―第十七話―

初めて来た人へ
 声が出せない。源霊魔術が使えない。
 そんな状態なのにも関わらず、いつの間にかルキアスは冷静になっていた。
 何かきっと策がある。
 そう感じたリヴァルは、ルキアスの行動を見逃すまいと視界を固定した。
 案の定、ルキアスはリヴァルの方を向き、口を動かした。
 ――なるほど。そういうことか。
 彼の行動の意味を悟ったリヴァルは、その口の動き一つ一つを注意しながら見、そして理解していった。
 ルキアスの口の動きが止まった。
 リヴァルは黙って頷くと、密かに行動を開始した。


 ハドルは、何の行動もとれないルキアスを、何の遠慮も無く殴り飛ばした。
 何の抵抗もしなかったルキアスは、体を宙に浮かせ、転がった。
 ルキアスは咳き込み、口の中が切れた為か少量の血も吐き出した。
 だが彼には、咳き込む時の声すら出す事も許されていなかった。
「源霊魔術の力には驚いたが、結局それだけの男と言う事か」
 足でルキアスをあお向けにすると、その腹を踏みつける。
 表情で十分その苦しみが伝わってきた。
 ハドルはふと、彼の握る杖に目を向けた。
 先の刃は砕け、無くなっていたが、槍としては十分使えた。
 ハドルはそれを奪い、彼の喉に突きつけた。
「自分の生み出した武器で殺されるなんて、貴重な体験だな」
 そう言い、皮肉のこもった笑いをした。
「断末魔の声を聞けないのが惜しいが……たまには沈黙の死もいいだろう」
 ハドルは「死ね」と続け、杖を振りかざした。
「待てよ」
 とリヴァル。
「ルキアスの口。よく見てみろ」
 ハドルはリヴァルの言葉を不思議に思い、指示通り彼の口を見た。
 笑っていた。
 死を目前にしても尚笑っているのだ。
 ハドルにとってはさぞ不愉快な光景だろう。
 ハドルの目がルキアスの口を捉えた頃を確認すると、ルキアスは口を動かした。
「『断末魔の叫びを上げるのはお前の方だ』……だとよ」
「……なに?」
 そう言ってリヴァルを睨んだ。
「……ハッタリなんかじゃねぇぜ。あいつは確かにそう言ってる」
 自分がなめられている事に苛立ちを覚えたハドルは、再び杖を振りかざした。
 次の瞬間、また彼の口が動いた。
 今度はハドル本人でも、彼が何を言おうとしているのかが分かった。
『右を向け』
 ゆっくりとした動きに加え、顔を何度もその方向へ傾けていたので、容易に理解できた。
「今度は何だ」
 舌打ちをしながらその方を向く。
 一瞬、銃のような物が構えられているのを確認できたが、次の瞬間には暗闇と激痛が彼を襲った。
「―――ッ!!」
 ハドルは声にならない悲鳴を上げた。
 とっさの事で、彼は自分がどんな常態にあるのか分からなかった。
 だが、目に激痛が走り、開ける事が出来ない。
 生ぬるい液体が引っ切り無しに流れている。
 次第に感覚を取り戻して来て、初めて片目を射抜かれたことに気がついた。
「ぐが……て、テメェ……!!」
「読唇術って奴を知ってるか?」
 リヴァルは何も動じる事無く続けた。
「舌や口の動きで相手の言いたい事を読み取る術だ。俺は元々猟師でな。獲物を見つけた時、声を出して連絡を取ると気付かれっから必ず読唇術を会得させられる」
「僕は彼が読唇術を会得している事にかけてみた。その結果がコレだ」
 いつの間にか立ち上がっていたルキアスが言った。
「だから僕は彼に、シュリアに頼んで貴様の目を射抜けと指示を出した。さすがに冷や冷やしたが、おかげで声が出せるようになった」
「てめぇ……術に気がついていたのか?」
「一応は拉致被害者だからな」
 目を押さえ痛みに耐えているハドルの表情は、つい先ほどのルキアスを思い出させる。
 ルキアスは微笑し続けた。
「一般的に、魔術を発動させる方法は三つある。詠唱語を繋げ、文にして唱える方法と、あらかじめ媒介に詠唱語を刻み、発動の合図をする方法。そして体の一部を媒介にして、そこと同じ部分に言霊を叩きつける方法だ」
 ルキアスは続けた。
「詠唱語は、言葉に『言霊』が宿った状態の言葉の事をさす。詠唱語を唱えて魔術を発動させようとすると、相手に何の魔術を発動しようとしているのかが悟られる時がある。それを無くす為、言葉と言う飾りを捨てて、言霊だけで――喋らないで魔術を発動させようとする方法が、何年か前から研究されていた」
「なるほど。今回の能力ってのがまさにそれなんだな」
 カルノスの言葉に、ルキアスは黙って頷く。
「じゃぁ……もしかしてその媒介ってのが……」
 リヴァルが言おうとした事を、ルキアスは悟った。
「そう。あいつの媒介は『目』。言霊を、自分の目から相手の目に叩きこむ事で、魔術を発動させた」
 リヴァルは「なるほど」と頷いた。
「くそ!! だがまだ片目が――」
 だが、再び乾いた音が鳴り響き、悲鳴が轟いた。
「片目が……なに?」
 とシュリア。
 ハドルは再び手で目を押さえる。
 完全に両目を潰されてしまった。
「シュリア、ナイス」
 リヴァルは親指を立て、シュリアの方を見た。
「さすがに冷や冷やしたよ。確かに今の僕では、言霊だけで魔術を発動させる事も、詠唱語を刻む暇も無かった」
 珍しく、戦いの中で安堵の溜息をつくルキアス。そしてすっと杖をかざした。
「では、さっさと終わらせるとしようか。なぁ、イフリート」
 ルキアスが高らかに声を上げると、イフリートも同様に高らかな笑いを飛ばした。
「灰も残らねぇぐらいに焼き殺してやるッ!」
 巨大な炎をまとったその巨大な腕を、視力を失ったハドルへ向けて振り下ろした。
 ハドルから距離を取ったリヴァル達でさえ、その熱の凄まじさは感じ取れた。
 心なしか、火口でイフリートが現れた時よりもさらに熱い気がした。
 断末魔の声を上げながらハドルはもがく。だが、段々と進行する激しい火傷をとめることはできなかった。
 ほんの数秒で、ハドルがそこに居た形跡はほとんど無くなった。
 後に残ったのは、地面に染みた彼の流した血の後。
 そして、ネイドただ一人。
「……やはり目を媒介にしたのが問題でしたね。あそこだけは鍛えようがありませんし――」
 平然としていた。
 いくら実験とはいえ、自分の連れて来た部下が目の前で殺されたと言うのに。
 彼はブツブツ口に出しながら、頭で今回の問題点をまとめ始めた。
「……胸くそ悪ぃ奴だな」
 カルノスは吐き捨てるように言った。
「さて」
 突然ネイドは、考えるのを止め言った。
「いいデータも取れた事ですし、そろそろ帰らせていただきます」
「は!?」
 リヴァル達は、ネイドの突拍子の無い言葉に驚きの声を上げた。
 いくら実験の為とは言え、敵の幹部級の人間が出向いてきただ。
 そう易々と見逃してなるものか。
 リヴァルはすぐに剣を抜いた。
「それでは皆さん」
 ネイドがリヴァル達に背を向けそう言ったとたん、彼の目の前にレネス島の浜辺で見たのと同じ現象が起こった。
 一瞬だが勢い良く吹いた風。
 間違いない。空間圧縮による空間の穴だ。
 やはりブロルは、空間圧縮による空間の穴を自在に作り出せ、その長距離移動を実用化していた。
「待てよ!」
 リヴァルはネイドに向かって叫んだ。
 だが彼は背を向けたまま止まっている。
「……何か?」
 ネイドは静かに言った。
 再び張り詰めた空気があたりに漂った。
 背中越しでも分かる。
 彼の力の強大さが。
「俺達が、目の前の敵を易々と見逃すようなお人好しに見えるか?」
「……何が言いたいんでしょうか?」
 言葉で示す前に、リヴァルは行動でそれを示した。
 突然走り出し、ネイドとの間合いを詰める。
 そして剣を振りかざした。


