初めて来た人へ

―第七話―

 加奈ちゃんが退院したのは、あの告白の日から二日後だった。
「センパイ! おはようございます!」
 朝、校門で元気良く挨拶をする彼女を見ると、こっちとしても嬉しくなる。
「おう。おはよ」
 告白したされたに関係なく、俺達は今まで通りの振る舞いで、一日を過ごす。
 彼氏彼女といった特別な意識はない。もちろん、他人に説明する関係はそれでいいのだが、意識してもしなくても、お互いがお互いを好きなことに変わりはない。
 これでいいのだと思う。けど素人だから、ほんとにいいのかは分からない。
 素人なりに考えて出た答えだ。自信を持っているなんて言えばウソになる。けど、だからこそこれでいいと思う。
「はい」
 加奈ちゃんを保健室の前まで送った。
 部屋に入るとき、加奈ちゃんのカバンから、一冊の大学ノートが出てくる。
「書いたの?」
「だって続き……」
 きっと入院している時に書いたのだろう。
「病院にいるとすごく暇なんです。だから、ずっとノートと睨めっこですよ。えへへ」
 彼女の言うとおり、確かに暇だったようだ。
 もう既に、新しいノートの半分以上をうめている。
「うは〜。これすぐには読み終わんねぇよ」
 そう、愚痴をこぼす。
「ごめんなさい。なんか張り切っちゃって」
 そう照れ笑いを浮かべる彼女を見ていると、愚痴をこぼしてしまった自分が気恥ずかしかった。
「よし。授業中だってよんでやる。で、絶対今日中に加奈ちゃんに返す」
 なんて言ってみたりもする。おそらく九十パーセント無理だろう。
「あはは。期待しないで待ってます」
 そう言われると、余計がんばりたくなるのが世の常である。余計に張り切りたくなった。
 軽く手を振り別れると、俺は教室へと急いだ。


 チャイムが学校中に鳴り響く。学生にとって、ある意味での『幸福の時間』が始まる。
 急いでパンを買いにいく者。カバンから弁当を取り出し、友達のもとへと向かう者。
 そんな慌しい時間の中、俺は一人席についたまま、その大学ノートに目を通していた。
 腹がすくのも忘れるほど、俺は物語にのめり込んでしまっていた。
「何読んでんだ? おまえ」
「うおっ!」
 突然背後から話し掛けられ、驚きながら振り向く。そこには、新の姿があった。
「ノートなんか読んでどうした? 勉強か?」
「ま、まぁそんなとこだ。はは、あははははは」
 苦しくも白を切った。
「……お前大学受験するのか? 前、金がどうのって理由で受けないとか言ってなかったっけ?」
「しねぇよ。今度のテスト勉だ」
「ふうん」
 あまり納得のいかないと言うような返事をする新。
「……そんなに真面目だったか? お前」
 不真面目で悪ぅござんしたね、と言ってやりたかった。
「まぁいいや。飯にしようぜ」
「ああ。もうパン買ってきたのか?」
「いや。岳志と一緒に行こうと思って」
「そうなのか? じゃぁ早く行こう。売りきれる」
 ノートを机に押し込むようにしてしまうと、新と一緒に売店へと向かった。


