―第二十六話―

初めて来た人へ
 収穫祭は、毎年九月の下旬に行なわれていた。
 要は今年の収穫の程を祝う祭りだ。自給自足を基本としているが故に農業が発達しているレネス島では、一年で一番盛り上がる祭りだった。
 豊作なら神に感謝し、逆に凶作なら田畑を清める。
 そう言った儀式で始まり、やがてどの農家が一番収穫量が多かった、とか、そう言った競争事へと発展、そして一夜を飲み明かして終わる。
 夜明け頃、朝の六時に始まり半日以上をフルに使う祭りは、今年も例によって盛り上がった。
 夕方にはもう飲み会なっていた。だがウィーグルもリヴァルも未成年なので、ジュースやお茶を片手にみんなの輪に入った。
 やがて夜の八時を回った頃、ウーディーは一人暗い家路をたどっていた。まだ他の村人は飲み会の真っ最中だった。だがウーディーは、一足先に席をはずした。
 酒に弱い事も理由のひとつだが、もう一つの、そして一番根本的な理由は、大人数で騒ぐのがどうにも苦手だったのだ。
 船着き場の小屋に着き、ドアを開けた。雫が水面に落ちたような音はその時に聞こえた。聞き間違いかと思い、ドアを開けたまま静止した。
 また確かに音がした。ポチャンと言う、水面を揺らす独特の音が。
 雨の降っている気配は全くといっていいほど無かった。船着き場付近の海に何かが居るのだろうか。
 小屋の中から懐中電灯を取った。そしてその明かりを水面へ向けながら桟橋の上を歩いた。
 ゆっくりとした歩調で歩くたびにギシッときしむ。その音がこの緊張感をさらに増加させる。
 やがて桟橋の端まで辿り着いた。特に何かが居た様子は無かった。
 ――……気のせいだったか……
 どこか安心した彼は、安堵の溜息をついた。
 その刹那だった。彼が、首に冷たい感触と同時に、痛みと生温い何かを感じ取ったのは。
 おもわず首を押さえた。何かがその手を押し退けようとする力強さを感じた。水かと思ったが違った。だが水のような物である事は間違いなかった。
 生温いそれが自分の血である事を知った時、彼は声をあげる間も無く水面に沈んだ。
「こちらB班。港湾職員らしき男一名を排除及び船着き場を占拠。ネイド様。次の指示を」
『A班が海岸を占拠しだい次の行動に移ってください』
 無線機の向こうから響くネイドの声。
 ブロルの魔の手は、もう寸前まで迫っていた。


