初めて来た人へ

―第九話―

 夜。俺はまだ、パソコンと睨めっこをしていた。
 加奈ちゃんの小説も、最初に掲載する文はあらかた写し終え、後はホームページを公開するだけとなった。
 一息入れる為、俺はそのまま床に大の字になる。そしてぼーっと考え事を始めた。その思考の中に出てきた人は、加奈ちゃんだった。
 ふとあの時の光景が蘇った。同時に、唇の感触も。まさかあんな形でキスをするとは思わなかった。
 人に言ってもそう簡単に信じてくれる話じゃない。
 やっぱり加奈ちゃんだから、あんなキスのし方を考えられたのかな。
「……は〜」
 なんだか変な気分だ。
 彼女が出来て、その子とキスまでしたのに……嬉しいはずなのになんだか切ない。
 これが異性と付き合うって事なのだろうか。よく分からなかった。
「芳井加奈って誰?」
 突然聞こえた姉ちゃんの声に、俺は飛び起きた。
「……」
「……返してよ」
 ノートをじっと見たまま、姉ちゃんは動こうとしない。
「……」
「……ねぇ!」
 しばらく沈黙が続いた。が、次の瞬間。
「やったじゃん、岳志! とうとうあんたにも彼女が出来たのね!」
 と、姉ちゃんは大声で言った。まぁいつかはばれる事だから、そんなに焦りはしなかったのだけれど。
「でもさすがに交換日記は時代遅れじゃない?」
「いや。交換日記じゃないし、それ」
 そう言うと、「またまた〜、照れちゃって」といって中を覗いた。
「……何これ。小説?」
「そ。ていうか、その小説がきっかけでその子と知り合ったの。で、その小説をネットで公開しようって事で、ホームページを造ったの」
「ふ〜ん。どうりであんなに一生懸命になるはずだ」
 そう言ってノートを閉じ、俺に渡し、続けた。
「どんな子なの? 今度紹介してよ」
「ヤダ」
 俺は即答した。
「じゃぁ、一体どこまでやったの?」
「なっ」
「キス? それとももうしちゃったとか?」
 キスと聞いて、もともと焦っていたのをさらに焦らせた。
 そして、なんだか恥ずかしかった。
 変な妄想が、頭の中を駆け巡る。
「へ、変な事言うなよ!!」
 元々、加奈ちゃんをそんな風な対象としてみていない。
 なのに姉ちゃんのせいで、俺の中の加奈ちゃんのイメージがことごとく崩れていく。
「バカ姉貴!!」
 そう叫んで、パソコンとノートを持って部屋へ逃げた。
「まだまだ子供ね〜」
 そう言った後、思い出した様に続ける。
「ね〜。ご飯は〜?」
「自分で作れッ!!」


 ホームページの公開は、翌日の保健室で、加奈ちゃんと一緒にする事にした。公開したてのホームページを一緒に見たかったからだ。
 保健室に行くと、早速パソコンを開く。
 昨日の夜に暗記した、数ページのマニュアル通りに、ホームページ公開の為の手続きをした。
「もうすぐだ。待っててな」
「はい」
 隣の加奈ちゃんは、まだかまだかと胸を膨らませているようだった。
 そんな加奈ちゃんの表情には、まだあどけなさが残っていた。カワイイ。素直にそう思える。
 最後に『完了』と書かれた所をクリックする。
 画面上に現われたのは、ホームページのトップページ。
 成功だった。
「やりましたね、センパイ!」
「ああ。良かったよ。なんとか出来たみたいだ」
 俺は胸を撫で下ろす。
 とりあえずどこも異常は無いようだ。
 掲示板や小説のページにちゃんと行けるようになっている。
「いろんな人の感想……楽しみだな〜」
 加奈ちゃんの目はとても輝いていた。


