初めて来た人へ

―第十三話―

 日韓ワールドカップも無事終わり、やがて夏休みが始まった。
 もう春の大三角は見えなくなり、夏の大三角が夜空を彩る季節。一年で一番、だるい季節だ。
「私こと鳴嶋龍二は、今年の夏をより一層有意義に過ごす為、皆で海水浴へ行く事を提案しまっす!!!」
 夏休みが始まるなり、龍二は一人張り切っていた。
 勝手に幹事をしてくれる事は嬉しい事だが、彼の裏の目的を考えるといささか面倒にも思えてきた。
「この辺から一番近い海までだって二時間半近くかかるだろ? めんどくないか?」
 賢吾はあくまで冷静に正論を述べた。
 中途半端に田舎で中途半端に都会。そんな感じの町だから、やはり中途半端に海まで遠い。けどなぜか、東京までは中途半端に近い。
「穴場を見つけといたんだよ。乗り換えは無し。一時間でつくというナイスな海岸だ」
 彼の自信ありげな言葉に、見事女性陣はその話に惹かれてしまった。行くと言ってきかない。
 こうなってしまった女の子と言うのはもはや手に負えないものなのだ。
「……どうする?」
「どうするって言ったって……」
 俺と賢吾は互いに向き合ってしばらく考えた。
「……どうせ無理にでも連れて行く気だろ? 薫」
 俺は彼女の方を見て言った。彼女は頷いた。
「……ま、気晴らしにはなるかな」
「だな。五人で行くか。海」


 一週間後に海へ行く事が決まった次の日。俺は薫に連れられ、駅前のデパートの水着売り場へとやってきていた。
 目に映る物は色とりどりの水着ばかりで、他にも買い物客が居るのだろうが、全く気がつかないぐらい俺の頭は大変な事になっていた。
「あのさ〜。薫?」
「なに?」
 もくもくと水着を選ぶ薫に、俺は今の心境を話した。
「ものすっごくハズいんだけどなぁ……ここ」
「そ〜お? 私は全然」
 薫は女の子だからだろ、と言う突っ込みは、あえてしない事にした。
 前後左右に並べられた女性者の水着。その中をくぐるように俺は薫の後をついていく。いくら彼女の付き添いとは言え、周りの視線が多少痛いのが現状。
「俺外で待ってていい?」
「ダメ」
 彼女は即答し続けた。
「勇ちゃんも選んでよ、水着」
「何で俺が……。一人で選べって」
「あ、これなんかどうかな」
 俺の言葉を無視し、選んだ水着を体に当てる。
 水色をベースにしたビキニだ。シンプルなデザインで布面積も少し広めになっていて、正直色気重視では無い。
 それが嫌な訳では無いが、せっかくの海だ。も少し色気のある水着でも着てもらいたい。そんな下心が働き、俺はまんまと彼女の水着を選ぶ手伝いをしてしまった。
 そんななか彼女が一枚の水着を選んで、また自分と重ねた。
「さすがにそれは露出度高すぎだと思うぞ?」
 内心、是非それを着てもらいたかった。
「……うん。私もそう思う」
 そう言い振り向いた彼女の顔は、仄かに赤かった。
「やっぱ無理に色気出すより、薫らしさを十分に出せる水着が良いと思うけどな」
「例えばどんな?」
「薫のイメージは紺。あと露出の少ない落ち着いた感じの水着が良いと思う」
 俺は適当に辺りを見渡し、紺色のビキニを手に取った。
 そしてそれを彼女の体と重ねた。
「……俺はこれがいいと思う。シンプルで落ち着いた感じがするし」
 と言うのは別の意味でウソだけど。
 彼女にそれを手渡すと、自分で体に当てた。
「……試着してみるね」
 彼女はしばらく悩んだ後、店の置くにある試着室へ向かった。
 閉められたカーテンの向こうで、彼女が自分の服を脱いでいる。それを考え始めたとたん、自分の中の理性がどんどんオジャンになっていくのが分かった。
「……よし……これでオッケイ」
 そういう彼女の声が聞こえ、しばらくしカーテンが開いた。
 だが出てきた彼女の服装は、水着姿ではなくさっきまで来ていたサマー・セーターとスカートだった。
「水着は?」
「向こうに行ってからのお楽しみって事で」
「てっきりここで見せてくれるのかと」
「見たかった?」
「もちろん」
「じゃぁ余計に見せられない」
 彼女はその水着を持ってレジの方へ向かった。どうやらそれに決めたらしい。俺も後を追った。
「海まで我慢。男は忍耐と根性でしょ?」
「そうなのか?」
「そうなの」
「初めて知った」
 と俺は言った。