 気がついた時、リヴァルは後頭部と腹部に激痛を感じていた。
 顔の大部分を何かに押さえつけられ、感覚的に見て、後頭部のほとんどが地面にめり込んでいる。そんな気がした。
 激痛とめまいに襲われながら、リヴァルは次第に事の全てを把握した。
 自分の顔を覆っているのは手。
 目の前にあるネイドの顔からして、おそらくネイドの手だろう。
 つまり自分は、攻撃を仕掛けたのにも関わらずネイドによってカウンターを食らった。腹に一撃。そして怯んだ隙をつかれ頭ごと地面に。
 つまり、そう言う事だ。
 実にあっけなく、そして実に一瞬だった。
 とたんに、心の奥底から、久しぶりに恐怖を感じた。
「……まるで手ごたえがないですね」
 リヴァルの顔から手を離すと、パンパンと手を叩いた。
「十分手加減はしておきましたから、生きているはずです」
 リヴァルの髪を掴むを、体ごと引っ張りあげた。
 そして、ゴミ袋を投げるようにしてリヴァルをルキアス達の元に返した。
 リヴァルの体は地面を転がり、後を追うように砂ぼこりが舞った。
 ルキアス達は急いで彼のもとへ走る。
 そしてすぐに、ニーナはヒーリングを開始した。
「威勢の良さは認めますが、身の程を知ってからにしてもらいたいですね」
 そう言うと、再び背を向けた。
「身の程を知らなくても立ち向かわなくてはならない時がある事を、貴様は知っているか?」
 今度はルキアスが立ち上がり、言った。
「その時こそ、今まさにこの時だ」
 そして素早く詠唱をした。
 瞬間、岩で出来た、いくつもの巨大な円錐形の物体が、ネイド目掛け走った。
 先の鋭さは、へたな槍よりも鋭そうだった。
 今のスピードを加えれば、おそらく痛みすら感じることなく絶命させ得る。
「言っておきますが」
 ネイドは振り向かず、静かに言った。
「『無謀』は『勇気』ではありませんよ」
 いい終えたとたん、まるで風船を宙に投げた時のように、ネイドはふわりと跳んだ。
 軽々しく、まったく無駄も隙もない。
 その状態のまま、ネイドは詠唱をした。
 ルキアスは、ネイドが源霊魔術を使えると言う事実に動揺し、動きを止めた。
 それがあだとなった。
 ルキアスの足元から土で出来た腕が伸び、彼の顎を直撃した。
 腕の勢いは強く、ルキアスの体は宙を高く舞った。
「ルキアス!」
 カルノスは地面に落ちたルキアスに呼びかけたが、反応がない。
「……クソッ!」
 カルノスはすぐに岩の拳を生成する。
「ほう。地源霊を集め凝縮させる事で、ガントレットを作り出すわけですね」
 ゾッとなった。全身に鳥肌が立った。
 さっきまで何メートルも先にいたはずのネイドが、今は自分の真横にいる。
 ルキアスの方に視線を向けた隙に接近したのだろうか。
 だがそれにしてはあまりに異常すぎる。
「どうしました? かたまってますよ」
 そう言いながら、余裕の笑みを浮かべる。
 恐怖を掻き立てるには、十分すぎる演出だ。
 恐怖に何もかもが押さえ込まれた。
 彼の言うとおり、無謀を勇気はまったくの別物だ。
 自分たちとネイドでは、力の差がありすぎる。
 カルノスは、岩の拳を解除した。
 いや。解除させられたと言った方がいいのかもしれない。
「動かないで」
 シュリアは銃口をネイドに向けた。
「言っておくけど、安全装置はちゃんと外してあるからその手のフェイクには乗らないよ」
 シュリアは微笑した。
 だが、その笑みは自分感じている、計り知れない恐怖を外に出さない為の演技でしかなかった。
 ネイドは笑って返した。
「なら、私自身で安全装置を入れれば問題は無いですね」
 そう言った後、カチッという音がした。
 気がついた時、自分の握る銃に、ネイドの手があった。
 そしていつの間にか、外したはずの安全装置が入っていた。
「……え?」
「君のような少女が持つような物ではありませんよ。銃というのは」
 彼女の耳元でネイドはそう囁くと、首をトンと叩いて気絶させた。


