―第二十三話―

初めて来た人へ
 自分がブロルの人間であり、何らかの形で軍に関係していた事を、ウィーグルは否定しなかった。だがそれ以上を話そうとはしなかった。
 彼は出きるだけここを早くに出る事を条件に、リヴァルを始めとする島の人々に、自分がそういう人間である事を隠してほしいと要求してきた。シーホークは真剣に話すウィーグルを見て、小さく溜息をついた。
「体の調子がまだ良くない以上、今すぐ出て行けとは言えない」
 しばらく考え込んでからシーホークは口を開いた。
「君の言うとおり、この事は内密にして置く。だが約束は守ってもらおう。体の調子が戻り次第、出きるだけ迅速にこの島を出て行ってもらいたい」
「……ありがとうございます」
 ウィーグルは頭を下げた。
 しばらくして、リヴァルが村の薬局の袋を担いで帰ってきた。買ってきた錠剤の薬を口に入れ水で流し込むと、ウィーグルは再びベッドで横になった。


 三年前に起きた二大国戦争。
 レネス島はカルーナ・ブロル両国から見て南方に位置し、さらに距離も離れている為、若干の物資難に陥ったものの、戦争による直接的な被害は免れた。
 故にこの島の人間は、軍と言う力の強大さを知らない者が大勢居る。
 仮にウィーグルがブロルの軍本体を召集、島を襲撃するとなると、この島の村が壊滅する事は必至だった。
 シーホークはそれを警戒し、熱が下がり動けるようになるまで、リヴァルを彼の看病兼監視役としてそばに置く事にした。当然ウィーグルとの約束どおり、リヴァルには彼がブロル出身である事は伏せておいてあるし、そのリヴァルが彼の監視役である事も伏せてある。
 リヴァルは何のためらいもなくそれを了解した。
「じゃぁ行ってくる。昼過ぎには戻る」
 シーホークはそう言うと早速狩りに出かけた。
 それを見送った後、リヴァルはウィーグルのもとへ行き、濡れたタオルを細くたたむと、ウィーグルの頭にあったタオルと交換した。
 そのタオルは仄かに温もりが感じられた。まだ熱はあるようだ。ウィーグル自信、まだ体の節々が痛く、だるかった。食事が喉を通らない訳では無いが、物をたくさん食べたいと言う訳でもなかった。
 二、三回せきをすると、深呼吸をし頭を枕に沈ませた。
「よっと」
 すぐ近くでそんな声が聞こえ、その方に目を向ける。
 リヴァルが近くにあった椅子に座って、こちらの様子を伺っていた。
「まだだるい? 昼飯はおかゆでいいよな」
「……ああ。すまない」
「ウィーグル……だっけ? どこから来たの? 歳ってどの位?」
 年齢はともかく、一番聞かれたくない事だった。
「……ルーミナル大陸。エストルって港町から来たんだ。歳は十六」
「三つも年上だったんだ……」
「けど、今さら敬語使う気は無いんだろ?」
 ウィーグルは微笑しながら言った。リヴァルは何のためらいも無く頷く。
「俺もその方がいい。変に敬語使われると逆にイライラするからな」
 その言葉に、リヴァルは安心したのかフゥと息を吐いた。
「俺リヴァル。よろしくな」
「ああ。改めて、よろしくな」
 二人は握手を交わした。ウィーグルの手は、たった三つしか違わないのに、とても大きく、たくましく見えた。


 ウィーグルが島に流されてから三日がたった。ウィーグルの熱も治まり、やっと人並み程度に動けるようになった。
 だが彼にはゆっくりしている暇はなかった。シーホークの言いつけ通り、島を出る準備に取り掛かった。
 それを一番不思議がり、そして押し止めようとしたのが、他でもないリヴァルだった。
 島を出る理由を聞き出そうとするも、彼はほとんど語らなかった。
 ただ一言「急いでるから」とだけいい、色々と荷物をまとめた。
 その時だ。隣の部屋にいたシーホークが、リヴァルにその訳を話した。
「彼にも帰る場所がある。そしてそこで待っている人間がいる。それを阻止する権利を俺達は持っていない」
 シーホークはウィーグルの方に目を向けた。
 それを追うように、リヴァルもウィーグルに目を向ける。
「そういう事なんだ。すまないな」
 そう微笑んだ。同時に、彼に自分がブロルの人間である事実を隠せた事に、心底安心した。
「……暇が出来たら――」
 ウィーグルはシーホークの方へ一瞬目を向けた。そしてすぐリヴァルの方へ戻す。
「――また来る。約束だ」
 シーホークは、自分に視線が向けられた時に、ウィーグルがなぜそう言ったのか、その訳をもう理解していた。
 全ては口約束。本当にこれる可能性は極めて低いし、どちらにしろここにくれば自分に警戒される。
 だがリヴァルを説得させるには、必要不可欠な一言だった。


