初めて来た人へ

―第十四話―

 弓道の新人戦の結果は、自分的には「何だかな〜」といった具合だった。
 他の部員も似たような境遇にあったし、先輩達も「落ち込む事じゃないよ」とか「デビュー戦だから」と声をかけてくれた。けどやっぱり俺的には、『なぜベストを尽くさないのか』改め『なぜベストを尽くさなかったのか』だった。
 それに、弓道の試合と言うのはそう頻繁に行われる行事ではない。と言うより、試合ではなくむしろ大会と呼ぶほうが相応しい。
 小さな大会ですら、年にほんの数回しかないのだ。それだけ大会への出場回数が希少になると、一回一回の大会を大事にしなくてはならない。練習試合とかいう物は、最初から無いのだから。
 大会が終わった後も、当然のように練習が入る。それもほぼ毎日。午前中という比較的涼しい時間帯なので部活自体はそれほど大変ではなかったが、その後のスケジュールがどうにも上手く組めず、なかなか苦労を強いられた。
 高校生ともなると、夏休みの課題は侮れない物になっていた。
 だがそれから間も無く、平日の午前は部活、午後は勉強、夕方以降は自由時間と、きちんとスケジュールが組めている事に気がついた。そしてそれを基本に、週末の午前は部活、そして午後は薫や賢吾達と遊ぶ時間をきちんととるようにスケジュールを組み、残りの夏休みをそれなりに有意義に過ごした。
 夏休みが明けた頃になると、それなりにクラスにも馴染めて来て、第一印象を改め、気軽に声をかけられる友達も増えた。
 賢吾や龍二達との付き合いも相変わらずだが、クラスメイトとのコミュニケーションも大事だと思い、特に昼飯の時はその友達等と固まって食べる事が多くなった。もちろんそのなかに龍二もいる。
 そんな、薫と食べる日と皆と食べる日を交互に繰り返すスタイルが段々と日常になりつつあったある日。いつもの様に皆とつるんで昼飯をとっていた時、先日のお笑い番組の話から俺と薫についての話に話題の路線が変わった。
 大体の生い立ちは既に話していた。だから話題は、近状報告的な物になった。
「まだヤッてねぇの?」
 高野のストレートすぎる表現。正直、嫌いだ。大体、なんで皆女と付き合う事とセックスがつねに同義なのだろうか。
「一年近く付き合っておいて?」
「あり得ない」
 高野の次に有川が言い、続けた。
「それともあれか。卒業するまでお預けってヤツか?」
「そういう訳じゃねぇけど……」
「ドカンと一発ヤッちまえ」
 と吉田。彼は続けた。
「案外向こうも待ってるかも知んないぜ」
 そう言われ、視線は自然と薫の方へ向いて居た。
 クラスの端っこ辺りの席に五人で集まっている俺達の、ちょうど対角線上の真ん中辺りに居る六人ほどのグループ。その中に、薫は居た。
 彼女も、第一印象を改め頻繁に会話に参加するようになって居た。俺も知っている彼女の笑顔。他者にもその笑顔で接する事が出切るようになった事に安心しつつ、どこか勿体ないと思うところがあった。
 彼女とのそう言った行為を意識した事が無いと言えばウソになる。だが、実際はするタイミングも無いし、そもそもそんなに進んでしたいとも思わない。
 高野や有川、吉田を例にとる、と言う言い方をすると聞こえが悪くなるが、俺は彼等みたいに『付き合う事=セックス』と言う等式がスンナリ成り立つような人間じゃないし、理解もできない。けど、お互いを好き合い、本当に求め合った時、やっぱりそれも愛情表現として自然な行為なのかな、とも思ってしまう。
「応援してるぞ。色男」
 高野は半ばからかう様に言い背中を叩いた。


