初めて来た人へ

―第十一話―

 雨は前日の夜には上がっていた。太陽光をさまざまな方向に反射させる葉の上の雫は、俺たちの門出を祝うには十分すぎる演出だった。
 高校へ行く途中龍二と合流した後、先に恵美ちゃんの家で待っていた賢吾達とも合流し、五人一緒に登校した。
 新しい制服に身を包んだ健吾たちが、やけに大人っぽく見えた。すると皆も俺に対しそう言った。自分では自分に対してそんな風に思えないのだが、他人から見るとやっぱり俺も大人っぽく見えているらしい。
 学校までの距離は、恵美ちゃんの家から二百メートルといった所だった。ここを通学路としている人は多いらしく、時折自転車が横を通った。朝はまだ冷え込むため、マフラーをなびかせた先輩らしい人達は、仄かに温かい朝日を浴びて気持ちよさそうに風を切っていた。
 俺たちは自転車通学するつもりは最初から無かった。家から近い事もそうだが、こうやって五人並んで歩いて通うほうが楽しいからだ。車輪なんかに頼るより、自分の足で色々なものを残していきたかった。
 校門をくぐり、校庭を横切り、そして玄関へ歩を進める。この過程を、目で、肌で、耳で感じ、始めて俺は自分が高校生になった事を感じ始めた。
 校舎の窓からは、珍しい動物を眺めるような上級生の視線を感じた。ここで変な行動をとれば、一生ものの人気者になれるか、もしくは一生ものの笑われ者になれるだろう。
 俺や賢吾の場合、人気者になる必要もないし笑われ者なんかになる気は無かった。だから周りの新入生の流れに身を任せるように歩いた。だが、その流れにあえて逆らった輩が俺達の仲間内にいたらしい。龍二だ。
 途中彼はなにやらやらかしたらしい。だが、その事について詳しくは知らない。知りたくもなかった。だが悲しくも結果だけ知ってしまった。その結果は、一瞬にして場がしらけた。それだけだった。俺たちにとっては嬉しい結果ではあった。
 玄関前は人でごった返しだった。見知っている人、見知らぬ人。中学の時にも似たような経験をしたし、まるで当然のような光景なのだが、改めて味わうと不思議な気分になった。
 玄関に張られたクラス分けの紙を見る。全部で七クラス。その内後の三クラスは商業科だった。
 俺たちはみんな普通科を受験していた。だから商業科クラスの方に目を向ける必要は無く、すぐにクラスの確認をした。
「勇ちゃん」
「ん?」
 紙に視線を固定したまま、薫は言った。
「自分の名前、見つけた?」
「まだ」
「ここだよ」
 薫の指先に視線を向けると、そこには確かに俺の名前があった。
「さてと。私はど〜こだ」
 一瞬、彼女のアイデンティティーの確立の度合いを心配した。そして言ってやりたかった。「薫は今ここにいるだろう」と。そもそも薫は、自分よりも俺の名前を先に探していたのか。
 何だか嬉しかった。
「薫はここ」
 そう言って指差した。そしてよく確かめてみると、クラスも一緒だった。薫はそれを知ると、微笑みながら「一緒だね」と言った。
 賢吾と恵美ちゃんも無事名前を見つけたらしい。しかも、俺たちと同じく彼等もクラスが一緒だった。よく考えれば、あの二人が一緒のクラスになったのはこれが初めてだった。
「一体どこなんだ! 俺は!」
 彼は根本的にアイデンティティーが確立できていない人間だと思う。龍二はわざとらしく頭をかきむしった。
「お前はここに居るだろ」
 賢吾は龍二を指差し、そう冷静に突っ込んだ。
「そう意味じゃなくて、名前がどこかってことだよ」
 賢吾はまたも冷静に、「知ってる」と流した。
「龍君見っけた」
 恵美ちゃんは俺と薫のクラスの中を指差した。見事に龍二も俺と同じクラスだった。なんで俺らはいつもこうクラスが一緒になる事が多いのか。一度学校長やら文部省やらに取調べを実施したいと、この時は正直そう思った。
「おお!! やっと見つけた! 俺ッ!」
 龍二は大げさに騒いでいた。どうやらこの歳になってやっと自分のアイデンティティーを確立できたようだ。