 いつもの日陰は、相変わらず誰もいなかった。
 まだ皆、ここの素晴らしさに気づいていないようだ。
「暑くなってきたよな〜。最近」
「ああ。こんな時は、プールにでも行きて〜よ」
「あのな〜、新。受験生の夏は、いつの時代も基本的に受験勉強で無くなるんだよ」
「んなの分かってるよ。夢の無い事を言うな。気が滅入るだろ」
 新の言う事も一理ある。
 だが、大学受験は高校受験とはくらべ物にならない。高校の倍率は二倍三倍とかせいぜいそのぐらいだが、大学は違う。
 平均的に見て七倍だの八倍だの。大学によっては、倍率が何十倍にも跳ね上がる。
 高校受験と同じような気持ちで挑めば、間違い無く破局する。
「あ〜あ。学力で人を比べるなんて、間違ってると思わねぇ?」
 新は大きなため息をついた。
「人間はやっぱ、個性で選ぶべきだよ。人それぞれの個性でよ」
 人それぞれというなら、頭の良い悪いも立派な個性だと思うのは気のせいだろうか。と言うより、当の新に個性と呼べる何かがあっただろうか。
「な、なんだよ、その目は。変な事言ったか? 俺」
「別に」
 個性――その人(物)に特有の性質。俺には何かあったかな。
 そういえば、加奈ちゃんには創造力がある。俺には特にないのかもしれない。
「個性か……」
 ボソッと呟く。
 夏を感じさせる風が、俺達の間をすり抜けた。
 それを機に、暫く沈黙が続く。
「……そういや、お前芳井さんと仲良いのか?」
「……は?」
 突然加奈ちゃんの名前が出てきて、一瞬戸惑った。
「だから、芳井だって、芳井さん。車椅子に乗ってる」
「お前、知ってんの? あの子の事」
 意外な事実だった。
「ほら、俺よく部活で怪我してただろ? そん時、時々保健室で会うんだ。で、どうなんだ?」
「どうって別に……」
 ここでほんとの事をぶっちゃけても、別に問題は無いと思う。
 でも、必ず言わなきゃならん事でもあるまい。
 そう思うと、言う気が失せてしまった。
 さっき同様、しらを切ろう。
「まぁ、知り合い程度だよ。図書室に居るのを見かけて、少し話しただけ」
「そっか……」
 何か気になる素っ気無い返事。
 それを最後にまた長い沈黙。
 昼休み終了のチャイムを合図に、この場は解散となった。


「ごめん。今日もかして。ノート」
 放課後の保健室で俺は言った。
「やっぱり無理だったんですね」
「ああ。授業中も読んだんだけどな〜。読みきれなかった」
「て言うか、受験生が授業サボっていいんですか?」
 微笑しながら加奈ちゃんは言った。
 まぁ、言ってる事はもっともなんだけど。
 少しの間保健室で話をした後、部屋を出て下駄箱へと向かった。
「あ、先生さようなら〜」
 途中ですれ違った八重樫先生に、加奈ちゃんが挨拶をする。すると先生が、何故かクスッと笑い、
「はい。また明日ね」
 と言った。
 いように気になるあの微笑。その訳を、加奈ちゃんは知っていそうだった。俺は加奈ちゃんに問いただそうとした。
「加奈ちゃんさ」
「はい?」
「もしかして話した? 八重樫先生に」
「え? な、何をですか?」
 加奈ちゃんはいつも、図星の時は似たような態度をとる。
 やはり、と言うより、加奈ちゃんと俺以外、付き合ってる事を知らないわけだし、俺は誰にも言ってないから、犯人は加奈ちゃんしかいない。
「……ごめんなさい。嬉しかったから、先生に話しちゃいました」
 照れ笑いを浮かべて、加奈ちゃんは言った。
「……やっぱり……迷惑でしたか?」
 申し訳無さそうにこっちを見る。
「別にいいよ。どうせいつかはバレるし」
「ですよね」
 と、彼女は反省の色を全く見せずに言った。


 ふと、昼間の新との会話が思い出された。
 個性。そう、個性の話だ。
 確かに個性で人を選ぶのも大事といえば大事だけど、それをどう人にアピールするかが、そして、どうその個性を今以上にのばすのかが、多分一番重要な問題なんじゃないかな。
 加奈ちゃんの場合、『大学ノートに書かれた小説』って形でアピールできてる。
 けど、実際は俺一人にしか、ノートを見せていない。
 俺一人だけの感想だけだと、絶対加奈ちゃんはこれ以上上手にはならない。
 もっといろんな人の意見が必要だ。
 是だけでなく非もちゃんと見てくれる、第三者の意見。
 でも、それ自体を加奈ちゃんが拒んでしまっていては、全てが水の泡だ。
 その小説を書いた人が加奈ちゃんである事を知られる事が無く、それでいて大勢の人からの、その小説にたいする感想を知る事ができる。
 そんな事、果たして可能なのだろうか。
「どうしたんですか?」
 玄関を出た時、彼女が言った。
「ん? 何でも無い」
 あまり彼女を不安がらせるのはよそう。『病は気から』って言葉もある。
「行こうか」
 そう言うと、俺は車椅子を押して歩いた。


