リヴァルはどんどん間合いを詰める。剣は下段に構えた。
「おっさん! さっさと武器出さねぇと――」
そして、下から切り上げるように剣を振る。
「――死ぬぜ!」
だが、男はその剣を手の甲で受け止めた。
キンと言う金属音が鳴り響く。
「おっさんじゃねぇ。ガルラっつー名前がある」
剣を振り払い、続けた。
「それともう一つ。たかがガキごときに武器なんて必要ねぇ。素手で十分だ!」
地面の砂を蹴り上げ、リヴァルにぶつける。
リヴァルは咄嗟に目を瞑り腕で払いのけるが、少し目に入ってしまったようだ。
「簡易的な目潰しか……卑怯な」
ルキアスは、ガルラに吐き捨てるように言った。
「勝負に卑怯もクソもねぇんだよ!」
目を開けられずオロオロするリヴァルを、ガルラは蹴り飛ばした。
「ハッハー! あっけねぇなぁ! たかが古典的な目潰しでその様か! さっきまでの勢いはどこ行った!?」
するとリヴァルは立ち上がり、言った。
「……ざけんな。まだここだよ」
親指を立てて、自分の胸を指した。
『闘志の炎はまだ消えていない』という、リヴァルなりの意思表現のようだ。
表情からも解るが、まだ余裕のようだ。
ガルラからすれば、さぞ生意気に見えただろう。
「武器持ってねぇから油断しちまったんだけど、さっきの金属音、何か手袋ん中に入ってんな?」
「……ったく。ボディーガードっつーのは伊達じゃねえってことか。なら俺も手加減するわけにゃぁ、いかねぇな」
そう言った刹那、ガルラは走り出す。
間合いをどんどん詰める一方で、リヴァルは剣を地面に突き刺した。
「リヴァル! 何してるんだ!」
不安そうにルキアスは叫んだ。だが「心配いらねぇ」とリヴァルは言い切る。
ガルラは蹴りを放つ。
するとリヴァルは、剣の柄頭に両手を置き、逆立ちするように交わす。
そして、前へ倒れる力を利用し、かかとでガルラを蹴り飛ばした。
うめき声をあげ、砂浜に倒れる。
「それで本気かよ」
そう言って振り向きながら続けた。
「てんでダメ――」
「リヴァル! 後ろだ!」
ルキアスは咄嗟に叫ぶ。
倒れていたらしい場所には、少しだけ砂が盛り上がっていた。
だが、そこにはガルラの姿は無かった。
「言い忘れたが、俺はキメラなんだよ」
後方から聞こえたガルラの声。
ガルラの拳が、わき腹を直撃した。
リヴァルはザザザァと砂浜に倒れる。
すぐに起き上がろうとするが、その前に、ガルラがのしかかる。
手からは、金属音の原因と見られる鉤爪が出ていて、それをリヴァルの首に突きつけた。
「キメラ……だと?」
ルキアスは、信じられないと言わんばかりの表情を浮かべた。
「頭のいいルキアスなら、この状況で俺が何を言いたいか、すぐ解るよな」
ガルラはニヤリと笑いながら言う。
「僕が大人しくついて来れば、リヴァルの命は助けてやる……か?」
「そうだ。矛盾してるが、元々はその気でいたしな。無駄な殺しはさせないでくれよぉ」
ルキアスは、チラッとリヴァルを見た。
そして決心した。
「そうだ。それでいい」
ルキアスは、静かに歩き出した。
そう。これは全て、自分が巻き起こしたこと。
本来、リヴァルは無関係だ。
こうしている間にも、ブロルに置いてきた自分と同じ拉致被害者が、どんな目にあっているかは解らない。
自分ひとりが我慢すれば、全てが丸く収まる。
自分が……死ねば。
「……テメェ……本当にそれでいいのかよ!」
リヴァルは叫んだ。
「テメェはやりたい事があって逃げ出したんだろ!? 悪ぃのは全部向こうなんだろ!? なのになんで、向こうの言いなりになんだ!?」
「テメェは黙ってろ」
ガルラは、リヴァルの頭を地面に叩きつけた。