 一度意識し始めると、深く且つ長く考え込んでしまうのが俺の癖だと、以前賢吾達に言われた事がある。
 全くもってその通りだった。もう頭の中は薫でいっぱいだった。
「勇ちゃん?」
「……はい?」
「どうしたの? 考え事?」
「まぁそんなとこ」
「今回のテストの成績散々だったもんね〜」
「それ言ったら薫だって同じだろ? それにテストの事じゃないから」
「ふうん……悩み事なら言ってね」
 正直言えない。薫はセックスについてどう思う? なんて、死んでも言えない。もっとも、死んだら何も言えないけど。
 俺はとりあえず「ああ」と言っておいた。
 薫とたどるこの家路も段々と見慣れた風景になっていた。この時間帯の住宅の様子、におい。全てがいつもどおりのように思える。
 それを体感してしまうと、規則性が無さそうな自然の中にも実は規則性がある物なのだな、と思った。そしてそれは色恋沙汰にも同じ事が言えるのかなと、ふと疑問に思った。
 人を好きになって、告白したりされたり。その人と付き合う事になったとして、一般的且つ自然な流れから言えば、こうやって意識し悩む事も至極当然なのだろうか。
 別にいつまでも童貞だからと、俺は焦ったりはしない。そういう、つまり二人が一体となってする事は、やっぱり時間をかけた方が良いのかも知れない。
 それこそ、セックスをしたと言う結果よりも大事な気がした。


 付き合って一年目記念日は、結局特に何事もなく、二人で出かけて終わった。それを話したら、高野たちは揃って俺の事をバカ呼ばわりした。
「あのな」
 と、高野は続けた。
「さすがに付き合い始めて一年経ってもキス止まりはヤバイって。いろんな意味で」
「……やっぱそうかな」
 正直俺も不安になっていた。欲求不満とか童貞だからとか、そういう訳ではなく。完全に世間の一般論にのまれていた。
「こうなったら何としてでもクリスマスに仕掛けろよ」
 吉田の言葉に対しての返事を出さずに、俺は少し考え込んだ。そんな流れでしてしまって、本当にいいのだろうか。
 緊張とある種の恐怖とが決意を遅らせていた時、高野・有川・吉田が「いいな!」と念を押したので、俺は思わず「はい!」と答えてしまった。
「分かればよろしい」
 あんたら何様だよ。心の中で突っ込んだ。