「……まただ」
 と、声が漏れる。
 鍵を開けたつもりが、また閉めてしまった。
 つまり、姉ちゃんが帰ってきたって事だ。
「ただいま」
 鍵を開け、家に入ると、やっぱり姉ちゃんの靴があった。
「おかえり〜」
 気の無い返事。もう呆れる他無かった。
 居間に行くと、見てるんだかどうなんだか分からないがテレビがついていた。
 その近くの丸テーブルに向かって、姉ちゃんは何かをいじってる。
「なにやってんの?」
 俺は後ろから覗きこんだ。
「なにそれ。ノートパソコン?」
「ああ、これね。彼氏が新しいの買ったから、古いの貰ったの」
 貰ったなんて、なんて気前のいい彼氏なんだ。その前に、姉ちゃんがパソコンなんて使えるのだろうか。
 思いっきり猫に小判だと思う。いや。豚に真珠だ。猫は上品なイメージがあるが姉ちゃんには全く無い。
 どうやらネットをやっているようだった。
 もっとも、どんなページを見ているのかは分からないけど。
「そうだ。岳志もやる? ネット」
「え? いいの?」
 姉ちゃんの意外な言葉に、オレは一瞬驚いた。
「お姉ちゃんまた出かけなきゃならないからさ……その間使っててもいいよ」
「そんじゃ使おうかな……ってまた出かけんの?」
「すぐ帰ってくるよ。多分九時ぐらいには。そんなにお姉ちゃんと一緒に居たい? そんなに私が恋しい?」
 オレの顔がカァと赤くなったのが分かった。
「んなわけあるかァ!」
 足下のクッションを姉ちゃんに投げつける。
「相変わらずうぶだね〜」
「余計なお世話だ」
「ま、彼女の一人でも出来れば、世間ずれしてくるって。心配しない」
 果たして世間ずれする事がいい事なのかは分からない。が、加奈ちゃんと付き合ってて世間ずれするかどうかも分からない。
「それじゃ行ってくるよ。あ、夕飯はいらないよ」
「あいよ。行ってらっしゃい」
「はいは〜い」
 そう浮かれながら家を出る姉ちゃん。
 部屋にカバンなどを置いて居間に戻ると、大学ノートを取り出しで読み始めた。


 気がつくと八時過ぎ。完全に読み込んでいた。
 おかげで、今日中に何とか読み終えることが出来た。
 暫くボーとした。あまり食欲も無いし、せっかくだからネットでもやろうかなと思い居間へ行く。
 学校でパソコンの授業を何度かやった事があるから、一通りの作業は出来るつもりだった。
 習った通りにカーソルを動かしてネットを開く。
 けど、いざ開いたはいいが、どんなページを見ようか迷った。
 適当に操作していると、ある項目に目が止まった。
 検索サイトのカテゴリーの中に、個人ホームページという物があった。
 ――造れる人には造れるんだな〜、ホームページって。
 ちょっと覗いてみよう。
 開いてみると色々なホームページがあった。
 ゲームの攻略からオリジナルのレシピ、写真の展示等など。
 自分の趣味や伝えたい事を、ホームページと言う形で表せる人は、いろんな意味で得をしてると思う。
 ――あ、このホームページ……。
 『自分の好きな本の紹介』と言う内容に興味を引かれたオレは、ちょっと覗いている。
 だが、期待はずれもいいとこだった。どれも一度は読んだ事のある本だった。
 ――しかもこの文の比喩の解釈間違ってるし。
 こういう、分かったフリをして『オススメ』なんて言葉を並べている文を見ると、無性に腹が立ってくる。
 さっさと閉じようと思った。と、その時。
 ――自作……小説?
 書いて字の如く、自分の作った小説を掲載しているのだろう。再び興味のわいた俺は、そこをクリックする。
 ――……そうか、この手があったか……。
 小説を書いた人が、加奈ちゃんである事を知られる事が無く、それでいて大勢の人からの、その小説にたいする感想を知る方法。
 その答えが、そこにあった。

 続く

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