敵が撤退して行った方向は、島の港とは逆の方向だった。港以外で船の行き来ができるのは海岸しかない。
その思考が一通り終わった頃には、すでに足は海岸の方へ動いていた。
次第に火の弱まりを見せている村の家々を過ぎり、海岸へ続く夜道を突き進む。
全力で走れば、四分弱の距離。けど、今回ばかりはいくら急いでもなかなか着かない様な感覚さえ覚えた。
そして、それが余計に自分を焦らせる。
ブロルが村の猟師を捕らえている事は、もはや明確だった。何の為かは分からない。だが、助けなくてはいけない。それも明確だった。
それだけじゃない。問題はウィーグルだ。
態度からして、彼があの集団を呼んだとは考えにくい。だとしたら、もしかしたら彼は、あの集団に狙われる側の身なのかもしれない。
そういう考えが出たとたん、すべての糸が繋がった気がした。
彼は何らかの理由でブロルを抜け出し、ここに流れ着いた。黒装束の男達は、ウィーグルを捕らえる為に駆り出されたブロルの軍人。
その考えが頭に広がると、もうそれ以外の可能性を受け付けなくなっていた。
そして同時に、なぜあんなにもしつこく疑ったりしたのだろうと、彼に対しての謝罪の気持ちで一杯になっていた。
とにかく助け出さなくては。村の猟師たちも。そしてウィーグルも。
シーホークは無我夢中で走った。やがて潮の香りがし始めた。
腕を後ろに回し手首の所を縄できつく縛る。その作業が終わるまで、ウィーグルは反抗の態度を見せなかった。
自分がここに流れ着きさえしなければ。自分がここに長居さえしなければ。探せば探すほど、自責すべき点が溢れて来た。そんな自分が、ここで抵抗する事は絶対に出来ない。してはいけない。自分が大人しく彼らについていけば、これ以上の被害は減らせる。
ウィーグルは、黒装束の男たちに誘導され海岸へと向かった。
潮の香りが強くなるにつれ、細波の音が大きくなるにつれ、海に浮かぶいくつものボートが目に入った。
覚悟はしていたが、いざとなると頭が不安で一杯になった。ウィーグルは生唾を飲む。
鎧を身にまとった数人の兵士に囲まれ、一人の男が立っていた。指揮官らしい様子をかもし出しているその男を、ウィーグルは見た事があった。
二十五代目ブロル帝国皇帝・ストリッジ=ギースの側近であるその男は、同時に『キメラプロジェクト』の最高責任者でもある。
ネイド=ゲード。いつの間にか側近と言う地位にのぼりつめた男だ。
「よくもまぁ、ここまで逃げられましたね」
今のウィーグルをあざ笑うかのようにネイドは言った。
「とにかく無事でよかった。君はまだまだ利用価値がある」
「……キメラにするつもりか?」
「最高級の……ね」
ウィーグルは「クソ」と吐き捨てる。
「安心しなさい」
ネイドはボートの方に目を向けた。何人もの村の猟師がそこに乗っていた。気絶したまま縛られていた。皆名うての猟師だった人達だ。
「あなただけではない。彼らもその材料です」
「ふざけるな!」
ウィーグルは身を乗り出した。
後ろについていた男にすぐ腕を掴まれたが、さすがのウィーグルも我慢できなかった。
腕を振り払おうとし、体を何度も捻った。
「この島の人間は無関係だ! 手を出すな!」
しばらくの沈黙の後、ネイドは振り返った。そしてゆっくりウィーグルの元へ歩み寄る。
前に身を乗り出しているウィーグルの腹部を、静かに殴る。予想だにしなかった攻撃に、ウィーグルは思わずうめき声を上げた。
「……君に発言権はない……もう少し身の程をわきまえなさい」
激しく咳き込むウィーグルを横目に、ネイドは連れて行くよう指示した。
ネイドは村の方へ目を向けた。空が赤く染まっていた。
久しく見なかった殺戮の炎。彼の中で、より一層ある感情が高ぶった。
ネイドはすぐに顔をそらした。あの明かりを見続けていれば、いつしか自分が自分ではなくなり、本来の目的を果たせなくなる。
