―第二十八話―

初めて来た人へ
 リヴァルの怪我はすぐに全治した。それからは、他の怪我人のために体を動かし働いた。
 夕方になると家に帰された。リヴァルはもっと働きたいと主張するが、いつも拒否され決まった時間に家に帰る。
 シーホークとの思い出が詰まった小さな家は虚無と表現するのに適していた。この時間帯に帰ってくると、いつも夕食を作って待っていてくれる祖父が居たはずだった。
 長年をかけて築き上げてきた日常は、たった数十分の出来事で粉々に消え去った。
 あまりにもあっけない。同時に、あまりにも信じられない。
 毎日声を殺して泣いた。音も動も何も無い静と止の空間で、動く物はいつも、頬を伝う涙だけだった。
 無常にも時は過ぎる。世界で唯一止める事のできない絶対的な流れに身を委ね、そして流れるままに、昇る陽を見ながらテントへ向かい、沈む陽を見ながら家に帰る。
 村が一通り再建したのは、それから三ヶ月が経った頃だった。


「村長はそれから、島への出入りの制限を厳重に強化した」
 リヴァルは続けた。
「島の外の人間が引き起こした災害なら島の外からの侵入をことごとく防げばいい。村長は、何度も村民と会議をして、そう結論付けた」
 リヴァルはそこで話を止めた。その様子からその先は安易に想像できた。
 何事も無く暮らしていたが、ルキアスが現れ、同時に取り戻しつつあった日常は崩れ、今に至る。
 全てを話し終えるのに一時間半近く時間がたった。リヴァルが内に秘めていた過去を語る中、他のみんなは何一つ言葉を発する事無く耳を傾け続けた。
「それで全部か?」
 ルキアスの問いにリヴァルは頷いた。
「なるほど。『「当然」が原因で一時崩壊した』、『良い素材が出来上がってくる頃だろう』。あの時の言葉の意味はそういう事だったのか」
 ルキアスはリヴァルに目を向けた。彼は俯いたまま何の反応も見せない。
 長い沈黙の後、リヴァルは立ち上がった。時計の針の音しか聞こえなかった静寂の空間で、彼の立ち上がる音は、他のどの音よりも大きく感じられた。
「悪い。外の空気に当たってくる」
 部屋を出て行くリヴァルの顔色は悪かった。無理も無い。あまりにも酷すぎる。
 リヴァルが部屋を出て数分が過ぎ、ルキアスも後を追うように外へ出て行った。
 扉の閉まる音が、異様に空しく響いた。


