初めて来た人へ

―第八話―

 方法は決まった。
 と言ってもまだ案の段階だが、とりあえず可能性は見えて来た。
 この事を加奈ちゃんに話そうと思った。どんな反応をするのか、少し楽しみだった。
 そんな気持ちのまま、放課後、保健室の戸を開く。
「あ、センパ〜イ」
 加奈ちゃんはそう言って、持っていたシャーペンをノートの上に置いた。熱心に勉強をしていたようだ。
「はい、これ。ありがと」
 昨日借りたノートを加奈ちゃんに渡すと、隣の椅子に腰掛ける。
「どうでした?」
「面白かったよ。たださ……」
 よくよく考えれば、俺自身非の部分をあまり指摘してなかった。
 いくら上手でも、加奈ちゃんはまだアマチュアなんだから、当然そう言う部分だって無いわけじゃない。むしろプロですらそう言う所が必ずあるものだ。
 ホームページがまだ企画段階の今、加奈ちゃんの非を指摘できるのはこの俺だけだ。
 加奈ちゃんにはキツイ事を言う事になるけど、それも加奈ちゃんの為。
「……だからこうした方が良いと俺は思うな」
「そうですか……自分でも何となくそう思っていたんですけど……」
「ごめん。気、悪くした?」
 そう言いながら、加奈ちゃんの覗きこむ。
 振りかえった加奈ちゃんは、いつもの笑顔だった。
「そんな事ありません。むしろ、ちゃんと悪い所を教えてくれて嬉しいです」
 いらぬ心配だったようだ。俺は微笑した。
「でも、やっぱり俺だけの感想じゃ、これ以上うまくならない気がするんだよなぁ」
「私は、センパイだけに読んでもらえれば本望です」
 俺は「ありがと」と言い、小さく笑って続けた。
「でも、俺としては加奈ちゃんにはもっと上手になってもらいたいからさ、昨日色々考えたんだよ」
「色々……ですか?」
「……ホームページでも開いてみない?」
 突然の提案に、加奈ちゃんは目を丸くした。
「ホームページ……ですか?」
「そう」
 加奈ちゃんは少し動揺しているようだ。
「でも、大変じゃないですか?」
「大丈夫だよ。今日姉ちゃんが友達と一緒に作成ソフト買ってきてくれるし。小説の作者をハンドルネームにすれば、だれも加奈ちゃんが書いたなんて分からないし、もっとたくさんの人から感想を貰えるかもしれないんだよ」
 そう促す。
 もちろん強制はしない。加奈ちゃんの意見を優先するつもりだ。
「……なんか面白そう」
 と、加奈ちゃんは呟く。
「……やってみたい……かも」
「……ほんと?」
「……はい」
 加奈ちゃんの笑みを見て少しホッとした。
「わかった。ホームページの作成の方は俺に任せて。加奈ちゃんはいつも通り、小説を書いてくれればいいから」


 加奈ちゃんを送ってから家に帰る。すでに姉ちゃんが帰ってきていた。
「はい。これで良いんでしょ?」
 と、手渡したのは、ちまたではかなり有名なホームページ作成ソフトだった。
「俺だって良く分からないよ」
 なぜ姉ちゃんが買ってきたのかというと、姉ちゃんの友達に、たまたま自分のホームページを持っている人がいて、姉ちゃん経由で俺が頼んだ為だ。
「しっかし、あんたにホームページを造れるのかな〜」
「マニュアル通りにやればなんとかなるでしょ。別に姉ちゃんが心配する事じゃないって」
「別に心配なんてしてないけどさ、お金の無駄かいって事だけは止めてよね」
「へいへい」
 俺がそう返事を返すと、姉ちゃんはそのまま風呂場へ向かった。
「よ〜し、やったるぞ!」
 そう気合を入れると、さっそくソフトをインストールした。


