―第十六話―

初めて来た人へ
 空っ風が吹いた。
 暫く続いた沈黙は、その風によって、どこかへと飛ばされた。
「あなたがブロルを抜け出して早一ヶ月ですか。短いものですね。時というのは」
 静かに口を開いたネイドは、やはり落ち着いていた。
 口元はかすかに微笑んでいるが、少々長めの前髪から覗くその目は、見ているとあらゆる形の恐怖に飲まれそうになる。
 まともに目を合わせられない。それ故の、感覚で感じる恐怖、殺気。
 まともな奴じゃない。
 思考も。力も。
「何しに来た……なんて、聞くまでもないか」
 ルキアスは続ける。
「観測記録の奪還。それが目的なんだろう?」
「……そんな事のために、わざわざ私一人が出向くとでも?」
「なに?」
 予想外の返答。
 驚いたのはルキアスだけではなかった。
「ここへ来たのは、ただ挨拶をする為です」
「挨拶だと?」
 ルキアスの言葉に、彼は微笑を浮かべるだけだった。
「それと、ある実験をしに――」
「ふざけんなよ。何が挨拶だ」
 リヴァルは話を途中で終わらせ、すぐに剣を抜いた。
「……君は確か……リヴァル君だったね。初めまして」
「『初めまして』じゃねぇよ」
 その台詞に、ネイドは眉をぴくりと動かす。
 リヴァルは一歩前に出る。
 そして続けた。
「四年前のあの日、レネス島で、俺とあんたは一度会ってるんだよ」
「……四年前……」
 ネイドは記憶をたどっている様だった。
 このあまりの隙だらけに、リヴァルは逆に攻撃できないで居た。
 堂々と隙を見せられたから? いや。違う。
 この余裕さが、逆にプレッシャーになっているのだ。
 地雷だらけの平地のど真中に立たされた兵士のように。常に自分の足元から一歩周囲を警戒せざるを得ない状況。
「……あの時の子供……」
 今頭の中に思い浮かんだ像とリヴァルを重ねる。
 背も伸び体格も良くはなっているが、面影や威勢の良さはまったく変わっていなかった。
「あの海岸で、私のこめかみに傷をつけた少年……なるほど。あなたがそうでしたか、リヴァル君」
 クスッと笑うと、髪で隠れたこめかみをあらわにする。
 そこには、あの時リヴァルがつけた傷跡が、生々しく残っていた。
「一生ものの傷になってしまいましたよ」
「そいつはど〜も」
 沈黙。
 短い、だがしかし長い沈黙。
 時の流れが遅くなった。
 暫くの後、その時が加速すると、一同の耳にはバサバサという羽音が入り込んだ。
 上空からゆっくりと姿を現す影。
巨大な翼、鋭く長い牙、カンガルーのように曲がった足。
 そして、常人の一・五倍はあるだろう、長い腕。
「紹介が遅れましたね。彼はハドル。今日は彼の性能を確かめる為の実験もかねて、ここまできたんです」
「性能?」
 聞き返したルキアスに、ネイドは丁寧に返答した。
「彼は、ブロルで開発したある技術を会得したモンスターなんです。ただその技術と言うのが試作段階でしてね」
「なるほど。実戦で使えるかどうか、僕達で試そうと」
 ネイドは「ええ」と答える。
「実戦で使えるかどうかのデータを得るのと同時に、上手くいけば僕達を全滅させる事が出来る。一石二鳥という奴だな」
「けどな、そう簡単に行くかってんだ」
 ルキアスに続き、リヴァルは言った。
 直後、ハドルは羽を休めるようにたたむと、地面に足をついた。
 どす黒いその目は、見ていて気分の悪くなるものだった。
「なら、かかって来な」
 今になってやっと、ハドルは口を開いた。
「いっぺんにでもいいし一人一人でもいい。早くしろ」
 その言葉にリヴァルはいち早く反応したが、それをルキアスが止める。
 ルキアスはリヴァルの前に出る。
「僕が相手をしよう」
 ハドルはもとより、リヴァルまでも納得のいかないと言った表情だった。
 しかし、ルキアスは仲間内で一番頭がいい。
 自分にとってまったく勝ち目の無い戦いを、無謀に挑むような人間ではない。
 何か勝機がある。
 リヴァルはすぐにそれを悟ると、剣を鞘に収めた。
 そして一言、「無茶はするな」と声をかけた。
 一瞬リヴァルに微笑んで返したが、その直後には既に真顔になっていた。
「……納得いかねぇな」
 ハドルは続ける。
「なんでお前みたいな頭でっかちと初っ端戦わなきゃなんねぇんだ? いくら一人一人っつっても、順番ってもんが――」
「ぐだぐだ御託がうるさいんだよ」
 ハドルの話を中断させるように言った。
「その御託は余裕の表れか? それとも臆病を隠すためか?」
 一歩一歩近づきながら、ルキアスは続ける。
「頭でっかちなのは否定しない。だが僕は、決してそれだけの人間じゃないッ!!」
 急に走り出したルキアスは、すぐさま詠唱をした。
 刹那、杖の先に水が渦を巻き生成される。
 その形は、さながら細長い槍のようだった。