準備は着々と進んでいる。それこそ水面下ででの話ではあるが、自分の策に狂いはない。
あとは自分自身が耐え、時を待つのみ。ネイドは海の方へ踵を返し、ボートの方へ歩いた。
その時だ。自分の背後で人の呻き声が聞こえた。何事かと振り向いた時には、その人影は後方で待機していた兵士六人のうち二人をすでに始末していた。
「何者だきさ――」
三人目の首が飛んだ。口は何の異常もなくその先を叫んでいたが、なにぶん肺が機能しなくては喋れない。
そして首が地面に落ちる頃には、自分がどのような最後を送ったのかすら分からないまま逝ってしまった。
男は更に四人目を殺した。もはや人間とは言えないほど野性的な動きだった。それに恐怖し、残りの二人は逃げ出すようにボートの方へ引き返していった。
「……村の猟師達と……ウィーグルを渡してもらおうか」
その男――シーホークは、肩で息をしながらネイドを睨み付けた。
「要求が呑めない場合は力ずくで返してもらう」
シーホークは大きく深呼吸し呼吸を整えると、剣を構えた。
「……なぜウィーグルをかばうのですか……。彼が原因でこの様な事態になったのですよ」
「だからこそだ。ウィーグルには、ここに止まり一生をかけて、今日死んで行った者達へ償ってもらう」
そしてシーホークは、訴えるような視線をウィーグルに向けた。
「イヤとは言わせないぞ、ウィーグル。このまま逃げる事は絶対に許さん」
「……シーホークさん……」
ウィーグルには分かっていた。シーホークの遠回しな要求は、ただ自分を助けようとしているのだという事を。
だが、このままだとシーホークの命が危ない。ネイドの戦闘能力は未知数だ。いくらシーホークと言えど勝てるかどうかすら危うい。
自分の事を助けようとしてくれている事はうれしい。だがだからこそ、こんな自分の為に彼が命を落とすなど、あってはならない事だ。
実際、彼にはまだ十三歳の孫・リヴァルがいるのだ。リヴァルの為にも、シーホークには生きてもらわなくてはならない。
「あなたはおかしな方だ、老父」
ネイドは片手で頭を抱えながら笑った。
「……要求は呑めない」
ネイドのその一言が発せられた瞬間、シーホークは走った。
急に海岸へ向かったシーホークを追いかけたリヴァルは、やっとの思いで海岸へ辿り着いた。
だが、彼が辿り着いた時、もう事の全てが終わっていたような物だった。
海に浮かぶ数隻のボート。そこには、リヴァルも知っている猟師たちが乗っていた。そこより少し手前に、腕を後ろに回されたウィーグルがいた。そして、何を見たのか目を大きく開いたまま硬直していた。
そのウィーグルの視線を自然と追ってみる。その方には、自分がもっともよく知っている人間が倒れていた。
「……じい……ちゃん……?」
一度それが目に入ると、視線はそこに固定され、それ以外の物を見れなくなっていた。
恐る恐るそれに近づく。
「……子供?」
ネイドはそう呟くように言った。
だが、その言葉も、ネイドの姿すらも、今のリヴァルには認識できなかった。
そして、今目の前で横たわっているシーホークの状態すらも。
「……何寝てんだよ……こんな時に……」
そう言いながら彼に手を触れる。まだ仄かに温かみは残っていた。
「早く逃げろ、リヴァル!」
遠くから聞こえるウィーグルの声。だが、フィルター越しの様に、くぐもった様にしか聞こえなかった。
「そこに立って居る男は危険だ! シーホークさんも……そいつに……」
「……冗談だろ……だってあのじいちゃんだぜ……やられるはずねぇ……あり得ねぇって」
リヴァルの頬を涙が伝った。だがそれにすら気がつかない様子で、シーホークの屍に目を向けていた。
ずっと目標にしてきた人間が、こうもあっけ無くこの世からいなくなる。そんな事を考えたくなかった。目の前の現実を、そうと受け入れたくなかった。
ネイドの背後から一人の兵士が歩き出した。向かう先は、屍の横で放心しているリヴァルのもとだった。