「……そんな……みんな……」
 ニーナは恐怖した。
 リヴァルをはじめ、みな赤子同然に倒れていく。
 敵にこれほどまで力の差を見せつけられては、後に残るのは無謀の二文字だけ。
 リヴァルのダメージは、想像以上に大きい。
 完全に回復するまでには、まだ時間がかかりそうだ。
 砂利を踏んだ時に出る独特の音が、少しずつ近づいてきた。
 一歩一歩大きくなる音に比例し、焦りがこみ上げてくる。
「さて……」
 そのまま空間の穴へ行けばいいものを、なぜかネイドはニーナのもとへ訪れた。
「……ほぼ全てのケガを治療可能な気功法、通称ヒーリング。いまだブロルの科学技術を持ってしても成功例のない能力……」
 何かを企んでいる。
 表情や口調から、安易に想像できる事だ。
 ネイドはうつむくニーナの髪を掴み、顔を無理やり上げさせた。
 ニーナは小さくうめく。
「……君はまさに生きた資料。私たちに協力してもらいましょうかね」
「……私をどうするつもりですか?」
「あなたを招待しましょう。ブロル帝国へ……」
「お断りします」
 そう言い、ネイドの手をはたいた。
 その反動でネイドは手を離す。
「……味方の時に頼もしいと思う人材は、敵に回った時脅威に変わる」
「……?」
 ネイドは素早く詠唱を行う。
 すると今度は右手の掌に水が生成され、剣の形を築き上げた。
「こちら側につかないのでしたら、申し訳ありませんがここで死んでもらいます」
「!!」
 逃げなきゃ。逃げなくては。
 だがそう思えば思うほど、逃げられなかった時の自分の姿が脳裏に浮かんだ。
 そこから生まれる恐怖に足をとられ、立つ事すらままならない。
 悲鳴を上げる気力ですら、恐怖の餌にしかならなかった。
 ネイドの剣が、真っ直ぐ振り下ろされた。

 続く

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