「こんな俺に同情してんのか!? そんなら余計なお世話だ! 俺なんかどうなってもいい! つーか自分のやりてぇ事優先したらどうだ!」
「だが、それで拉致されたままの被害者はどうする。もしかしたら僕のせいで殺され――」
「ならこいつに伝えろ! 『僕は必ず戻ってくる! この本をもって! みんなを助けに! お前等を殺しに! 必ず帰ってくる!』って! 『もし来なければ、皆を殺しても構わない!』って! 『それまで殺すな!』って! それでいいじゃねぇか!」
その言葉が、ほんの少しだが、ルキアスの心を動かした。
「いらねぇ事吹き込んでんじゃねぇよ。それともここで死にたいか?」
ガルラは言った。
そして、立ち止まっているルキアスに目を向ける。
「……どうした。早く来い」
だが、動こうとしない。
「オイ……テメェまさか、こいつの言ってっ事間に受けてんのか?」
「……もし……そうだと言ったら?」
するとガルラは、目つきを変え、鉤爪でリヴァルの首に小さな切り傷をつけた。
そこからは少量の血が流れ、さらに鉤爪を深く刺そうとした。
「何をためらっている?」
突然ルキアスは言った。
「それで彼に対しての同情を誘おうとしてるのか?」
「何?」
「それなら無駄だ。さっき彼も言ったじゃないか。同情なんて余計なお世話だと」
「テメ――」
リヴァルの喉を突き刺そうとした瞬間、ルキアスは素早く詠唱し、簡単な魔術を発動した。
ガルラの胸元で小さな爆発が起こった。彼の体は、後方に吹き飛ばした。
その隙に立ち上がったリヴァルは、ルキアスの方へ移動する。
「ルキアス……お前……」
「お前が言った事をしようとしたまでだ。そう、驚くことも無い」
「いいのかよ。それで」
「一度すると決めた事は、すべてし終えないと気がすまない人間でね」
そう言って微笑する。
その刹那ガルラは起き上がった。
「クソ……素直に言うこと聞いてりゃいいのもを」
致命的なダメージではないらしい。軽く火傷をおった程度だった。
「無駄な殺しはしたくなかったが、こうなりゃしかたねぇか」
そう言って走り出した。
ガルラの鉤爪とリヴァルの剣が、音を立てて接触した。
攻撃を止め、払っては反撃し、二人は幾度となくそれを繰り返す。
ほんの軽い切り傷をおったとしても、今だ二人とも、大きな怪我は無い。
二人が気合を入れたせいか、声を出してぶつかり合う。
その後、二人は再び間合いを取る。
偶然にも、ガルラの立つ位置が、リヴァルとルキアスの間になった。
突然ガルラはニッと笑い、振り返って、ルキアスに狙いを定める。
「しまった――」
リヴァルは叫ぶ。
「俺の目的はあくまでルキアスただ一人! その首、貰ったぁ!」
「――なんてね」
リヴァルは、微笑しながら言った。
次の瞬間、ガルラの踏み込んだ地面が、大きく爆発した。
それは、まるで地雷のように、砂浜の中から爆発した。
砂が上空に舞い、同時にガルラの体も舞う。
衝撃のせいもあり、完全に体の自由を失った。
「僕を誰だと思っている? カルーナ大学一の秀才だぞ。甘く見ないでもらおうか」
これも、ルキアスの発動した源霊魔術の一つ。
カルーナ大学一の秀才にして、カルーナ大学一の源霊魔術師の名は伊達じゃない。
「そーゆーこった。大人しくやられちまいな」
リヴァルは走り、その強じんな足で空高く飛んだ。
とんでもないような跳躍力だった。空中でのガルラの間合いを、見る見るうちに縮めていく。
「クソォォ!」
叫びも虚しく、ガルラの体は、腹部を中心に斜めに切断された。
だが次の瞬間、再び風がふいた。
ガルラが出てくる寸前のものに、良く似ていた。
そして、あの時何も無かったかのように思えた物は、上空から見ると、それが何なのかはよく解った。