 夜九時半を回った。飲み会はお開きとなり、各々家へと帰っていった。
 ウィーグルは酔いの目立つシーホークに肩を貸しながら歩き、リヴァルは三人がたどる家路を二人よりも先に歩いた。
 ウィーグルは、いつもとは違ったシーホークの一面を見て、帰る途中も度々笑った。
 その度にシーホークは腕を振り上げ怒り出すが、呂律が回らず何を言っているのかいまいち聞き取れないでいた。
 やがて村の郊外にある、月明かりに照らされた家が見えてきた。
「じいちゃん。家に着いたよ」
 リヴァルの声にシーホークは、また意味の分からない言葉を並べた。リヴァルとウィーグルは目を合わせ、微笑しながら溜息をついた。
 家の鍵を開け中に入る。リヴァルは玄関の明かりをつけると、居間へと進み、また明かりをつけた。
 その時だ。自分の背後で何かの落ちる音がした。
 同時に気配を感じ取る。人だ。
「避けろ、リヴァルッ!!」
 ウィーグルの声が耳に入った時には、もうリヴァルの体は動いていた。
 黒装束の何者かが振り下ろした剣をリヴァルは紙一重で交わす。その剣はそのまま床に刺さった。
「テメェ……――」
 リヴァルはすぐ横にあっ木造のイスを持ち上げると、黒装束の男目掛けスイングする。
「――なにモンだッ!!」
 だが男はすぐに剣を体の前にかざし、体への接触を防いだ。そしてリヴァルの体を蹴り怯ませると、玄関の方へ走った。
 玄関との中間にはウィーグルがいる。だが彼はシーホークを担いでいて、まともに動けない。
 男は上手くウィーグルを交わした。だが彼は、玄関の外へ出る事は無かった。
 ウィーグルに担がれていたシーホークは、男が過ぎった瞬間男に圧し掛かった。一瞬の事すぎて、男本人も何が起こったのか把握できないでいたほどだ。
「じいちゃん!」
 予想外の展開に驚いたリヴァルは、とっさにそう叫んだ。
「もう酔いは冷めたんですか!?」
 ウィーグルも同様だった。
「まだ少しクラクラするがな。だが大丈夫だ」
 シーホークは手ごろな縄を用意するようリヴァルに指示をした。リヴァルはイスにかかっているシーホークの着替え用のパンツからベルトを取り手渡した。
 そして、まるで狩った獲物の手足を縛る時の様に手際よく、後ろに回した男の手を縛った。
「リヴァルに代わって聞く。貴様は何者だ」
 だが男は黙ったまま何も言おうとはしなかった。
 ふとリヴァルは天井を見回した。急に後ろに現れたのだから、きっと何らかの方法で天井に身を隠していたと考えるのが無難だったからだ。
 案の定、天井には剣を突き刺したような後があった。おそらく剣を天井に斜めに刺し、それを掴んで天井に身を隠していたのだろう。
 ただの空き巣がそのような高度な技術を持っているとは考えにくい。何より、男の黒装束が、ただならぬ雰囲気をかもし出していた。
 戦闘に精通した人間。暗殺技術に長けた人間。忍びとして育てられた人間。
 いつまでも黙ったままの男の態度に業を煮やしたシーホークは、まず右足に腰の短剣を突き刺した。
「ウグッ……!!」
 マスクの向こうから小さい呻き声が聞こえてきた。
「次は左足、最終的には四肢全てを使えないものにするが……それでも何も言う気はないのか?」
 足から剣を抜き、左足の上に剣をかざした。
「言え。何も命を取ろうとは思っていない」
 シーホークがそう言った瞬間、黒服の男からまた呻き声が聞こえた。
 だがシーホークの持つ剣はまだ左足の上にかざされたままだった。シーホークはハッとなり、急いでマスクをはずした。
 血走った目が上を向いていて、瞳が瞼の裏に隠れんばかりだった。口の中を開いた。男は自分で舌を噛み切り、息絶えていた。
 シーホークは舌打ちをした。
「かなりプロっぽいよね」
 リヴァルは言った。シーホークはそれに頷く。
 シーホークは死体を片付けようとして男の体を動かした。その時だ。首元がかすかに光を反射させた。
 まさかと思い死体を床に置き確かめた。シーホークは目を見開くと、そばに立っていたウィーグルの体をいきなり壁に叩きつけた。
 ドンと言う大きな音に、ウィーグルだけじゃなくリヴァルも驚いた。
 シーホークは壁に押さえつけられているウィーグルの胸倉を掴んだ。
「援軍を呼んだのか?」
 シーホークの質問は、唐突且つストレートだった。
「俺にだって分かりません! なんで奴らがここにいるのか……」
 二人の間では会話が成り立っていた。だがリヴァルには全く把握できていなかった。
「……なに? 一体何がどういう……」
 その一言で、シーホークは少しだけ冷静になった。
 これ以上、ウィーグルの素性を偽るのは無理とシーホークは判断した。
 そして重い口を開こうとした。
 だがその時だ。開けっ放しの玄関のドアの向こうに、村人の一人が現れた。血相を変え、肩で息をしている。
「シーホークさん……」
 震えた声。村の方で何かが起こった事を、一同は瞬時に悟った。
「……村が……襲われてる」