 さらに詠唱をすると、その水は凍りつき、杖と一体化した。
 こうして出来た氷の槍を、ハドル目掛け突き刺す。
 しかし、ルキアスの足はそんなにも速い方ではなかった。
 いくら急に間合いを縮めてきたからと言って、さほど動揺するほどの物でもなかった。
 ハドルはその槍を軽く横に移動して交わす。
 だがルキアスの攻撃はまだ終わっていなかった。
 さらに詠唱を行うと、再び水が生成され、凍りついた。
 槍の矛先に、今度は中華包丁の様な巨大な刃が生まれた。
 ルキアスはそれを横に払う。
 とっさの攻撃に、今度ばかりはハドルも避け切れなかった。
 腕を一本犠牲にした。それは回転しながら、地面に落ちる。
 血の付着した氷の刃はそこでは止まる事無く、そのままネイドの首もとまで迫った。
 そのままネイドの首をはねるか、と思ったが、ルキアスは寸前で止めた。
「……なぜ避けない」
 もっともな質問だった。
 あと一秒止めるのが遅かっただけで、彼の首は宙を舞っていたのだ。
「……こうなると分かっていましたから」
 あたかも未来を見透かしているような言い方だった。
「……ハドルの次は貴様だ。覚悟しておけ」
 ネイドはまた笑みを浮かべた。
 ルキアスは、それに対し少し苛立ちをおぼえながらも、ハドルの方に向き直した。
 ハドルの右腕の切断部分を押さえる手からは、大量の血が溢れ出していた。
 指の隙間から溢れ、流れるそれは、地面に染み込みその色を濃くしていた。
 出血多量で倒れるのも時間の問題だろう。
 だがルキアスは、それを待つ気は無かった。
「これが僕の力だ」
 そう言い、笑みを浮かべる。
「今すぐ楽にしてやる」
 以前にも述べたとおり、源霊魔術は詠唱語の繋げ方しだいで、その威力・効果が大きく変わる。
 深い知識と瞬時の判断による閃き。
 言い換えるならば、源霊魔術とは閃きによる魔術。
 深い知識は学習によって、瞬時の判断は常に冷静で居る事によって、初めて生み出される。
 ルキアスにはその全てが、人並み異常に備わっている。
 つまり、それが彼の力。
 それによって、源霊魔術の最大限の力を発揮できると言う事が、彼の力だ。
「こちとら時間が無いのでな」
 杖の先の武器をそのままにし、杖をかざす。
「さっさと終わらせてもらう」
 そう言った後、詠唱を開始しようとした。その時だ。
「……奇遇だな」
「なに?」
「時間が無いのはこちらも一緒なんだ」
 腕を切断されていても尚、余裕の笑みを浮かべる。
 なにか別の策がある事を、ルキアスは瞬時に悟る。
「これからまたすぐ本国に戻って次の指示を待たなくてはならない。この力、さっさと使わせてもらう」
 彼は故意にルキアスと目線を合わせる。
 特に何も起こった様子は無い。
「ただのはったり――」
 異変は今起こった。
 突然ルキアスは、言葉を発せなくなってしまった。
 息を吐く事も舌を動かす事も出来る。
 声帯に異常があるわけでもなさそうだった。
 声を出すために必要な動きに、何一つ支障は無い。
「どうした! ルキアス!」
 リヴァルは突然の異変に不安を隠せないで居た。
 ルキアスは思った。
 これが、ネイドが言っていた新しい技術。
「どうやら成功のようですね、ネイド様」
 ハドルは口元をゆがめながら、ネイドの方を見て言った。
 彼も微笑し、何度か頷いた。
 彼も満足しているようだった。
「声を出せねぇだろ」
 ハドルはルキアスの方へ向きなおすと言った。
 わざとらしい言い方だった。
「もう分かっていると思うが、これがその力だ」
 そう言い、その力について語りだした。
「お前は今、空気を振動させる事が出来ない状態だ。声、音とはつまり空気の振動。今のお前では、声が出せなくては詠唱語を発する事は出来ない」
 それすなわち源霊魔術の封印。
 それが主力であるルキアスにとっては致命傷だった。
「くそっ! なんとかなんねぇのか? アクエリアス」
 リヴァルの問いに、アクエリアスは首を横に振るだけだった。
「ルキアスと契約した以上、彼の意思無しに行動は取れません」
 その言葉を聞き、ニーナは不安そうにルキアスを見た。
 体そのものに変化は無い。
 外傷もないし、苦しんでいる様子も無い。
 だが、力を完全に封じられた事に対する焦りは、一目瞭然だった。
「『クソッ! ふざけやがって!』。そんな言葉すら吐けないのは惨めなもんだな」
 そう言うと、ハドルは高らかに笑った。
 だがルキアスは、そんなのはそっちのけで、口を動かした。
 なにか策を見出したのか、焦りは和らいでいる様子だった。
 その変化にいち早く気がついたのはリヴァルだった。
 リヴァルはその意味を受け取ると、小さく頷いた。

 続く

第十五話へ

目次へ

第十七話へ