 海には月が映っていた。
 だが細波でその形は歪んでいて、ただその明るさだけが正確に反射していた。
 すっかり夜の景色になったポンペノに、波の音がこだまする。優しく爽やかな潮風に吹かれてみるが、開きかかった傷を癒す事は毛頭出来なかった。
「ここは涼しいな」
 隣に現れた男は静かに言った。
「ホテルのバルコニーも捨て難いが、ここはもっと捨て難い。夏である事を忘れさせる」
「景色も良いしな」
「同感だ」
 男は微笑する。同時に、リヴァルにマグカップを差し出した。
「ロビーのスタッフに頼んで作ってもらった」
「サンキュ、ルキアス」
 そういい口にする。瞬間リヴァルは「苦っ」といいルキアスの方を見た。
「コーヒーはダメか?」
「ブラックだけはダメ」
「子供だな」
「……子供だよ」
 いつもなら反抗する所を彼は反抗せず、素直に受け入れた。ルキアスがいつもの調子を崩したのはいうまでも無かった。
「一人じゃ何にも解決できない。誰かに甘えて答えを出してもらわなきゃ生きていけない。ただのバカなガキだ」
「……そうだな。お前はバカな子供だ」
 そこでもリヴァルは反抗の意思を見せなかった。ルキアスは続けた。
「だがだからこそ純粋に『悩む』事ができる。違うか?」
「よくわかんね」
「お前はどうしたいんだ? ウィーグルを……出切る事なら仲間に……とでも?」
「それも良いとおもう。けど、もし無理ならやっぱ……」
 殺さざるを得ない。だがその言葉は彼の口から発せられる事は無かった。だが安易に予測できた。彼の震える口元を見れば一目瞭然だった。
 また穏やかな風が吹く。だが少し生暖かかった。
「リヴァル」
 しばらくの沈黙の後、ルキアスは言った。
 リヴァルは振り向かず、視線を歪んだ月へ固定したまま彼の言葉を待った。
「……悩め」
 ルキアスは続けた。
「人は、悩んだ分だけ強くなれる」
「悩んだ分……?」
「そうだ」
 振り向いたリヴァルに、ルキアスはさらに強く言った。
「そして少しは僕達にも頼ってもらいたい。力になれないかもしれないが、できることは何でもする」
 彼の歳不相応な言葉は、難しいがとても説得力があった。だがそれは、単純に彼の頭がいい、と言うだけではない。
 彼が仲間だから。頭脳明晰で頼りがいのある彼の言葉だから。仲間であり同時に友であるルキアスの言葉だから。
 リヴァルは再び海へ視線を向けた。
 しばらくの沈黙の後、静かに口を開いた。
「……少し一人で歩いてくる」
 そう言ってルキアスの方へ振り向いた。
 さっきとは違い、その目から迷いは感じられなかった。
「また、一人で悩んでみる。けど誰の力も借りない。俺自身で、必ず答えを見つけてくる」
 そう言った後手に持っていたマグカップをルキアスに渡した。
「気をつけてな」
「ああ」
 リヴァルはそのまま、高台と街を結ぶ階段をゆっくり下りていった。
 ――あいつには……敵わないな……
 ルキアスは心の中でそうつぶやくと、ホテルの中へと引き返した。


 ホテルの部屋では、未だに重い空気が充満していた。
 ニーナも、カルノスも、シュリアも、誰一人として口を開こうとはしなかった。
 だがやがて一回の舌打ちが聞こえた。そして「クソッ」と言うカルノスの声が響いた。
「……なんで言ってくれなかったんだよ。仲間だろ? 俺ら」
「……しかたないよ」
 シュリアは冷静に返す。
「あんな悲劇、思い出すだけでも辛いはずだもの……」
 同時に、それは自分にも言える事。だからこそ、リヴァルの気持ちがよく分かる。
 カルノスは、寂しそうな表情を見せるシュリアを見た。そして小さく溜息をつくと、ベッドに寝転がった。
「私たちがしてあげられる事って……あるのかな」
 ふとニーナが言った。
 シュリアとカルノスは、窓の向こうを眺めるニーナの方を向いた。
 ニーナは窓に手を当てガラスを隔てた闇を見つめている。だが意識は、常にガラスに映る自分にいってしまう。
 そこに居る自分の過去と彼の過去とを比べ、予測の範囲で、ずっと似ている物と思っていた。
 だがそんな事は、ある意味での自惚れでしかなかった。
 明らかに自分が、リヴァルの過去の辛さを知ったかぶっていたのだ。
「仲間なのに……何もしてあげられないのかな」
 そのニーナの言葉に、カルノスとシュリアは思いつめるように俯いた。
「僕らが存在しているという時点で、既にリヴァルのためになっているんだと思う」
 部屋に入ってきたルキアスが言った。部屋に居た三人はいっせいにドアの方を向いた。
「してあげる事が見つからないのは、既にそれをしてあげているからだ」
 仲間なのに、では無く、仲間だから。彼にとって仲間と言う関係その物が、同時に支えだった。
「心配する事は無い。あいつは強い。誰よりもな」
 そう言ってみんなに微笑みかけた。その笑顔が、今は心強かった。
「で? その本人はどこに行ったの?」
 しばらくの沈黙の後、カルノスが聞く。
「一人で散歩に行った」
「散歩〜?」
 予想外の返答に複雑な表情を見せるカルノス。それに小さく笑いルキアスは続けた。
「しばらく一人にさせて置こう。あいつはあいつなりの答えを模索している最中なんだ」