 パソコンと睨めっこをして既に七時間が経過。
 すでに時計は十一時を回っていた。
 で、ホームページの方はどうかというと、ハッキリ言って悪戦苦闘中だった。
「う〜あ〜。さっぱりだ〜」
 とりあえずそれっぽいのは出来てきたのだか、見栄えが悪いというか殺風景というか。
 思っていたより簡単なのは確かなのだが、それでもシロートにはわからない単語が多すぎる。
 所々その単語の説明が載っていたりするが、パソコンを使いなれていないのが痛い。
「ま〜だやってたの」
 何しに来たのか、上はTシャツ、下は下着だけという、決して他人には見せたくないような恥ずかしい格好の姉ちゃんがやって来た。
「あら。結構らしくなって来てるじゃない」
 と、意外そうな発言をする。
「でもやっぱ見栄えが悪いね。他のに比べると」
「姉ちゃんもそう思う?」
「うん」
 何のためらいも無く頷く。
 俺はハァと大きくため息をついた。
 ――でも、ここで止めるわけにはいかない……
 俺は両手で、両頬を叩いた。
 喝を入れると、再びパソコンとの睨めっこを開始した。
「何の為にそこまで一生懸命になるのかね〜」
 姉ちゃんはそう呟くと、台所で水を飲んで、部屋へと帰っていった。


 ふと目が覚める。
 いつの間に眠ってしまったのだろう。記憶が全く無い。天井を見る限りだと、恐らくは居間。床に大の字になっていた。
 むくっと体を起こすと、目の前には一台のノートパソコンがあった。
 ――そっか。昨日ホームページ作ってて……
 見事に電源はつけっぱなし。スクリーンセーバー状態になっていた。
 マウスを動かし、画面を元に戻すと、とりあえず出来あがったホームページが目の前に広がった。
 ブラウザプレビューをクリックして、試しに動かしてみる。
「……おおおおお……」
 思わず声が漏れる。
 自分の造ったホームページだ。初めて造った。
 そう思うと感激してしまう。
 後はこれを加奈ちゃんに見せて、細かい注文を受けたらその通りにちょっと変えて、そして小説の掲載、ホームページの公開。
 とりあえず順調だった。
「もう少しだな」
 そう呟いた時、ふと時計を見る。
 直後、俺は固まった。
「……十時半!?」
 大遅刻も良い所だった。
 なんで姉ちゃん起こしてくれないんだ。そんな事を考えながら回りを見渡すと、テーブルに一枚の紙切れがあった。
『ちょっと早めに家を出ます。明日まで帰らないのでヨロシク』
 珍しく置手紙が置いてあった。
 どうやら寝ている間にどっかに行ってしまったらしい。
 俺はパソコンの電源を切り、急いで身支度をした。そしてそのノートパソコンを、慎重にカバンに詰めると、急いで家を出た。


 学校についたとたん、俺は先生にこっ酷く叱られた。受験生としての自覚が足りないだの何だのと、三十分ほどグダグダ説教されてしまった。
 なんとかその呪縛から逃れ、残りの数時間を教室で過ごす。
 帰りのホームルームが終わった。
 俺は待ってましたと言わんばかりに立ち上がり、急いで保健室へ向かった。


