も教えてもらっていた。
 一度街のほうへ戻った。時計は十一時。段々と人もまばらになっていた。
 街中から路地に入った。そこをさまよいながら、有川から聞いたホテルを見つけた。薫の手がかすかに震えていた。怖いのかもしれない。当たり前か。
 意を決して、俺達はホテルに入った。イメージとは裏腹に、清潔そうな雰囲気だった。部屋を選びお金を入れると鍵が出てきた。それを取り奥の方へ向かう。その動作一つ一つが緊張だった。例えばクラスメイトの前で何かを発表する時のような……いや、それ以上の。
 部屋に入ると、薫が先にシャワーを浴びにいった。とはいえ、シャワールームはガラス張りでこっちからも何の抵抗も無く見えてしまう。
 俺は背を向け見ないようにしてベッドの縁に座った。
 緊張のせいか落ち着かず貧乏ゆすりを繰り返していると、バスローブ姿の彼女がやって来た。俺もシャワーを浴びにいった。外の寒さから一気に解放された気分になり、結構気持ちよかった。
 今になって再び迷いが生じた。このまま薫と体を交えて、後悔はしないのだろうか。中学校の裏庭であんな事をしてしまい今に至っているが、本当は彼女はいやんじゃないのだろうか。セックスと言う行為その物が。
 バスローブに着替え、ベッドに座っている彼女の隣に座った。
 しばらくの沈黙。やがて彼女が口を開いた。
「私は構わないんだよ」
 薫は続けた。
「好きな人となら全然平気……。すこし怖いけど……私は勇ちゃんとならしても平気」
「……薫……」
 俺がそうつぶやいた時だ。彼女は俺をベッドに押し倒し、またキスをした。ディープキスを。
 彼女はバスローブの隙間から見える俺の胸板にキスをし始めた。時おり俺の反応を見るように上目遣いになる。仄かに頬を染め、やけに色っぽかった。いつもの薫じゃない様な感覚さえあった。
 俺の勘違いだった。俺も彼女も、お互いを本当に求め合っていた。
 迷う事はもう無い。お互いを好き合い、本当に求め合った時にする行為。それがセックスだ。
 今度は俺が薫を押し倒し上になった。
 そしてまたディープキスを交わした。何だかんだ言って、俺も彼女も結局このキスが好きなのかもしれなかった。
 俺はキスをしたまま、彼女のバスローブの中に手を伸ばす。
 彼女の肌の感触が直に伝わってきた。そして手でさするように探り、彼女の胸に行き着いた。
 細く喘いだ後、
「……小さくてごめんね」
 と彼女ははにかんだ。
「大きい人ってあまり好きじゃないし。否定するわけじゃないけど、俺は控えめの方が好き」
 彼女は「ありがとう」とつぶやいた。
 バスローブのヒモを解くと、目の前に薫の裸体が横たわった。綺麗にくびれた腰。控えめな胸。全てがいとおしい。
 胸に顔を近づけ、優しくキスをし、舌でなぞった。そしてそっと乳首を口に含み、歯を当てた。
 彼女は肩を小さくびくつかせ、耐えかねたように小さく、そして細く喘いだ。
 空いた掌でもう片方の胸を包む。
 乳首から口を離し、彼女の首筋にまたキスをした。そして下腹部の方へと手を伸ばした。
「……勇ちゃん……」
「ん?」
「……好き」
「俺も」
「……ねぇ……勇ちゃん」
 俺は横たわる彼女と向き合った。泣いていた。涙が細く流れていた。
 俺はそっとそれを拭い「痛かった?」と聞く。彼女は「嬉し涙」と言ってまたはにかんだ。
「……お願い。やさしく……ゆっくりね……」
 俺は言葉で答える代わりに、微笑んでまた唇を重ねた。


 どれくらいの時間が経っただろうか。窓の外はもう明るかった。
 俺は、裸で丸くなっている薫を囲むように、丸まって眠っていたようだ。かけ布団を彼女の肩が隠れる程度しかかけていない為、俺は少し肌寒かった。
 ふと薫の体が動いた。目を覚ましたようだった。時計を見た。もう朝の八時を過ぎていた。
「おはよ」
 俺はそっと声をかける。彼女はもぞもぞと体を動かすと、自分の顔を俺の顔の前まで持って来た。そしてまたキスをした。やけにキスの数が多い事に気がついた。
 その後、小一時間ほど眠り、ホテルを後にした。冬の朝は、寒いけど空気が澄んでいる気がした。深呼吸をすると、肺に冷たい空気が入り込み、少し気持ちよかった。吐く息は白かった。
「これからどうする?」
 俺は彼女に聞いた。
「朝ごはん、食べに行こうよ」
「そうだな」
 俺は薫の手を取って歩き出した。
 街にこだまする車の音が、今は全く気にならなかった。

 続く

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