 クラスの中に入ろうとした時、あまりに俺と薫がくっついているので、一瞬でクラス中の視線を集める事に成功した。
 これを耐えるにはかなりの度胸と根性が必要だった。同じ学校の人も中に居たが、まるで最初から知らなかったかのように驚いていたのだから立腹だった。
 席に座るとすぐに出席確認が始まった。どうやら俺たち三人が最後だったらしい。
 その後体育館へ移動し非常に退屈な入学式を行い、そして再び教室へ戻ってきた。クラス全体で軽い自己紹介をした後、校則だとかなんだとかについての説明を受け、そしてその後暫くの休み時間を得た。
「退屈だったな」
 俺たち三人は薫の席に集まった。
「なんか今さらって感じもしたしさ」
 龍二の言葉に俺はそう返した。
 そもそも、校則だの何だのと言う物は言われてすぐ守れるような物ではない。校則を破って怒られて、その時になって初めてその校則を守ろうと言う意欲がわくのだ。
 それは学校に限らず社会全般にとってもそう。
 もし人が皆、口で言われてルールを理解できるなら、世の中犯罪なんて起きっこないはずだ。
 ルールなんてのはそういう物だ。言われて守るのではなく犯してしまってから守る。
「全くもってその通りだよ」
 龍二は腕を組んで頷いた。
「人間、言われただけでその通りに動けるほど利口じゃない。ロボットとは違うんだ」
 龍二はそう続けた。
 何だかんだ言って入学初日からこんなバカバカしい話題で盛り上がってる人間なんて、どうせ俺たちしか居ないのだろう。そう思ってクラスメートの顔を一通り見渡した。
 その時になって初めて俺は気がついた。
 クラスの視線――特に女子の視線が、俺たちに固定されていた。そしてこちらには聞こえない様にヒソヒソと何かを話している。
 時折「うそ〜」とか「マジ〜」なんて言葉が聞こえてくる。俺たち三人の話をしているのだろう。すごく気になる。
 が、いたって不愉快だ。
 なぜわざわざヒソヒソと話す必要がある。言いたい事があるなら堂々と言えばいいじゃないか。
 そんな心の叫びが聞こえたのか、ひと組の女子の団体がこちらにやって来た。その様子を見て龍二は、何かを悟ったのか俺の肩を叩き言った。
「じゃ、俺は便所にでも行ってくるよ」
 やけにニヤニヤしていたのが印象に残り、どことなく気持ち悪かった。
 どうやら女子の方も、龍二が居なくなる事を望んでいたらしい。彼が教室を出たとたん、怒涛の如く迫ってきた。
「ねぇねぇ」
「なに?」
 彼女らの尋問が始まった。
「海野君と篠原さんてさ〜」
 その子は目を輝かせていた。
「付き合ってたりするの?」
 なぜ女子はこういった話題に敏感で、そしてうざったいぐらいに興味を示すのだろう。
「うん……まぁ……それなりに」
 と、緊張のあまり曖昧な返事をしてしまった。
 それを聞いたとたん、彼女らは「マジ〜」と大声を上げた。
「えぇ? いつから付き合ってんの?」
「同中なの?」
「なんで? どんな理由で?」
 最後の「どんな理由で」は明らかに愚問だろうと思ったが、あえて指摘しないでおいた。
 何だかんだ言ってこういう事への対応には慣れてないし、正直ほっといてもらいたかった。適当に何か言ってその場から逃げようと思ったその時だ。薫が笑顔を作って言った。
「ごめん。私たち色々聞かれるの慣れてないって言うか苦手なのね。だから少し二人だけにしててくれないかな」
 そう言った後、顔の前で手を合わせて「ホントゴメンね」と言った。女子たちは少し不愉快そうだった。
 それでも尚、まだしつこく色々聞き出そうとしていたので、たまりかねた俺は薫の手を引っ張って教室を出た。
 多分、俺たちの第一印象は凄まじく悪いだろう。だが、俺たちから言わせれば彼女たちにもその原因はある訳だし、彼女たちに対する俺たちの第一印象もやはり最悪。
 つまる所、お互い様な訳だ。
 廊下では、便所に行っていたはずの龍二と、もうひと組の注目カップルである賢吾達が雑談をしていた。やけに恵美ちゃんの機嫌が悪い事から、彼女達も俺たちと同じ仕打ちを受けたのだろう。その事でいつも以上に恵美ちゃんと薫が意気投合していた。
 そうやってしばらく雑談をしていると、各クラスに担任が戻ってきた。
 仕方なく俺たちは各々クラスに戻り席に着いた。やけにクラスメートの視線が痛かった。いくら慣れているとはいえ、改めてこういう立場になると辛い物がある。
 先生は明日の授業の科目を黒板に板書した。俺はそれをチラッと見るが、どうせ全教科持ってきてロッカーにでも突っ込んでおけばいいと思い、机の陰に隠れて一昨日買ってもらったばかりの携帯電話をいじくった。
 携帯のディスプレイの下に、昨日薫と二人で撮ったプリクラが張ってある。一枚は普通にポーズをとった物で、もう一枚は、彼女が俺の頬にキスをした物だ。
 やけに幸せそうに見えた。自分達なのに、自分達じゃない気がした。でもだからこそ、自分達なんだなと、改めて確認できた。
 こうやって二人並んで笑っているどこにでも居そうなカップルは、紛れも無い自分達なんだなと。
 それがすごく嬉しかった。
 気がつくともうホームルームが終わり、下校の時間だった。カバンとかをまとめ、教室の出口で薫と龍二を待った。そして廊下で待っていた賢吾達と合流し、人込みを掻い潜りやっとの思いで下駄箱へ辿り着いた。
 空は相変わらず雲ひとつない晴天だったが、それに似合わないぐらい気温は低めだった。だがその適度に肌を刺す気温が、今は心地よかった。

 続く

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