―第十九話―

初めて来た人へ
 リヴァルの傷や痛みが目立たなくなったのは、さらに二日ほどが経過した朝だった。
 目が覚めてすぐは横になったまま、暫く経って半身を起こす。センティムの酒場には誰も居なかった。
 外が眩しい。リヴァルは完全に起き上がると、ドアの向こう、光の中へ歩を進めた。
 外では、ルキアスとシュリアが中心になって朝食の準備をしていた。
 保存食やら何やらを多めに買い込んでおいたおかげで、とりあえず空腹を補う物に関しては何も問題はなかった。
「やっと起きたか」
 ルキアスは呆れたように言った。
 それが病み上がりの人間に対する言葉なのかどうかを聞こうと思ったが、リヴァルは止めた。
 結果は想像の通りだろう。そう思うと聞くのがバカらしくなってきたからだ。
「……もう大丈夫なの?」
 ニーナが心配そうにリヴァルの方を見た。
 リヴァルは「ああ」と頷く。
「心配かけて悪ぃ。もう大丈夫だ」
 見たところ、自分以外の仲間も、もうケガらしいケガは見当たらない。
 多分皆、ニーナが一人で診たのだろう。
 それがどれだけ辛く大変な事か、リヴァルには分からない。
 だが、それでも彼女は自分達の為に何かしようと努力をしてくれた。
 実際、その気持ちでも十分だなと、リヴァルは思った。
「飯食ったら先を急ごうぜ」
 パンを口に入れながらリヴァルは言った。
 同じくパンを口に入れたまま、ルキアスは言う。
「大丈夫だ。そんなに急ぐ必要は無い」
「俺の心配してんのか? 俺ならもう全然大丈夫だぜ」
「バカ」
 その一言でリヴァルを黙らせてしまうのが、ルキアスのすごい所である。
「急いては事を仕損じる、だ。焦らず準備を整えていかないと、今度こそ死ぬ」
 今回の嵐で、その事は十分に分かっていた。
 だがだからこそ、その強大な嵐を急いで押しとどめなければ、もっと被害が大きくなるだけだ。
「……それに、奴等を止める役目の僕達が死ねば、どの道奴等を止める事はできない」
 自分たちが死ねば元も子もない。
 それが、ルキアスの考えだった。
「しかし皮肉だな」
 暫くの沈黙の後、ルキアスは思い出したように微笑しながら言った。
「今回の件で、やっと全員の敵勢力が一致した」
「は?」
 リヴァルは、本当に何も分かっていない様子だった。
「僕とシュリアは元々一緒だが、カルノスやニーナ、そしてお前は、最初は僕について来ただけだった。違うか?」
 リヴァルは首を縦に振った。
 そしてその後すぐニーナとカルノスの方を見た。
 その顔はどこか間抜けで、あからさまに説明を求めていた。
「俺の場合は、このガントレットであいつを一発ぶん殴る」
 カルノスは水晶を目の前にかざした。
「ガントレット?」
 リヴァルがそう聞き返すと、カルノスは続けた。
「あいつがそう言ったんだ。岩の拳を見て。だから皮肉を込めて、ガントレットの名前であいつに一発おみまいする。絶対にッ!」
 あの時、自分は一撃もネイドに攻撃を与えられなかった。
 それどころか、彼の殺気や威圧に負け、戦意を喪失した。
 それが情けなく、同時に悔しかった。
「なるほど」
 リヴァルは彼の決心を聞き、そう呟いた。
 そしてニーナの方を見て続けた。
「ニーナは?」
「これ以上犠牲者を出させない。今回の事で、相手がどれだけ強力なのかが始めて分かった。もしあの人たちの力が一般市民に向けられたら、多大な被害が出る。それを私は止めたいから、皆と一緒に行く」
 リヴァルの目が覚めた時に彼女が言った言葉、『誰も死ななくて良かった』。
 その言葉の裏には、きっと辛い出来事があったのだろう。
 シュリアと似ている。
 自分の二の舞を起こさないよう、彼女は彼女なりの戦い方で戦おうとしている。
 それが例え、味方をサポートすると言う事であっても、だ。
「……最後はお前だ、リヴァル」
 ルキアスはリヴァルの目を見て言った。
「四年前。レネス島。そしてネイド」
 ルキアスは続けた。
「前に島の村長が言っていた事と関係があるんだろう?」
『その『当然』が原因で、この村は一時崩壊してしまった』。
 ルキアスとリヴァルの頭に、あの日の事が鮮明に浮かび上がった。
「今は深く追求はしない。言いたくなったら言えば良い。だが、お前もネイドがブロルに居る事を知った今、敵は定まったんだろう?」
 リヴァルは黙って頷いた。
 全ては四年前のあの日、レネス島に起こった悲劇。
 その全てにネイドが、そしてブロルが関わっている。
 祖父を亡くし親友がさらわれ、村に、そして村の人々に深い傷を負わせた忌まわしき事件。
 平然と今まで暮らしてきたが、無意識の内に復讐を望んでいた。
 今さらになり何度となく見た悪夢は、今回の一連の出来事を暗示していたのかもしれない。
「……確かに。変な話だな」
 リヴァルは微笑しながら言った。
「せめて今日はここで大人しくしよう」
 ルキアスは皿を置くと続けた。
「明日になったらここを離れ、東へ行こう。五日も歩けば港町・サナブに着くはずだ」