 ウィーグルは、廃墟でリヴァル達を待つ前に、一時城へと帰っていた。ネイドに色々と聞いておきたい事があったからだ。
 ウィーグルのような所謂成功例は、城内の移動の自由を許されていた。
 もちろん許可を貰っていなければ通れない場所や入れない部屋もあるが、基本的には一般兵よりも地位的なものは高い。
 もっとも、それは生きた兵器としての利用価値の高さゆえのものだ。
 そう。彼らは『生き物』として見られてはいない。どう足掻こうと、結局『兵器』としてしか見てはもらえない。
 だが、そんな事は自分達に関係は無かった。形はどうであれ生かされているのだ。
 そして生き続ける為に、自分を兵器と認める。兵器として尽くす。
 ただそれだけだった。
 どうやらネイドは自室には居ないようだった。彼が自室に居ない時は大抵キメラ研究所に居るのだが、さっき見に行った時には居なかった。
 ネイドの自室から研究所までは一直線だから行き違いと言う可能性は低い。
 仕方がなく、城内や城外をくまなく探す事にし、ネイドの自室を後にしようとした。
 その時初めて、自分のそばに人が居る事に気がついた。
「どうかしましたか?」
 その男・ブロウスは言った。静かな笑みは窓から差し込む青白い月光に照らされ、暗闇に不気味に浮かび上がる。
「ネイド様でしたら、この先のバルコニーに居ましたよ」
「……すまない」
 そう言って一礼し、ウィーグルは彼の横を通り過ぎた。
「そうそう。大事な事を言いそびれていました」
 ブロウスはそう言い振り向く。ウィーグルは首だけを後ろへ向け、彼の言葉を待った。
「君は、『生きている』のではない。『生かされている』のです。その辺りを、確り自覚してくださいね」
 そう言ってまた静かに笑った。相変わらず不気味な男だ、とウィーグルは思った。
 ウィーグルは何も言わずにもとの方向へ歩き出した。やがて体は闇へと吸い込まれるように消え、ただただ足音だけが空しく響いた。
「……マリオネットは……操られる為に作られる物ですよ……」
 そう一言、誰に言う訳でもなく呟いた。冷たい感覚のする言葉が暗闇に吸い込まれるのと同時に、ブロウスは溶けるようにその場から消えた。


 ブロウスの言うとおり、ネイドは廊下の先にある部屋のバルコニーに居た。
 この部屋は客間だが、この城に客人が来る事など、よほどの事でもない限りはない。
 掃除がまったく行き届いていない。汚く積もったほこりが、意外にも外の光を綺麗に反射していた。
 視線をその外に向ける。空を見上げていたたネイドが、ふとこちらへ振り向いた。
「おや?」
 第一声。ネイドは続けた。
「どうなさいました?」
「あんたに聞きたい事がある」
 なんなりと、と言いたげにしているネイドを見、ウィーグルは続けた。
「俺の昔の事と、リヴァルとか言うガキとの関係」
 まるで、その質問を待っていたかのようだった。ネイドは落ち着きを保ったまま、またウィーグルの言葉を待った。
 手すりに置いてある彼の手を見る限りでも、動揺や緊張といった感情の乱れは感じられなかった。
「あのガキは俺の事を知っていた。なぜだ? 俺は生まれも育ちもこの国で、そしてこの国から出た事は無かったはずじゃなかったか?」
 どうやら今のウィーグルは以前の記憶はなく、そして持っている記憶のすべては、レネス島での一件を別の物で上から塗り固められた偽りの物の様だ。
「知っている事を話せ。全てだ。でないと殺すぞ」
 ウィーグルは剣を抜く。
 脅しではなかった。しらばっくれる様なら殺す。
 だがネイドにとっては、それは脅しにすらならなかった。
「……いいでしょう」
 ネイドは笑った。それは、ウィーグルの心を弄ぶような、せせら笑い。
「全てを……お話ししましょう」

 続く

第二十七話へ

目次へ

第二十九話へ