初めて来た人へ

―第十話―

 ここまで話すのに、一時間ほどかかった。だが知也は、最初の態度とは裏腹に嫌な顔せずずっと俺の話しに耳を傾け続けた。
「で、俺達五人は無事高校に受かって、そこに通うことになったっつー訳だ」
「……その話しマジ?」
 俺は頷いた。
「な?」
 そう賢吾と龍二にふると、二人も頷いた。
 語りだせば語りだすほど、昔の思い出はどんどん輪郭を取り戻す。そして、次第にその時代に戻ったかのような錯覚さえ覚えてきた。時間旅行とは、ある意味こう言う事を言うのでは無いだろうか。
「で? その後は結局どうなったんだ?」
 知也は興味津々と言わんばかりに身を乗り出してきた。
「……何なんだよお前……」
 明らかに最初とは違う知也の態度に俺はそう言い微笑した。
 そして俺は、また昔の記憶をたどった。ほんの数年前。
 高校時代であると同時に、恋の絶頂期でもあったあの頃。
 俺はまた、静かに語りだした。


 余韻に浸る間もなく時間は流れ、高校の入学式を明日に控えた。不安と期待とが絶妙に絡み合い、そしてそれが、まるで風呂場のカビのようにしつこく離れなかった。
 だから俺は、そんなカビを落とし落ち着きを取り戻す為、薫を映画に誘った。当然のように薫は「行く」と言い、三十分後に駅前に集合する事となった。
 外には灰色の雲が敷かれていた。天気予報では降りだすのは今夜になってからと言ってたが、あくまで予報なわけであってあてにならない。俺は傘を持って家を出て歩き出した。
 集合時間の十五分ほど前に、俺は既に駅前のベンチで彼女の事を待っていた。家に居ても落ち着かないしする事も無いから、街中を行き交う人々を眺めて暇をつぶした。
 四月の上旬はまだまだ冷え込んでいて、マフラーをして歩く人もちらほら見かけた。桜の季節にマフラーと言うのが何となく変な感じもしたが、自分の彼女もそんな格好で現れたのではそうも言い切れないな、と思った。集合時間とほぼピッタリに、彼女は俺のもとに現れた。
 俺の中で、物事の良し悪しやおかしい普通は全て彼女の行動しだいで決まってしまう、といっても過言では無かった。もし彼女が、夏にマフラーだの手袋だのを身に付けているならば、夏にマフラーや手袋を付けて行動する事はなんら不思議な事では無いわけだ。
「待った?」
「いや」
 俺は首を横に振り、嘘をついた。
「今来た所だから」
「そういう事を言う時は大抵十分は待ってたりするんだよね」
 と、彼女は言った。
「……いこっか」
 俺は話をそらすように自分から彼女の手を取り歩き出した。


「いよいよ明日だな」
 暫く歩いてから、俺は言った。
「高校か。なんかまだ実感が無いな」
「私も」
「薫は、不安と期待、どっちの方が上?」
「モチ、期待」
 当然といった感じだった。
 彼女は、物事をあまり後ろ向きには考えない方だった。それは時として自信につながるし、また時として挫折した時の絶望感を増大させる要因ともなる。
 でも、良い意味でも悪い意味でもそれが彼女の長所である事には変わらない。良い意味で考えれば彼女はもっと自信をつけるし、悪い意味で考えれば俺が慰めてやれる。
 だから、俺は薫のそんな所が好きだ。
「勇ちゃんは?」
 薫の方に目をやると、彼女と目があった。
「どっちかって言えば期待だけど、不安も負けじ劣らずって感じかな」
「大丈夫だよ」
 彼女は微笑んだ。
「皆も居るんだし、きっとすぐ溶け込めるよ」
 彼女にそう言われると、本当にそんな気がしてくる。
 不思議なことだった。
「それに、私も居るしね」
「……そいつぁ頼もしいな」
 俺は微笑しながら言った。
 彼女のそんな所が、俺は好きだ。