 あの日から数週間。俺たちは夏休みの間も、保健室に集まった。
 俺の家だと加奈ちゃんにとっては不便だし、俺から加奈ちゃんちに行くのも少し気が引ける。
 町に図書館は無い。
 結局『涼しい・静か』の二つのキーワードがそろっている場所が、この保健室しかなかった。もちろん、先生方にも許可を取っている。
 ホームページの小説の更新は、周一回のペースで行っている。
 感想の方も結構書かれていて、続きが気になると書く人も多かった。それが、加奈ちゃんの原動力になりつつある今日この頃。
 加奈ちゃんの書く小説も、前にも増して面白くなって来た。
 細かな感想のおかげで、書くのがますます上手になってきており、加奈ちゃん自身、自分の小説に自信を持ってき始めた。
 サイトの方も、少しずつコツを掴んできた。
 いろんな検索サイトに登録し、相互リンクもどんどん増え、さらにサイトを色々とリニューアルした事により、見栄えも良くなった。
 俺と加奈ちゃんの二人で造るこのサイトは、二人の絆が深まるのに比例しているかのように、そのレベルをどんどん上げる。
 どうせ俺は受験しないから、勉強以外の時間が多く取れる。
 その時間の七割は、このホームページの為に使っている状態だ。
「……よし。今週の更新お終い」
 いつもの様に俺は、保健室でパソコンをいじる。
 隣にはそれを見守る加奈ちゃん。
「センパイ。ちょっと使って良いですか?」
 俺はパソコンを加奈ちゃんに渡す。彼女はBBSのボタンをクリックした。
 加奈ちゃんも、それほど頻繁ではないにしろ掲示板の方に書き込みをしている。
 ちなみにハンドルネームはWN。
 『Wheelchair novelist』の略で、『車椅子の小説家』と言う意味だった。
「ありがとうございました」
 書きこみを終え、言った。
「感想、結構来てるよね」
「そうですね。すごく嬉しいです」
「造って良かったよ。ホームページ」
 そう言って加奈ちゃんの方を見て微笑んだ。彼女も微笑み返してくれた。
「さてと。そろそろ帰ろうか」
「はい」
 俺はパソコンの電源を切る。
「あとこれ、続きです」
「あ。ありがと」
 そう言ってノートを手に取る。と同じにキスをされた。
 ほんの三、四秒の短いキスだ。
「……最近加奈ちゃん、少し大胆になってない?」
 キスを終えた加奈ちゃんに、何気無く聞いてみる。
「センパイはキス、嫌いですか?」
 今度は俺の方から、短くキスをする。
「……どうだろ?」
 正直な話、もうキスとかそう言う行為に対する恥ずかしさは無かった。
 やろうと思えば、キスぐらいなら体育館のステージの上で全校生徒の前でだってやれる。実際、今だって八重樫先生が部屋に居るんだ。
 最初は先生も、「恥ずかしいからここでやらないでよ」なんて言ってたけど、それを無視してキスをしている俺達の姿を見ると、「もう勝手にしなさい」なんて言って、以後口を出さなくなった。
「センパイもまんざらじゃないんじゃないですか?」
「加奈ちゃんはどうなの? キス。好き?」
「はい。やろうと思えば、体育館のステージの上で全校生徒の前でだってやれますよ」
 それを聞いた時、プッと吹き出してしまった。
「あ〜。何がおかしいんですか?」
「ゴメンゴメン。だってさ……」
 加奈ちゃんも俺と同じ事を考えていたのかと思うと、おかしさがこみ上げ出来た。
 時計を見るとまだ午後四時半ごろだった。このまま家に帰るのは少し早い気がした。
「お腹も減ったし、どっかよってこうか。何か食べたいものってある」
「じゃあドーナツ。最近近くに出来たミスドに行きたい」
「よし。じゃあ行こうか」
 加奈ちゃんが車椅子に乗れたのを確認すると、一緒に保健室を出た。
 七月下旬。
 俺と加奈ちゃんの関係を暗示するような、暑い日が続いていた。


 ドーナツを買い、食べながら帰路につく。店内には顔見知りがいなかったにしろ同じ年代の人が何人もいて、正直恥ずかしかった。
「ミスドなんて久し振りだな〜。全然味変わってない」
「そうなんですか? 私はよく買って来てもらってます」
 そう言いながらドーナツをおいしそうに食べている加奈ちゃん。買った甲斐があったというものだ。
「……こんな時間が、ずっと続けは良いのに……」
 ふと加奈ちゃんは呟いた。
「ずっと……センパイと一緒に居たい……」
「加奈ちゃん……」
 そう言われて、嬉しいのと同時に、なんだか寂しかった。まるで、すぐにでも別れが来てしまうかのような言い方だったから。
「それって……俺と結婚したいって事?」
 目を見開いて俺の方を向く加奈ちゃん。
 頬を赤く染め、ちょっと俯きかげんになり微笑みながら頷いた。
「俺はいつでもOKだよ」
「もう、センパイったら」
 とかなんとか言って恥ずかしそうにしているが、その笑顔を見る限りだと、まんざらでもないようだった。もっとも、俺も半分は冗談だがまんざらでもなかったのだけど。
「でも、俺と結婚してもなんもいい事ないよ」
「なんでですか?」
「だって……」
 俺は頬をポリポリかきながら続けた。
「俺バイトとかやった事ないし、養えるかどうか」
 すると加奈ちゃんは、微笑しながら言った。
「好きな人とずっと一緒に居る事がいい事なんじゃないですか」
 刹那、俺の鼓動が高まった。なんて一途なんだろう。そんな事を思ってしまう。
「センパイ?」
「ん?」
「大好きです」
「……俺も」
 俺は彼女の車椅子を押した。
「今日ぐらいは俺が押して帰っても良いよね」
 彼女は力強く頷いた。