「すご〜い。ちゃんと出来てますね」
 出来たてのホームページを見た、加奈ちゃんの第一声だ。
「なんか、ここをこうしたいって注文はある?」
「いえ。これで十分です」
 俺的にはまだどこか物足りない気がするのだが、加奈ちゃんがこれで良いといっているのだから、このままにしておこう。
 あくまでこれは加奈ちゃんのホームページ。加奈ちゃんの意見が最優先だ。
 八重樫先生が、俺達のやり取りを見て近づいてきた。
「あら、すごいね〜。石井君、ホームページなんて造れるんだ」
「作成ソフトを使ったから造れたんですよ」
「ふ〜ん。で? 何をメインに公開するの?」
 先生の顔は、何故かニヤニヤしていた。
「二人ののろけ日記とか?」
「ちがいますッ!!」
 恥ずかしくなって大声で全否定した。
 ふと加奈ちゃんの方を見ると、俺同様恥ずかしかったのか顔を赤くしている。
「先生〜。酷いですよ〜。このホームページは、私の書いた小説を掲載する為のホームページです」
「あ〜。なるほどね〜。石井君もなかなか良い事考えるじゃない」
 素直に誉められ、俺は少し嬉しかった。
「……青春か〜。いいわね〜」
 とぶつぶつ言いながら、保健室を出ていく先生。
 その背中を見送りながら、俺と加奈ちゃんは微笑していた。
「とりあえず、無料レンタルの掲示板を借りて、それを感想用の掲示板にしたから。ホームページの公開は、その作成ソフトの方でほとんど自動でやってくれるらしいし、なんか無料のホームページ公開スペースも用意されてるんだって。だから後は、加奈ちゃんの小説をパソコンの方に書き移せば、ほとんど完成したも同然」
「そうなんですか」
 加奈ちゃんもなんだか嬉しそうだ。やっぱり、ホームページを造ってみて正解だった。
 加奈ちゃんはカバンから、大学ノートを取り出した。古いほうのノートだ。
「移し終わるまで借りてていいかな」
 カバンにノートを詰めながら俺は言った。
「もちろんですよ。あとこれ。続きです」


 小説を読み終えた時、すでに時刻は五時だった。
「……そろそろ行こうか」
 帰宅部の下校時刻は五時十五分。そろそろ帰らないと、また先生にガミガミ言われてしまう。
「そうですね」
 加奈ちゃんが車椅子に乗ろうとしている最中に、俺はパソコンの電源を切ってカバンにしまった。
 保健室を出て、玄関へ向かって歩くが、その間二人とも無口だった。
 とくに話したい事も無く、それならそれで当然の光景なのだが、なぜか気まずかった。
 なにかに緊張しているのだろうか。しかし心当たりが無い。一体どうしたんだろう。少しもどかしかった。
 結局校門を出るまで、その沈黙は続いた。
 なにか話さないと。逆にそうしないと、こっちの身が持たない。
「ねぇ、センパイ?」
「え? あ、なに?」
 突然話しかけられ、少し驚いた。
「……大丈夫ですか? なんか驚いてましたけど」
「あ、なんでも無いよ」
 そんな俺の態度に首を傾げる彼女。
「でも今日はありがとうございました」
「良いよ。気にしないで」
 そう微笑む。
「いつも俺、加奈ちゃんの小説を読んでばかりだからさ、その恩返しって言うか何て言うか……」
 少し照れながらそう続けた。
 ふと彼女の目線が、俺の胸元に向かっている事に気がついた。
 俺も自分で彼女の目線を追ってみる。
「なに?」
 自分でも何がなにやらわからなかった。加奈ちゃんは心なしか焦ったように言う。
「ネクタイ……曲がってます」
「ああ。このぐらいいいじゃん」
「ダメです。きっちりしないと」
 変な所で頑固者だなとその意外性を心の中で笑いつつ、自分で直そうと手を伸ばしたときだ。彼女が、自分がやってあげると言い出した。
 またも彼女は頑固に自分がやると言って聞かなかった。しょうがないから膝を折り身を屈めた。
 加奈ちゃんにちゃんとしたネクタイの締め方が出切るのかなと思っていたけど、思っていた以上に手際がよく驚いた。
 その最中、彼女と目があった。すこし顔が赤くなっていた。
 そして硬直。彼女のその様をみていると、俺まで固まりそうになる。
 彼女は目を横にそらした。そしてふと、「あ」と声を発した。
 俺は気になって彼女の視線を追った。
 その刹那だった。彼女の顔が一気に近づき、唇が唇に触れた。
 何が起こったかを全て把握するまでに事は全て終っていた。彼女は照れ笑いを浮かべ言った。
「ホームページを造ってくれただけじゃ、恩返しにはなりません……ファーストキスぐらい奪わせてくないと……」
「……なんだよ、それ」
 そう一言言うと、再び唇を重ねた。
 この時俺は、もう一度実感した。
 俺達は、付き合っているのだと。

続く

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