初めて来た人へ

―第十二話―

 ここに入学しなきゃ良かったと初めて思った時には、既に入学して半月程が経っていた。
 中学時代、俺たち五人は帰宅部だった。理由は単純に部活動と言うのが面倒だったから。ただそれだけを理由に俺たちは部活に入らなかったのに、この高校と来たらなんと部活強制なのだ。どこかの部には必ず属さなくてはいけないと言う、まるで生徒の自由権を奪っているような、酷い高校だ。
 もっと調べてから高校を選べばよかったと悔やんだが、時既に遅し。入部届け提出の日は、着々と迫っていた。
「ど〜しよ〜っかな〜」
 下校中、俺は頭を抱えながら言った。
「部活?」
「そう。部活」
 隣を歩く薫の言葉を、そう復唱した。
「俺たち三年間部活をは無縁だったかんな〜」
 龍二は改まったように言い、話題を賢吾にふった。
「賢吾はどうする?」
「俺? まだ決めてない。恵美は?」
「私もまだ。薫は?」
「私も皆と同じ。龍君は?」
「俺もまだ」
 しばらくの沈黙の後、五人揃って溜め息をついた。
 サッカー、バスケ。野球にテニス。バドミントンやバレーボールなど等。どこにでもあるごく一般的な部活だが、実際選ぼうとすると迷う物がある。しかもこう焦っていると余計に正しい判断が難しくなる。
「……文化部入部の幽霊部員ってのが一番楽かな」
 龍二は早速結論を出したようだった。
 確かに、龍二みたいな人間ならそれが一番妥当な選択かもしれない。
「けど、やるからにはしっかりやってみたいっつー自分が居んだよな」
 と賢吾。それには激しく同感だった。
 皆が自分の意見を出し合っている中、俺は一人考えてみた。実際これと言って運動が得意な訳でもない。人並み程度といった所だ。サッカーは好きだが、部活のように、目標を持ってしたいと思うほど好きという訳でもない。
 その他の部も以下同文。あまりパッとしない。小さく溜め息をつき、部活動名の書かれたリストへ視線を落とす。
 ――なんか楽しく参加できる部活ねぇかな〜。
 上から順に名前を追っていく。その中で、ひとつの名前に目が止まった。
 ――弓道……か……。
 以前、親戚の先輩が別の高校で弓道を始めて、ドップリはまり込んだという話を聞いた事があった。
 弓道。日本伝統の武道の一つ。そんな硬い言葉を並べると地味に聞こえるが、その響きに心を揺れ動かされている自分が居た。
「もういいや。私バドやる〜」
 半分やけくそ気味に恵美ちゃんが言った。
「あ、じゃぁ私も」
 と薫。どうやら二人は無事決まったようだ。
「陸上でもやるか」
 と賢吾。
「ただ走るだけの競技を選べば結構楽かもしれないし」
「なんだよ。みんな幽霊になんねぇの?」
 一人そうするつもりだった龍二は言った。
 そして最後に俺の方を見た。
「お前はもちろん幽霊だよな?」
 そして肩に手を置いた。
「いや」
 俺は首を振る。
「弓道でもやってみるよ」
「はぁぁ!?」
 龍二の大げさなリアクションにはいい加減嫌気が指す。耳が痛かった。
「あんな地味なヤツのどこがいいんだよ」
「やった事ないのにどこがとか分かる訳ねぇだろうよ」
 龍二は言葉を失った。
「とにかくだ、俺は弓道をやる」
 そう主張した。もう誰に何と言われようと、この決意を曲げたりはしない。
「なんかお金かかりそうだよね。弓道」
 薫の一言に、手かせ足かせで固定したはずの決意が早速揺れ動いた。
「弓とか矢とか……みんな買い揃えるんじゃない? そしたら多分すごい金額になると思うよ」
 薫の言葉は、果たして手かせ足かせの鍵なのだろうか。もう既に鍵穴に鍵が刺さった状態だった。もう一言二言で、完全に鍵がはずれてしまいそうだ。
「……いや。やるって言ったらやる。絶対」
 俺が鍵を取っ払うと、龍二は肩を落とした。
 そして「幽霊は俺だけか」と、一人寂しく呟いた。そしてその言葉は、まさに幽霊の如くどこかへと消えていった。