 加奈ちゃんの入院が知らされたのは、それから数週間が経った八月上旬の事だった。
 その日も俺は、いつもの様に学校へ行こうと仕度をしていた。
 家を出ようと玄関へ向かった時、その電話は来た。
 八重樫先生からだった。
 今朝早くに急に具合が悪くなってしまい、病院へ緊急入院したそうだ。
 幸い命に関わる事はなかったが、少なくとも八月いっぱいは入院が必要らしい。
「大丈夫? 加奈ちゃん」
 俺はすぐに病院へ駆けつけた。
 見た目は前日と全く変わっていない。
 加奈ちゃん自身元気そうだ。
「私は大丈夫ですよ」
「そっか……」
 どうも最近、極度の心配性になってしまったようだ。
 とにかく、加奈ちゃんの事が心配でしょうがない。
 ほんとにほんのささいな事でも、オーバー過ぎるぐらいに加奈ちゃんの事を心配してしまう。
「この前も具合が悪くなって入院したけど……関係あったりするの?」
 加奈ちゃんは答えようとしない。
「俺に出来ることがあれば、言って。何でもしてあげるから」
「……じゃぁ……心配はしないでください。すぐ良くなりますから……」
 一瞬、何を言ったのか良く分からなかった。
 そんな俺をよそに、彼女は続ける。
「それよりどうでした? 小説の続き」
「え? ああ。よかったよ」
 何で自分の身を案じないんだろう。
 もうこんな生活に慣れてしまっているから? それとも、俺が心配しすぎてるのか?
 わからない。こんな時何をしてやればいいのか。
 心配しないでくださいなんて、無理だった。
 結局その日は、あまり会話が弾む事も無く、昼前に俺は帰路についた。


 加奈ちゃんが入院して五日が経とうとしている。さすがにここまでくると、以前ほどオーバーに心配する事も無くなった。
 加奈ちゃんの容態は相変わらず好調。特に変わった様子も無く、いつもの元気な笑顔を見せてくれる。
 今日はお見舞いに、ミスドのドーナツを少し買ってきた。
 入院中という事もあり、あまり油っこそうな物やカロリーが高そうな物は極力避けた。
 そのドーナツを頬張っている加奈ちゃんの横で、俺は加奈ちゃんの小説を読んでいる。
 やっぱり病院は暇らしい。
 毎日のように続きを書いては、俺に読ませてくれる。
「おいしい?」
「はい。ありがとうございます」
 頬にパウダーシュガーをつけながら彼女は微笑んだ。
「ホームページの方どうですか?」
「どうって……いつも通りだよ。色んな感想が書いてあった」
 いったん読むのを止めて続けた。
「特にこの前更新した回の話は評判よかったよ」
「ホントですか? どんな所が」
「ストーリーの意外性。まさか二重スパイだったなんて、誰も思ってなかったって」
「よかった〜。あそこ、私もお気に入りなんですよ」
「俺も」
 そう言って二人して微笑む。
「体の方、大丈夫?」
「はい。今の所」
 今の所。その言葉は、その先がまったく不明なぶん、逆に心配になる言葉だった。
 心配しない以外に出来る事は、こうやってお見舞いに来て上げる事ぐらい。後はホームページの更新。
 加奈ちゃんの体の事は、加奈ちゃんの両親と医者任せ。
 俺は加奈ちゃんの彼氏と言う立場だけ。
 加奈ちゃん本人に、直接何もして上げられないのが辛い。
 いつの間にか俺は小説を読むのを止め、加奈ちゃんを見ていた。
「……? どうしたんですか? センパイ」
「……え? あ、なんでもないよ」
 突然話しかけられ、対応が少し遅れてしまった。
「ただ可愛いな〜って。そんだけ」
 なんて言葉が自然と出てしまった。
「センパイ。恥ずかしいですよ」
「何を今更。別にいいじゃん」
 と、笑って誤魔化す。
 俺はスッと立ち上がると、いつまでも取れない頬のパウダーシュガーを取って上げた。
 そしてそのまま顔を近づけてキスをした。
「……ん」
 いつもより長めのキスを終えると、俺は言った。
「今日の加奈ちゃん、甘いね」
 加奈ちゃんは照れ笑いを浮かべた。

 
続く

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