 七月の終わりに訪れた海岸へは、本当に乗換え無しの一時間だった。穴場という言葉も伊達じゃなく、綺麗で、泳いでいる人も少なかった。
 心底龍二に感謝したい気分だった。だがその前に、彼はどうやってここを見つけたのか気になった。
 海岸の反対側には小さな崖があり、その崖と海岸の間を道路が通っていた。そこを通る車は異様に少なく、バス停の時刻表を確認しても、二時間に一回と言うぐらい、バスの運行も少なかった。海岸の方に目を向けても、海の家が一軒ある程度で、他に建物らしい建物は見当たらなかった。ここで海の家を運営しても、はたしていい収入を得られるのか、他人ながら心配になってしまった。
 砂浜に入ると、サンダル越しにその熱が伝わってきた。サンダル越しなら心地いいのに、脱ぐと軽い火傷を起こす可能性もあるのだから、夏の砂浜というのは怖い。
 その熱を出来るだけ長く感じないで海に入れるよう、波打ち際に程近い所に陣取りパラソルを開いた。高校生がパラソルなんていうのもどことなく地味な気もするが、このさいそんな事は気にしなかった。
 パラソルで出来た日陰に荷物を置くと、女性陣は海の家の方にある更衣室へ着替えに行った。男性陣は、家を出る時から下はすでに水着だったので、シャツを脱げばもう海水浴スタイルだった。
 俺達は薫たちが来るのをまだかまだかと待っていた。もう恵美ちゃんの裸体を見てしまっている賢吾はそんなにソワソワとした様子は見られなかったが、俺と龍二の場合、二人の水着姿は学校のプール時のスクール水着ででしか見た事がない。
 妙に緊張している。無理も無いのだけれど。
 やがて二人が、わざとらしく体をタオルで巻き歩いてきた。
「おまたせ〜」
 軽いステップで二人はパラソルの中に入ってきた。
 彼女のあらわになった白い肩が視界に入っただけで、異様に心拍数が上がった。
「よし」
 龍二は続けた。
「それじゃ、早速泳ぎますか」
 そう言うとサンダルを脱ぎ、一人海へダッシュした。
 それからすぐに恵美ちゃんもタオルを脱ぎ、賢吾と手をつないで海へ向かった。
 パラソルの中に残された俺と薫は、しばらくお互いの顔を見つめていた。変な緊張が邪魔をして、上手く口が開かない。行こうか、という言葉すら出なかった。
「どしたの?」
 堪りかねた様子で、彼女が首を傾げ言った。
「なんか緊張してる」
「え〜? なんでよぉ」
 彼女は微笑して続けた。
「むしろ私のほうが緊張する側でしょ?」
「じゃ、お互い様って事で」
「ずる〜い」
「とにかくさ……オレ達も……行こ?」
 彼女はまた微笑し、「うん」と頷いた。そしてタオルを脱いだ。
 彼女の体のラインがあらわになった時、彼女をさらにいとおしく思おうとする自分が居た。
 細くくびれた腰。胸は控えめだが、とてもスレンダーだった。そんな彼女は腕を後ろに回しはにかんだ。
「長らくお待たせしました」
 ちょっと歯を出して笑う彼女。
 ホントに長く待たされた気分だった。そしてそれを埋め合わせるように、こんなにも可愛い彼女を抱きしめたかった。
「似合う?」
「うん。すっげ〜似合う。綺麗」
「ありがと」
 俺は手を差し出した。彼女が俺の手を握ると、二人で海へ飛び込んだ。


 昼を過ぎても疲れを感じなかった。いや。気がついていないだけなのかも知れない。でも、そう思うぐらい楽しいひと時だった。
 太陽が南中してしばらく経ち、さすがに腹の減り具合が気になった俺は、薫をさそって浜辺に一軒しかない海の家に入った。
 外見とは裏腹に中はしっかりとしていた。利用者が少ない為か、売り物の値段がやや高いような気もしたが、この際関係なかった。むしろある種の同情が湧き払ってあげたくもなってしまった。
 二人で焼きそばを注文し食べた後、かき氷を注文した。
 氷の山を崩しながらシロップを全体に染み込ませる。時おりガラス上のカップから氷がこぼれたが、俺も薫も気にせずただ黙々と氷の山を崩した。
 そして全体が仄かな赤で彩られた氷をすくい、同時に彼女が言った。
「そう言えば来月の中頃だっけ。試合」
 いい終えると氷を口に入れた。
「そう。来月の中頃」
 俺も青の彩られた氷をすくった。
 七月の頭に俺達一年生は、弓道着や矢、『かけ』と言う剣道で言う籠手のような物を揃って購入した。弓は学校の物を借りる事で皆出費を免れたが、薫の言っていた通り、高い買い物となった。
 そして俺達は、それらを使いとうとう射場での本格的な練習が始まった。
 最初はまだ弓になれていないせいで、顔や耳に弓の弦が当たり、軽い怪我人が何人も出た。先輩曰く最初はみんなそんな感じらしく、まず最初は弓に対する恐怖心を無くす事から始めるらしい。
「上手く引けるかな……」
 俺は小さく溜息をついた。
「プレッシャー?」
 彼女は微笑しながら言った。
「だって初めての試合だぜ?」
 そう。今度の八月半ばに行われる試合は、新人戦、つまり俺達のデビュー戦だった。
「勇ちゃんだけじゃないんでしょ。初めての人って」
「そりゃ……そうだけど……」
「中学の時から続けてる人は別としても、明らかに初めての人の方が多いんでしょ?」
 彼女はまた氷をすくい口に入れた。俺は彼女の行動を見たまま次の言葉を待った。
「だったら皆も勇ちゃんと同じ位プレッシャーかかってる筈だよ」
 俺も彼女と同じように、氷をすくい食べた。一理あるな、と思った。
「あまり結果は気にしなくても良いんじゃないかな」
 もうシロップをただ薄めただけのジュースと化したカップを見た彼女は、「ごちそうさま」と声を上げた。
 俺もそれにつられ同じように声を上げ、言った。
「そうだな」
 財布を出し代金を払うと海の家を出た。強い日差しは相変わらずだった。
 人の少ない海岸で、賢吾と恵美ちゃんを見つけるのは簡単だった。二人はまだ海岸で遊んでいた。
 龍二の姿が見当たらないが、どうせここに来た本当の目的でも実行中なのだろうと思い、探すのを止めた。
 俺は彼女の手を握った。
「さて。次は何して遊ぼうか?」

 続く

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