 正座で始まり正座で終わる。日本武道と言うと大抵はそんな物だ。それはつまり礼儀の形なのだから、当然といえば当然だった。
 弓道部に入ったばかりの俺たち一年生は、二、三年生と一緒に弓道場に集まり、正座し黙想をし挨拶をした後、道場の外に出て、弓を引く方法である『射法八節』と言うのを教わる。二、三年生は、一年の指導側と弓を引く側に別れ時折交代を繰り返しながら活動した。毎年の事なのだそうで、三年生の先輩は俺達を優しくエスコートしてくれた。
 最初の二週間はそんな日が続いた。だんだん射法が形になってくると、今度はあまっている弱い弓を使い筋トレを始めた。腹筋や腕、その他普段使わない筋肉を使うらしく、筋トレは家でも自主的にやるよう、部長や顧問の先生から何度も言われた。
「お疲れ様」
 弓道部はその活動が終わるのが結構早い。そしてバドミントン部は、弓道部の活動が終わってからだいたい三十分ほどが経って終わる。
 だからいつも、俺は校門で彼女の事を待っていた。
「お疲れ様」
 俺の言葉に、彼女は微笑んでそう返した。
 弓道も最初は結構疲れるが、バドほど動くスポーツではない。だから、実際一番疲れているのは薫の方だ。
 にも関わらず彼女は笑みを絶やさない。これは尊敬に値する事だと思う。
 薫と一緒にやって来た恵美ちゃんは、校門で賢吾を待つと言って残った。手をふって軽い挨拶をした後、俺と薫は家路をたどった。
 外は日が沈みかかっていた。昼と夜の境は青とオレンジが絶妙に混ざり合いそして重なり合っていて、とても幻想的な色をしていた。
 時計を見るともう六時だった。辺りには人の姿はほとんど無く、通り過ぎる家々からは夕食の匂いが漂ってきた。
 鳴りそうな腹の虫を必至に黙らせつつ、俺は彼女に部活の事を話し始めた。
「正直面白いよ。弓道」
「ホント? よかったね」
「まだ一人前に弓を引く事は出来ないけど、これなら続きそうかも」
「私もね、バドならやっていけそう」
 背負っていたラケットを手に持ち替え続けた。
「小さい頃から遊び半分でやっててね、基本的なルールは身に染みてるからすごくやり易いの」
「そりゃよかったな」
 俺はそう微笑んだ。
「でも無理はすんなよ?」
「それは勇ちゃんも同じでしょ」
「それもそうだな」
 もうすぐで春の最後の月が始まるのに、まだふく風は肌寒かった。
 やがて街灯がつき、暗闇の中に影が出来た。空の色の重層もほとんど姿を消し、西から東にかけて少しずつ青が濃くなっていた。東の方は、もう紺を越して黒になっているだろう。
 少しずつ星が光だし、空のキャンバスには春の星座が描かれ始めた。俺たちは時折空を眺めながら、ゆったりとした歩調で歩いた。
「どれがなんの星座か良くわかんないね」
「……あれが春の大三角かな」
「どれ?」
「あの辺」
 俺は出来るだけ分かりやすく指差した。
「って言うか北斗七星を先に見つけよう。柄杓の先の星が分かればすぐ分かる」
 そう言って星の捜索が始まった。だが結局彼女は、家の前まで来ても大三角どころか北斗七星すら見つけられなかった。残念そうな彼女を見ていると、また今度二人で星を見に行きたいと思い始めた。
「じゃぁ、また明日ね」
 彼女は、その疲れを感じさせない笑顔で手を振った。俺も微笑みを返し、手を振った。
 帰り際、俺はもう一度空を見上げた。
「……つーか中学ん時習ったろうよ。星座は」
 見つけられなかった薫が可愛そうなのか勉強不足なのか、不意に分からなくなった。
「……小熊におおぐま、ししに乙女に牛飼い……全部すぐに見つかるじゃん」
 俺は今の時間帯と星の位置を正確に暗記するよう努めた。そしてまた明日、帰り際に彼女に星を見せてあげよう。そう思った。
 その時だ。突然携帯が震えた。薫からの電話だった。
「どうした?」
「見つけたよ、北斗七星。中学の理科の教科書見ながら探したら見つかった」
「おお。おめでとう」
「待ってね。いま大三角も探すから」
 こんな些細な事を報告する為に電話する彼女が、少し幼いようにも思えた。でもそれが、より彼女の魅力を引き立てる。可愛いと、素直に思える。
「俺はもう全部見つけたぞ?」
「ホント? やっぱすごいよ、勇ちゃん」
 俺は空を見るのを止め、前を向いて歩き出した。
 やがて自分の家の明かりが見えてきた。その門を開けた時だ。電話の向こうで薫が叫んだ。
「やっと見つけた! 大三角!」
 北斗七星を見つけてから、もう五分も経っていた。

 続く

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