兵士は剣を逆手にし両手で構えた。
「リヴァルッ!!」
ウィーグルが叫んだのとほぼ同時に兵士は剣を振り下ろし、そして同時にその兵士の腕が中を舞った。
剣と共に回転しながら落下する腕を見た時、兵士は始めて自分の腕が無くなっている事に気がついた。
だが彼に、悲鳴を上げる瞬間すら与えられなかった。リヴァルの剣は、確かに男の喉を突き刺した。
――……なんと……素晴らしい少年だ……
ネイドは興奮した。このような逸材がまだ残っていようとは。
リヴァルは、そばに落ちていたシーホークの剣を取ると、彼の鞘に収め、手を合わせた。そしてゆっくりと立ち上がり、言った。
「ウィーグル」
ほんの少しの間をおき、続けた。
「……じいちゃん殺したの……誰だっけ?」
「私だよ」
ウィーグルの言葉が返ってくる前に、ネイドは言った。
「私が彼を殺した」
瞬間、リヴァルは走った。そして素早く剣を振り下ろす。だが、ネイドは難なくそれをかわす。
兵士がネイドの前へ出て剣を構えた。だがネイドは構えを解くよう指示した。
「ネイド様。この小僧……」
「この子供は今連れて行くには惜しい。収穫時はまだ先です。放って置きましょう」
「じーちゃんを返せ!!! ウィーグルをどうするつもりだ!!!」
リヴァルは振り返り、再びネイドへ剣を振り下ろした。
完全に不意をつかれた。左こめかみに赤い線が走った。
「グッ!!」
「ネイド様ッ!!! このガキ!!」
「待ちなさい。私は大丈夫です」
だが当の本人はこめかみを押さえ続けている。手からは血があふれていた。
「しかし……」
兵士が呟いた時、ネイドは瞬時に詠唱を行った。瞬間、リヴァルの腹部の辺りで小さな爆発が起こった。
リヴァルは体を二、三度転がし、倒れた。
「リヴァル!!」
またウィーグルは叫んだ。
できる事なら今すぐ彼の傍へ走りたい。だがそれすら出来ない今の自分に、激しく嫌悪した。
「……将来が楽しみですよ。行きましょう。我々の任務は終わりました」
「了解しました……ネイド様」
ネイドとその兵士は、砂浜に倒れているリヴァルを尻目にボートへ乗り込んだ。
そして他のボートと共に、本船へと引き返していった。
「……くそ……ネイド……」
その名を頭に刻むと同時に、リヴァルは気を失った。
できる事なら、この出来事全てが夢であって欲しかった。
間違って酒を口にし酔いつぶれ、その時に見てしまった悪夢であって欲しい。目を覚ませば、そばには酔いつぶれた自分を心配してくれているシーホークとウィーグルが居る。
期待感と言うよりは願いか。どちらにせよ、ウソであって欲しかった。
目を覚ました時、自分は診療所として仮設的に張られたテントの中だった。腹部には包帯が巻かれている。軽い火傷を負っていたのだと、看護をしてくれた医者は言った。
他に痛む所も無いので、医者の許可を貰い外へ出てみた。澄んだ青空は、それこそ透き通るような青だった。雲は無く、燦々と照る日の光が温かかった。
その空以外、まるで何も無いようだった。そして、実際何も無かった。
ただ在るのは焼けて崩れた家屋の残骸。そしてそこで死体、もしくは怪我人を探している救護班だけだった。
潮風が灰を運んだ。リヴァルはそれにむせ、風に対して背を向けた。その時初めて、診療所の隣にもう一つテントがあったのに気がついた。
リヴァルはそこへ足を運び、悲惨な現状を目の当たりにした。
地面に敷かれたシーツの上に死体が寝かされていた。体全体を白い大きな布が、顔を小さな布が、それぞれ覆いかぶさっていた。
リヴァルはそこをさまようように歩き、彼を探した。
『シーホーク=シェルノア』
そう表記された紙が、そのそばにあった。顔の布をとり、そこで寝かされている男の顔を確かめた。
そしてリヴァルは、静かに涙を流し、大声で泣き崩れた。
続く
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