 そして結局クリスマス・イブ。天気予報によると、結局今年も雪は降らないらしい。寒い夜だったが、年に一度のイベント事なだけあって、当然のように街は混雑していた。
 最初は流れに任されていたとは言え、ここまで来ると自分の決意も固まっていた。今日こそ彼女と一つになろう。ズルズルと今の状態を引きずるのは、お互いの為に良くない。
 俺の勝手な考えかもしれない。だが、誰も真実なんて分からないんだ。二人の真実は二人で見つけるしかない。片方が動く気配を見せないのであれば、もう片方が引っ張ってあげるしかない。
 薫と駅前で待ち合わせた。俺は集合時間の五分前に駅前にやって来た。丈の短い薄茶色のトレンチコートに身を包んだ彼女は、それから五分ほど経って、手袋をはめた手を振ってやって来た。
 最初は薫と街を散歩した。いたる所で輝きを放っているイルミネーションを二人で見たりしながら居るだけでも、十分楽しかった。
 そんな事をしていた時、二人して重大な事を忘れていた。クリスマスプレゼント。まだ何も用意していなかったのだ。
「じゃぁ三十分後にここに集合でいいよな」
「うん」
 しょうがないので今すぐ別々に行動し調達する事にした。とは言え予算はお世辞にも多いとは言えない。クリスマスの食事をマクドナルドで済ませる訳にもいかないから、そこそこ予算を残しつつ選ばなくてはならない。
 ――まいったな……
 途方にくれていた。
 その時、俺は自分の首に下がっている物を見つけた。中三の誕生日の日に彼女からもらった、オニキスのペンダント。俺も何か、こういったアクセサリーをプレゼントしよう。
 そう思って訪れたアクセサリーショップだったが、甘く見ていた。種類も豊富、デザインもよく、プレゼントには持って来いだ。だがとても今の予算だと買えない品物ばかりだった。
 一番シンプルなクロスのシルバーアクセサリーだって、安い物で六千円。
 ――結構持って来たつもりだったんだけどなぁ。
 店員に聞こえないように小さく溜息をつき、店を出た。
 しばらく他の店を探してみたが、なかなかそれらしい店が見つからなかった。
 ――まいったなぁ
 そう思っていた時だ。露店が目に止まった。露店は、売り物こそ本物では無いが、ぱっと見、それを簡単に見分けられるほど造りがダメなわけでもないし、何より値段が手ごろだった。
 本物じゃないから彼女に悪いかもしれないが、すでに足はそこへ向かって動いているのだからしょうがない。
 外国人女性が、パイプ椅子に座って足を組みタバコをくわえていた。足元には日本製の暖房があり、露店の周りは仄かに温かかった。
 黒いシートの上に、ライトで照らされたシルバーアクセサリーが並んでいる。意外と種類が多かったが、これだと思う物はすぐに見つかった。
 俺の持っているペンダントと同じ、オニキスのペンダント。俺は自分のペンダントと比べてみる。ほとんどそっくりだった。
 二千円ほどでそれを購入すると、早速待ち合わせ場所へ急いだ。
 薫はすでにそこに待っていた。腕には彼女の顔ほどの大きさをした袋を抱えている。
「ごめん。待った?」
「ううん」
 早速二人でプレゼントを交換する事にした。
 俺はまず彼女に後ろを向いてもらった。そしてついさっき買ったペンダントを、後ろからつけてあげた。
「これ、オニキス?」
 ペンダントを見て彼女は言った。
「うん……その……偽物だけど」
「……そう……なんだ」
「ごめん。お金なくて」
 すると薫は振り向いて言った。
「気持ちがこもってるなら何でも良いいよ」
「……薫……」
「勇ちゃんの気持ちのこもった、世界に一つしかないオニキスのペンダント。大事にするね」
「……ごめん」
 そう言って俯いた。薫が喜んでくれた事が、余計に俺に罪悪感を与えた。
 次は彼女の番だった。袋から取り出したものは、紺色のマフラーだった。特に飾り気の無いシンプルな物だが、巻くととても温かかった。
「どこで買ったの?」
「買ったんじゃないよ」
「……え?」
「去年間に合わなかったからね。気合入れたよ」
 その時俺は、去年の冬を思い出した。あの時、彼女は結局シーズンに間に合わなかったから、市販のを買ってくれたのだ。
 聞く所によると、彼女は昨日の内に駅のコインロッカーにこのマフラーを隠して置いて、今日、さっきのようなタイミングを見計らって取りに行き、そして渡すつもりだったらしい。
 じわじわとにじみ出ていた罪悪感が、一気に俺を支配した。薫のはこの一年頑張って作り上げた物なのに、俺が渡した物は今さっき買ってきたばかりの、それも偽物。いつだって彼女は、気持ちのこもった本物をプレゼントしてくれるのに。
 すごく申し訳が無かった。嬉しかったけれど、それ以上に、こんな自分が情けなかった。
 周りを歩く人たちが、何度もこちらを見ていた。あらゆる方向から注がれる視線の中、俺も彼女も、お互いの言葉を待っている様子だった。そして段々と周りを歩く人々のスピードがゆっくりになっていく。そんな気がした。
 俺はそっと彼女を抱きしめた。まるで周りの人間がそうしろと命令し操っていたかのように、気がついたら体が勝手に動いた。
 だがすぐ、この無意識の行動の理由が分かった気がした。
 これしか手段が無かったのだ。
 このもどかしくやるせない気持ち。こんな自分に対する罪の意識。そして薫をいとおしく思う気持ち。罪悪感に対する謝罪。
 言葉じゃ伝わりきらない。だから、俺は無意識に抱きしめた。
「……ごめん……んで、ありがとう」
 周りの目はもう気にならなくなった。
 クリスマス。恋人同士が、街中で抱き合ったって珍しくはない一日だ。

 続く

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