 ブロウスは、ネイドの自室の戸をノックした。
「失礼します」
 そう一言言うと、中からの返事を待たずにノブを回す。
 まるで古城のような石造りの部屋だった。
 だが広さは申し分なかった。
 入ってすぐの所においてあるテーブルには、何かの資料が山のようになっていた。
 だが決して、散らかっている訳ではなかった。
 部屋の側面に暖炉が設置してあるが火はついていない。
 奥の壁には、シンプルな四角窓がある。
 その窓を背にするように、ネイドは椅子に座り読書をしていた。
「バレガンコーナー・ポンペノ付近にウィーグルを配置しましたが……本当によろしいのですか?」
 ネイドの視線は、相変わらず本に固定されていた。
「異分子の監視の為とは言え、定期的に城へ戻し検査をしない事には使い物になりません。ましてバレガン大陸ではありますが、あそこはカルーナ領土。問題がおきてからでは遅い気が……」
 ネイドはやっと視線をブロウスに向けた。
「皇帝陛下がそのような事をいちいち気にするような人間に見えますか?」
「……それもそうですね」
 二人は互いに微笑を浮かべた。
 バレガン大陸内でも比較的北に位置する帝都ブロルは、七、八月でもかなり肌寒いくらいだった。
 言うなれば木枯らしのような風が、時折窓の外を揺らした。
 冬ともなれば積もる雪で銀世界と化す。
 そうなると、名前に定着したイメージからは想像できないような光景を目の当たりにする。
「いつまで演技を続けるおつもりですか?」
「観測記録の事ですか?」
 逆にネイドは問い返した。
「そうですね……彼等が死ぬまで……もしくは彼等が帝都に訪れ、皇帝陛下の前に姿を現すまで……といった所でしょうか」
「……今思えば、元々観測記録など奪われても支障なかったのでしょう?」
「物事にはリアリティが必要です。上手く敵地に誘い込めば形勢は楽になるし、陛下のような人間はリアリティであればあるほど罠にはまる」
 ネイドは「それに」と続ける。
「向こうもこちらも、皆私の『力』を知らない者ばかり。結果がどちらに転んでも私にとっては関係の無い事」
 ブロウスは微笑しながら、
「なるほど」
 と呟いた。
「それより、他の五芒星将軍達はどうしていますか?」
「各自、各々の時間を有意義に過ごしているようです。カイの反抗的な態度も見れませんし、暫くは安泰かと」
「そうですか」
 ネイドは微笑すると、再び本に視線を戻した。
「……それでは、これで失礼します」
 一度頭を下げると、ブロウスは退室した。


 ギネイ山のふもとにはいくつもの墓があった。
 正確な数は分からない。
 シュリアは、一年前の襲撃で亡くなった人達の墓だと教えてくれた。
 彼女が手を合わせると、他の皆も、同じように手を合わせた。
 シュリア一人で作った物のためか少し雑な感じもした。
 だがどれにも、丁寧に木の棒で作られた十字架が立っていた。
「……いいのか?」
 沈んだ表情のシュリアに、ルキアスは優しく聞いた。
 彼女はただ黙って頷いた。
 一陣の風が、シュリア達の髪をなびかせた。
 同時に、いくつかの十字架に提げられてある名前入りの木のプレートが、カタカタと音をたてた。
 シュリアにはそれが、その十字架の下で眠る人たちの声に聞こえた。
 ――私はもう一人じゃない……仲間がいる……
 心の中で、亡き人たちへ呼びかける。
 ――もう心配しないで……もう……大丈夫だから……
 シュリアは小さく深呼吸した。
 そして、ルキアス達の方へ振り返る。
「……行こう……みんなもそう言ってるから……」
「……ああ」
 ルキアスは手を差し伸べた。
 その手をシュリアは握る。
 力強かった。
 同時にそれが、彼女の決意の程のように思えた。

 続く

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