―第二十四話―

初めて来た人へ
 草の中にかがんで息を殺す。少しでも音をたてれば、その敏感な聴力がそれを感じ取りすぐに逃げ出してしまう。
 確実にしとめられるタイミングを、ただひたすら待つのみ。例え何十分かかろうとも。
 焦ってはいけない。忍耐が一番試される時間だった。
 気配を殺しゆっくり近づく。音をたてない様慎重に……。
 草むらから飛び出し一瞬で急所を突く。それらの過程を正確にこなす為には、最低でも獲物から半径二メートルは近づかなくてはならない。
 やがて獲物が目と鼻の先の所まで来た。
 だがその時、小枝の折れる音が密林に響いた。
 瞬間、目の前まで来ていた鹿が危険を察知し、音の発生地点から遠ざかる様に逃げだした。
「……クソッ!」
 リヴァルはその怒りを拳に溜め地面をたたきつけた。
 湿った土にはその跡がくっきりと残っていた。
「なんだかな〜、も〜」
 そう言い地べたに寝転んだ。
 そして大きな溜め息をつくと、立ち上がって次の獲物を探し始めた。


 海岸へ行くと、既にシーホークとウィーグルが待っていた。
 ウィーグルは今日初めて狩りを経験するらしく、本人だけでなくリヴァルもその結果が楽しみであった。
「例によってウサギと仔鹿か」
 シーホークは、半ばからかう様に微笑し言った。
「うるさいな」
 リヴァル自身、シーホークに言われずとも自分の結果には満足していなかった。
 小さく溜め息をつき、今度はウィーグルの足元を見た。
 仔ベアが二匹。
 初めての狩りでこの成果は、リヴァルだけでなくシーホークもびっくりだった。
「ウィーグルには才能があるんだろうな」
 と、シーホークは何故だか鼻高々と言った様子だった。
 対するウィーグルは、言われたとおりに行動しただけだと、苦笑しながら否定的な態度をとった。
「んな事ねぇって」
 リヴァルは半ば興奮気味に言った。
「初日でこれだろ? 一週間もすれば凄腕の猟師になれるって」
 リヴァルの素の気持ちだった。
 もちろん、悔しさが無いと言えば嘘になる。だがそれ以上に、彼の猟師としての資質に感服していた。
 そしてこの結果が、なにより彼自身の為にもなった。
「こりゃ、グズグズしてるとあっと言う間に追い越されるかも」
 ある種の危機を感じたリヴァルは、そう言い立ち上がると、密林のほうへ引き返した。
「もう獲物のほうは十分だからな!」
 遠くなるリヴァルの背にシーホークは声をかけた。
 了解の意味を込め、リヴァルは振り向かずに手を上げた。
「まぁ、リヴァルには良い薬になっただろう」
「え?」
 ウィーグルは、そのシーホークの言葉の意味を把握できなかった。
「ウィーグルのおかげで、リヴァルの猟師魂に火がついたんだ」
 なるほど、とウィーグルは感心した。
「あいつの顔を見ただろう。『抜かされてたまるか』。そんな事を思わせる表情だったよ」
 シーホークはニッと笑いかける。
 去っていくリヴァルの表情。眉間に皺を寄せ、しかし自信に満ちた笑みを浮かべていた。


 辺りがだんだんと薄暗くなって行く。
 街灯が無く、夜を照らす唯一の光源が月と星だけのこの島で、夜遅くまで出歩く人間はあまり居なかった。
 いくら一人前に狩りが出切るとは言え彼はまだ十三。さすがのシーホークも、最初は苛立ちの方が目立っていたが今は心配でしかたなかった。
「俺が見てきます」
 ウィーグルは玄関に立てかけてあった短剣を腰に提げ家を出た。
 シーホーク達から聞いていた通り、島の夜は明かりらしい明かりは何も無かった。唯一の光源も、生憎と雲に隠れその役目を果たしていない。
 正真正銘の夜。いや。闇と言うべきか。あらゆる不安が脳裏を過ぎる。
 ウィーグルは密林へと急いだ。