「船が出ない?」
 船着き場に着いた時、それまで予想すらしていなかった出来事が彼等を待っていた。
「今年は例年より『荒れ』が早かったんだ。予定が狂うのも仕方ないさ」
 港湾職員のウーディーは、さっきまで見ていた新聞を折りたたみ、近くの小さい丸テーブルの上に置くと、港の小屋から出てタバコに火をつけた。
 小屋の先には桟橋が伸びていて、そこからまた左右に桟橋がいくつも伸びている。
 その間に四隻ほど船が止まっている。内、三隻は漁船だった。
「『荒れ』?」
 ウィーグルはウーディーに聞き返した。
「レネス島近辺の海は、この季節になると海が荒れてしばらく船の行き来が出来なくなるんだ」
 色々な海流が混ざり合う所に位置する島だからこそ経験する自然現象だった。島の沖四キロ地点をぐるりと一周する形で海が荒れてしまう。
 この『荒れ』は、毎年長くて三、四ヶ月は続く。
 だが島は農業も盛んで食料に困る事はまず無いから、そんなに慌てる出来事では無かった。
 ウーディーはウィーグルにそう説明した。
 つまる所、その『荒れ』が治まらないかぎり、何人たりとも島から出れないし、逆に何人たりとも島に入る事ができないのだ。
「じゃぁ、まだウィーグルはここに居れるんだな?」
 リヴァルは半ば嬉しそうに微笑みながら言った。
「そういう事になるな」
 シーホークの言葉を聞くと、リヴァルは小さくガッツポーズをした。
 そんな浮かれ気味のリヴァルを他所に、シーホークはウィーグルの傍で呟いた。
「夜リヴァルが寝た後……居間で話がしたい」
 ウィーグルは真顔になって頷いた。
「お〜い! 早く帰ろうぜ!!」
 その時リヴァルは、夕飯はご馳走が良いなと、のんきな事を考えていたのだった。


 上弦の月が昇り、無数の星が彩る夜。
 雲は無いようだった。そのせいか、いつもよりも明るい夜だった。
 もうリヴァルが寝静まった午後の十一時。居間のテーブルに腰掛けているウィーグルに、シーホークはコーヒーの入ったマグカップを渡した。
「ブラックでよかったかな」
「はい。ありがとうございます」
 やがてシーホークも腰掛け、マグカップを口元に運んだ。
 だがウィーグルは、その様子をただ見ているだけで、コーヒーを飲もうとはしなかった。
 何か言葉を発しようとするも、発する前に口を閉ざした。
 なかなか切り出せない。そんなもどかしい状態が一分近く続いた。
「……落ち着け」
 その様子を見かねたのか、シーホークは優しく口を開く。
「こうなってしまったのは仕方のない事。君をとやかく責めるつもりは毛頭無い」
 ウィーグルはそれを聞き少し落ち着きを取り戻した。
 そして手に持つマグカップを口元に運んだ。
「あちっ」
 思わずそう声を上げた。
 それを見ていると、とてもウィーグルがブロルのスパイとは思えなくなってきた。
 もちろん疑いが晴れた訳でもないし、彼が演技をしているだけという可能性も十分あり得る。
「……やっぱりまだ疑っているんですか?」
 ウィーグルは耐えかねたように口を開いた。
「……疑いを晴らす為の理由や証拠が無い以上……疑わざるを得まい」
「……そうですか……」
 ウィーグルは肩を落とした。
「……だが、君が仮に援軍をよこそうとしても島には入れない」
 シーホークの言葉にウィーグルは少し反応した。
「君を疑ってはいる。が、予め行動を制限されているのは事実」
「……じゃぁ……」
「俺がこんな事を言えた分際じゃないが……少し警戒を解こうと思う。明日はリヴァルにでも島を案内してもらうといい」


 翌日、リヴァルはウィーグルを村へ案内した。
 島に唯一の村はそれなりに賑わいを見せていた。ちゃんとした店から取れたての魚や獣の肉が並べられた露店など、その種類は様々であるが、唯一の共通点はどこも繁盛しているという事だった。
 いい意味で狭い島の為か、皆が皆知り合いのように接していた。
 リヴァルも村の人々に何度も声をかけられた。
 不思議な事にウィーグルの事も、噂程度ではあるが村中に広まっていた。田舎は噂が流れるのが早い、とはよく言ったものだ。
 一通り村の案内がすんだ後、二人は村長のもとを訪れた。村長はウィーグルの事を快く迎えてくれた。
「何も無い村だがゆっくりして行ってくれ」
 彼は柔らかい笑みを浮かべ続けた。今年でもう七十三歳だった。
「できるかぎりの御もてなしはしよう」


「ここの人たちは皆明るくていい人たちだな」
 家路をたどる途中、ウィーグルは言った。
「そんな事ねぇよ」
 リヴァルは苦笑した。
「すぐ怒る果物屋のオバちゃんにけち臭い駄菓子屋のジジイ」
「たいていの原因はリヴァルにあったりしてな」
「うえ! やっぱウィーグルもそう思う?」
「ああ。それしか考えられない」
 微笑するウィーグルの傍らで、リヴァルは「ひで〜」と言い道端の石ころを蹴っ飛ばした。
 二人は途中海岸へよった。
 リヴァルとウィーグルの出会った場所。そこは傾き始めた西日で黄色じみた光が充満していた。
 水平線の向こうから聞こえてくるような澄んだ細波の音。仄かに黄色く染まる潮水はやがて白くなって砂浜を走り、そして消える。
 波の循環が作り出すイルミネーション。全てが心を癒す演出だった。
「リヴァルは幸せ者だな」
「何で?」
 リヴァルが目を向けた時、ウィーグルの視線は海の彼方だった。
「こんな綺麗な風景をいつも見れるんだから」
「ウィーグルの住んでる所じゃ見れないのか?」
「……ああ」
 一瞬答えるのを躊躇した。
「でもこれからは見れるじゃん」
 その言葉を聞き、ウィーグルは初めてリヴァルの方を見た。
 そこにあったのは、彼の笑顔だった。
「ウィーグルが向こうに帰るまで、毎日来よう」
「……そうだな」
 二人はしばらくその場に佇んで波の音を聞いた。
 やがて太陽が沈みかかった頃、再び歩き出し家路についた。
 細波の音はいつまでも耳の奥で響いていた。

 続く

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