 なぜこのような事態になったのか。村の人々は何も理解できぬまま、逃げ惑い、そして殺されていった。
 村に住む猟師達が盾となり、逃げる村人の手助けをした。だが黒装束の男たちは、その力、その人数、ともに猟師達のそれをはるかに凌いでいた。
 村の家々は焼かれる。暗がりに赤とオレンジの光が光沢する。
 シーホークは村へ急いだ。いくら猟師とはいえ、ブロルの軍人に無傷で勝てる見込みはない。
 後にはリヴァル、そしてウィーグルも続いた。
 案の定、村の猟師たちは苦戦を強いられていた。その一人を囲んでいる敵の輪を崩し、一気に勝負をつけたシーホークは、その猟師の安否を確かめる。
「助かったぜ、シーホークの旦那」
「間に合ってよかった。怪我はないな、ザック」
 ザックは「俺は大丈夫だ」と言い、シーホーク達が訪れるまでに起こった事やその結果を手短に話した。
 島の住民は、村長の家のある小高い丘のほうへ避難したらしい。あそこはまだ被害はないとの事だ。
 丘のふもとに他の猟師を集め防衛線をはってはいるがいつ崩れるとも分からない。
「とにかくザックはその防衛線の方へ加勢しに行け」
 シーホークは事を把握すると、瞬時に対策を練った。
「俺とリヴァル……――」
 シーホークはそこで躊躇した。同時にウィーグルの方にチラッと目を向けた。
「――それとウィーグルで、逃げそびれた人や他に戦っている猟師たちの手助けをしに行く。で、後でまた合流する」
 ザックは頷くと、すぐさま丘の方へ向かった。
 その後ろ姿を見送ると、リヴァルたちにもそれぞれ散るよう指示を出した。
「リヴァル。お前の場合は、自分が危険だと思ったらまず自分の命を優先しろ。いいな」
 リヴァルは力強く頷くと、「行って来る」と言って去って行った。
 残ったシーホークとウィーグル。お互いの方向に向き合ったとたん、気まずい雰囲気が辺りを支配した。
 炎の燃え盛る音が響く中、二人の中で時間が止まっているようでもあった。
 しばらくの沈黙の後、シーホークはきびすを返し、去っていった。だが、ウィーグルの時は止まったままだった。パチパチと木の燃える音がする。
 もう火はほとんどの家々に移ってしまっている。このまま自然に火が治まるのを待っても、今から急いで消火作業を行なっても、結果に差はほとんど生じなさそうだった。
 自分の手がかすかに震えていた。何故かは分からない。
 悔しさに似た感情があふれそうだった。これも、何故かは分からない。
 だが、その頭の中での自問自答が終わらぬまま、突然背後からの殺気を感じた。ウィーグルは振り向きながら剣を振った。浅いが手ごたえは確かにあった。男の胸の辺りに横一文字に血の赤が走る。
 背後で倒れた黒装束の男を、その傷口の部分を中心に踏みつけた。
「……何が目的なんだ……」
 悔しさと言う感情の矛先をその男に向け、ウィーグルは言った。
 そして屈み、その男の首のドッグタグを取り出した。やはりこの集団はブロルの軍人だった。
 この集団がこの村を奇襲した答えは、彼の中ではほぼ明らかになった。
 ウィーグルは自分のドッグタグを取り出した。そのドッグタグを目にしたとたん、男は目を見開いた。
 そして、すぐにウィーグルの顔に目を向けた。何かを確認しているようでもあった。
「……俺なんだな……」
 マスクをしていて分からなかったが、男は笑っているような気がした。


 とりあえず、逃げそびれた人はいない様子だった。その事にシーホークは、ひとまず安心した。
 辺りを見渡すが、人影もない。シーホークは、丘のふもとの防衛線へ急ごうと走り出した。
 だがその時だ。通り過ぎようとしていた家屋が音をたて崩れた。
 同時に、そこから黒装束の男が数人で襲いかかってきた。
 シーホークは男達の攻撃を剣で受け、そしてかわし、囲まれないように動いた。だが男たちは予想だにしないような場所から次々と沸いて出てきた。この燃え盛る家々の、一体どこに隠れる場所があるのだろうか。
 不覚にも囲まれた。数はざっと十五、六。いくら村一番の猟師とは言え、周囲を囲まれた状況下でこの人数相手は無理があった。
 ――……これまで……か
 そう半ば諦めかけた。
 だがせめて二人か三人は、ここで始末しておきたい。そう簡単に白旗を振るわけにはいかない。
 どうせ老い先短い身。刺し違えてでもと言う覚悟はできていた。
 シーホークは構えた。そして、降伏する意思は毛頭無い事を男たちに示した。
 だが当の男たちは、いくら待っても攻撃の姿勢を見せなかった。それどころか、お互いの顔を見合うといっせいにその場から後退して行った。
 何がどうなっているのかシーホークには分からなかった。しばらくその答えを見つけようと、今までの過程を思い出し、しばらく立ち止まっていた。
 そして、急に我に帰ったように意識が戻ると、丘の防衛線の方へ急いだ。


「じいちゃん!」
 防衛線には、既にリヴァルが合流していた。怪我らしい怪我も見当たらない。どうやら無事のようで、シーホークはまた安堵した。
「奴等、急に撤退しやがった」
 ザックが前に出てきて言った。どうやらここにも数人来ていたようだが、皆いっせいに撤退したらしい。
「とにかく、みんなが無事でよかった」
 とは言え、お世辞にもダメージが少ないとは言えなかった。
 結局村中の家屋は全焼。人口も三分の一ほどまで減ってしまった。皆死んでしまったと、ザックは俯きながら言った。
 だがシーホークには、不可解な事が二つだけあった。
 村人の死体はいくつか転がっているのを確かに見た。だが、戦って死んだはずの猟師の死体がどこにも無かった。
 もしかしたら、死んだのではなく連れ去られたのか。そんな疑問が脳裏を過ぎった。
 そして何より、ウィーグルの姿が無い。
「ウィーグルは?」
「いや……来てないけど」
 リヴァルの言葉が耳に入った瞬間、シーホークの次の行動は決まった。
 シーホークは踵を返すと、防衛線を後にした。

 
続く

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