 上下左右の感覚がほとんど無くなりかけていた。木々に覆われ昼間でも薄暗い密林は、こんな闇夜こそ本当の恐怖と化す。
 ――クソ……何も分からない……
 気がつけとどこかに痛みを感じる。きっと細い枝が顔や手の甲をかすめた為だろう。そんな空間だった。
 ――闇雲に歩くとこっちも迷いそうだな……。
 ウィーグルは歩くのをやめ、耳を澄ました。
 ほんのかすかな物音でも、聞こえれば何かしらの役には立つ。全神経を耳に集中させた。
 あらゆる音が彼の耳に入り込んできた。かすかな風に揺らされた葉の音や、遠くの方から聞こえるかすかな波の音。
 音を思考の中で正確に具現化させる事は、彼にはまだできない。
 だが方向なら分かる。とにかく今は、音の発生地点のおおよその方角を知る以外、リヴァルの居る位置を特定する術は無かった。
 やがて荒い息遣いが聞こえてきた。そしてその合間合間に掛け声のような物も聞こえた。声の主は間違いなくリヴァルだった。
 ウィーグルはその方へ歩を進めた。
 暗さにも次第になれ、ぼんやりとたがリヴァルらしき人間を確認した。
 彼の周りに立つ木には無数の切り傷があり、彼が何時間も木を相手に訓練していたのが分かる。
 彼の疲労も相当な物だ。様子からして何時間も動きっ放しなのだろう。
 彼がもう一度剣を振った。そばの細い木にクッキリとした傷ができ、音を立てて倒れた。
 リヴァルはやがて手を休め、肩で息をし始めた。
「……ウィーグル」
 リヴァルの言葉に、ウィーグルは肩をビクつかせた。
「いつから居るって分かった?」
「今さっき」
 リヴァルはずっとこちらを振り向かずに言った。
「まだ気配を消す事は出来ないんだね」
「リヴァルとは違うからな。お前みたいに上手くはできない」
 ウィーグルはゆっくり彼のもとへ近づいた。近づいて初めて分かった。彼の肩が震えている。寒さの為かと思ったがそうでは無いようだ。
 ふと周りの木々に目を向けた。
 意識がそこに行った瞬間、生木が折れた時の匂いが始めて鼻を刺激した。
 彼が木につけた傷は、『傷をつけた』と言うよりは、『半ば折れかかっている』と表現した方が良いぐらいに深かった。
 何が彼をそこまで動かしたのか。ウィーグルは自分なりに考えたが的確な答えが浮かばなかった。
「……なぁ、ウィーグル」
「ん?」
「……どうすれば強くなれる?」
「……どうしたんだ? 急に」
 彼は優しく言う。
「会ってちょっとしか経ってない相手にこんな事言うのは失礼かもしれないけど……なんか悔しいから」
 リヴァルらしいなと、ウィーグルは思わず納得してしまった。
「なぁリヴァル」
 ウィーグルは続けた。
「俺とお前じゃ三つも歳が違うんだ。それによる多少の力量の差って言うのは仕方が無い物なんだと思う」
 言い終えた後、しばらくリヴァルの反応を待った。
 だが彼は黙っているままだった。ウィーグルはまた続けた。
「もし俺がリヴァルと同い年だったとしたらどうだろう。そしてもしリヴァルが俺と同い年だったら?」
「……どういう……意味?」
「つまり、もしそうなった時俺はリヴァルよりも果たして強いかって事だ。多分、俺はリヴァルに負ける。それぐらいリヴァルは歳不相応に強い人間なんだよ」
 またしばらくの沈黙。
 どこかで鳥の羽ばたく音が聞こえた。静寂しきったこの空間では、かなりの騒音のようにも思えた。
「……明日から毎日、狩りの後稽古をしよう。俺の我流だけど、力にはなるはずだ」
「ほんとか?」
「ああ」
 それを聞くと、リヴァルは飛び跳ねて喜んだ。
 その様子を見ていると、その狩りの能力とは裏腹にまだあどけないな、とウィーグルは思った。
「さて帰るか。おじいさんが待ってるぞ」
 リヴァルは「帰りたくない」とつぶやいた。
「なんで」
「ぜってぇ怒ってる」
「そりゃ当然だろうな」
 ウィーグルは微笑を浮かべ言った。
「じいちゃん怒ると殴るんだもん」
 やはりまだあどけない。こう言った面はまったくの歳相応だ。
「多分ウィーグルも殴られる」
 その言葉にウィーグルは驚き「なんで?」と聞き返す。
「多分……つーか絶対殴られる」
 リヴァルも微笑を浮かべた。
 ウィーグルは「こりゃ参ったね」と頭に手を当てた。
 暗がりの中二人はふと目があった。同時に短い笑いが起こった。
「じいちゃんの右ストレート、いってぇ〜ぞ?」
 リヴァルの予言どおり、帰った時には家にシーホークは居らず、鬼が居座っていた。だがリヴァルの予言は全て当たった訳ではなかった。
 なぜなら、帰って早々鬼が繰り出したのは、ラリアットだったからだ。

 続く

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