 公開終了間際の映画と言う事もあり、館内は驚くほどすいていた。前を見るかぎりでは、俺たちを含めて両手で難なく数えられた。
 映画が始まり、暫くはそれに集中できたのだが、やがて俺の目線は薫の横顔の方に動いていた。
 彼女が、めったに見せない真剣な表情でスクリーンを見つめている。時々、驚いたり微笑したりと、もう完全に意識はスクリーンの方にあった。正直かわいかった。
 彼女は俺の視線に気がついていない。俺は、俺だけが見る事のできる映画を堪能しようとした。
 だが映画を見終わり、映画の話を切り出されたら、俺はなんて答えれば良いのだろう。「君と言う名の映画を堪能していたよ」なんて言えばいいのだろうか。非常にクサい。間違いなく彼女は引くだろう。仕方なく俺は、さっきまで見ていた映画を諦めてスクリーンに視線を戻した。
 映画の方も、いよいよクライマックスに差し掛かろうとしていた。ヒロインをかばった男が、そのキズの為息絶えようとしている。ヒロインは男の事を愛していて、同時に男もヒロインの事を愛している。
 男は、愛している女の腕の中で死んでいった。最後の最後で、男はまた、人生何度目かの幸せを手に入れた。
 そんなどこか在り来たりな設定ではあるが、それでも感動できるのは、単に俺の涙腺がゆるいだけなのだろうか。
 ふと、俺の左手の上に温もりが伝わった。
 そして次第に手を包み込み、やがて掴んだ。俺は隣の薫を見た。彼女もまた、目頭に涙をためていた。
 空いている手で目を拭きながら、視線をこちらに向けた。
「……泣いてる?」
 彼女は微笑しながら問いかけた。
「……少し」
 俺も空いてる手を使って、親指を人差し指の先を近づけて隙間を作った。そして微笑する。同時に安心した。
 最後の十数分が終わり、スタッフロールが流れ出した。立ち上がろうと腰を持ち上げた時、つないでいる手が何かに引っ張られた。
 その先には、座ったまま目を閉じている薫がいた。
「薫?」
 寝ているのかと思い、声をかける。
「……もう少し……」
「え?」
「もう少し……こうしてたい」
 目を閉じたまま微笑む。
 俺は元の席に腰掛けた。そして彼女のしたい事を察すると、俺も同じ事をした。
 スタッフロールが終わり、館内が明るくなるまで、俺と薫は余韻に浸った。こんな映画の楽しみ方もあるのだなと、その時始めて分かった。


 天気予報は当てにならない。外に出れば雨だった。薫は傘を持ってこなかったので、俺の傘の中に入ることになった。こんな事もあろうかと、少し大きめの傘を持って来たのだが、それが幸いしたようで嬉しかった。
 そんなに強い雨ではなかった。だが傘の中はかすかな雨音が響き、うるさいとまでは行かないがうっとうしいBGMになった。
 彼女は、傘を持つ俺の腕に自分の腕を巻きつけた。寒さのせいか、彼女の体は少し震えていた。
 何処かで温まるのもいいかもしれないし、時間的に見てもそろそろおやつが恋しくなる。近くのマクドナルドにでも寄ろうと思い、街中をその方へ歩いた。
「明日は晴れると良いね」
 ふと薫は呟いた。
「て言うか、晴れてくれなきゃ困るだろ」
 俺は「せっかくの門出なのにさ」と続けた。
「そうだよねぇ」
 雨なのにも関わらず、外は傘をさし歩く人がやたら目立った。その中にはカップルもいるし、どこの誰だか知らないが異様におしゃれを決め込んでいるおばちゃん軍団もいた。皆寒いのに、笑顔で休日のひと時を楽しんでいる。
 雨の中、必死に自転車をこいで走る子供もいた。大方、近くのゲームショップでタダゲーに夢中になっていたら、いつの間にか振り出していた……といった所だろう。
 俺も昔は、そんな事があった。
 まるでその頃にタイムスリップをして、第三者の目であの頃の自分を見ている気分だった。
 そんな懐かしい時を、ふと思い出した。
「勇ちゃんは……私の事を知ったのって中二になってからなんでしょう?」
「そうだけど……それがどうかしたの?」
 彼女も、昔を思い出していたのかもしれない。
「私が始めて勇ちゃんを見たの……小五の時なんだ」
 彼女は続けた。
「やっぱり今日みたいな小雨の日でね、私一人で下校してたの。そしたら道の途中にダンボールが置いてあって……中に仔猫が三匹いたの」
 それとなく俺も記憶をたどる。
 俺はだんだんと、その輪郭を取り戻していった。
「一月ですごい寒かったの覚えてるなぁ。そのせいか、三匹のうち二匹はもう死んじゃってた。もう一匹の方も、鳴き声がすごく弱々しくて。助けてあげたかったけど、ウチ親がペット嫌いで……だからほおって置くしかなかったの」
 彼女は顔の前に手を持ってきて、白い息を吹きかけた。しばらくの間の後、彼女は続きを言い出した。
「その時だったんだ。勇ちゃんが来たの」
 焦点が次第に定まってきた。
 俺もその日の事は覚えている。
 彼女の言うとおり、小雨の降る一月の中旬。そのダンボールの前で俺は足を止めたのだった。
「……猫」
 俺はそう呟いた。
「ん? あぁ、ほんとだ」
 後ろから顔をのぞかせながら、龍二は言った。
「なんか弱ってるな。どうする?」
 と賢吾。
 猫が俺に向かって、引っ切り無しに鳴いていた。だがほおっておけば、その声もいずれは止んでしまう。
「……傘もって」
 俺は傘を閉じると、龍二に手渡した。そして、そのダンボールを持ち上げた。たいして重くは無かった。
 ダンボールは湿っていた。中にしかれたタオルやシーツも、雨に打たれては効果を示さない。むしろこの気温と併合させれば、仔猫にとっては凶器にもなる。
「どうすんだよ、その猫」
「家にもって帰る」
 龍二の問いにそう答えると、「はぁ!?」と予想通りのリアクションを取ってくれた。
「大丈夫だよ。母さん猫好きだし」
「そういう問題じゃない気がする」
「猫を飼うのって、結構金かかるもんだよ。それに飼いたいって気持ちだけで飼えるような安い命でもないし」
 賢吾が年不相応な事を言ったのを良く覚えている。
「でも、誰かが拾わなきゃ死んじゃうんだよ。そんなの可愛そうだよ」
「じゃぁ、その誰かに任せれば良いじゃん」
 賢吾の言葉に、俺は少しの苛立ちを覚え、そして少しの勇気を得た。
 俺はその勇気を搾り出し、賢吾に言ってやった。

「その誰かに、俺がなればいいんでしょ」

「それを聞いた時ね、すごいカッコいいなって、マジで思ったんだ。それから私、勇ちゃんの事意識し始めてた」
「でも中学の時失恋したって言ってたじゃん」
 そう言ったとき、彼女はプッと噴き出した。
「あれね、ほとんどウソ」
「え?」
「ホントは小三の時に一回失恋しただけなんだ」
 そう言った後「ウソついてゴメンね」と言い、続けた。
「勇ちゃんの辛そうな顔見たくなかったから、ウソついてでも早く立ち直ってもらいたかったの」
 彼女は、そんなに昔から俺の事を見てくれていた。なのに俺は、中二になるまで彼女の事を知らないでいた。小学校も通学路も一緒だったのに。
「……ゴメン」
 俺は静かに言った。
「そうとう鈍感すぎるな、俺」
 そう言い、彼女の方に目を向ける。
 彼女も俺の方を振り向いた。
「あの時の猫、まだ居る?」
「え?」
「猫だよ、猫」
 彼女は気にしていないようだった。あるいは、無理をしている? それが逆に、居たたまれない気持ちになった。
「……なら今度、ウチに見に来る?」
「うん」
 目的のマクドナルドまで、あと数メートルの所まで来た。ここまで来ると、彼女も俺がマクドナルドの店内に入ろうとしている事を悟った。
 だが俺は、そこでいったん足を止めた。
「……?」
 不思議そうに、彼女はこっちを見た。俺は傘を低くし、自分達の顔が外からは見えないようにした。
 その狭苦しくうっとうしいBGMの流れる空間の中で、俺たちはそっとキスをした。何故俺はキスをしたかったのだろう。意味は特に無い? それとも、ただ彼女を求めたかっただけなのだろうか。
 どれも違った。このキスは俺の想いを……言葉じゃ恥ずかしくていまいち伝えられないこの想いを、彼女に伝える為のキス。
 彼女に負わせてしまった傷が、これで全て癒えるとは思っていないし、罪をチャラにできるとも思っていない。
 でも俺は、彼女を愛している。全ての傷が癒えるくらい、全ての罪をチャラにできるぐらい、そして、一生分の恋を使う勢いで、彼女を愛している。
 その想いを、俺はこのキスに込めた。
「高校生になっても……一緒だからね」
 薫の言葉に、俺は微笑んだ。
 そして正直、良い意味で、何を今さらと思った。

 続く

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