それは、やはり渦をまいていた。
その中心は黒く、それ自体が歪んで見えた。
ガルラの体は、吹き出た血ごと、その渦の中心に、吸い込まれるように消える。
「……俺らは……勝ったのか?」
無事着地したリヴァルは、ルキアスに確認した。
「解らない。だがこれは、勝ち負けとかそんな安易なものでは説明できないと思う」
そう答えた。
リヴァルは、ふと剣に目を向ける。
そこには、ガルラの血がべっとりとついていた。
すかさず彼は、海水で軽く洗う。
「そんな事すると錆びるぞ」
ルキアスは慌てて言った。
「大丈夫だ。かれこれ十年近くこれやってっけど、錆びた事無いんだぜ。この剣」
そう言いながら、素振りをして水気を取った。
「さて、さっさと帰って身支度しなくちゃ。明日、早いかんな?」
そう言うと、すぐに歩き出した。
そして、ルキアスも、すぐにその後を追った。
冷たく、暗い、石造りの廊下をネイドは歩いていた。
研究室に行くための廊下は通る人間が少なく、またすれ違う事もそう多くはない。
仮死状態でガルラが帰還してから、二日が過ぎた。
その直後のギース皇帝は、それはもう押さえようが無かった。
今すぐ拉致被害者を殺せ、レネス島やカルーナに奇襲を仕掛けろ、と収拾がつかなかった。
しかし、ネイドにとって、ギースをおさえるのにはそんなに時間は要らなかった。
「今ここで拉致被害者を殺せば、キメラプロジェクトに支障が生じます。我々がカルーナ大学生徒を拉致した理由は、優秀な頭脳がほしいからでは? とにかく今は、プロジェクトを完成させることに集中しましょう」
その言葉で、まるで操られるように、ギースは大人しくなった。
言葉の魔術……とでも言おうか。ネイドには、他の人間には無い何かがあった。
彼は、ある日突然、ギースの側近になった。
その巧みな戦術理論。分野を問わず、優れた頭脳。
それは、二大国戦争の終戦四周年目という、一向に国力が回復しないこの国にとって、救世主とも呼べる存在だった。
彼の指導で戦後復活した『異種遺伝子融合戦闘生命体の兵器的活用実験』、通称『キメラプロジェクト』は、彼のおかげで順調に進み、戦時中に行われていた『人間外生命体遺伝子融合戦闘生物の実戦投入研究』を基盤にみるみるスピードでそのレベルを上げていった。
ネイドは、研究室の扉を開け、中にはいる。
壁側には、培養液の入ったカプセルがいくつもあった。
大きさは三メートル強ほど。そのなかには、キメラらしい生物が浮いていた。
周りにはレポートを手に持ち指示を出す人間や、その指示通りコンピューターを操作している人間がいる。
そして、コンピューターを操作している人間は、みなカルーナ大の制服を着ていた。
その部屋の奥に扉があり、そこを開け中に入ると、ひときわ大きなカプセルがあった。
その中に、ガルラがいた。
傷はあらかた塞がっているようだ。
その傷口だった所には、小さな気泡が無数に付着している。
「ネイドさん。ガルラの海馬内に蓄積されている視覚記録と、空気振動記録を併合させ、レネス島での一件の映像の再生に成功しました」
「それを収めたテープを、後で王の間に持ってきてください」
「解りました」
次にネイドは、カプセルの方を見た。
「……御苦労でした。なかなか、いい戦果でした」
それが聞こえているようだ。ガルラはニッと笑う。
そして、口を動かした。
実際は何を言ってるかは解らない。だが、ネイドには、大体のことは解った。
「戦い足りない? あいつは俺の獲物? 安心しなさい。いずれあなたにも機会が巡ってきます。それまでは、傷を癒すことに専念しなさい」
そう言い残し、部屋を後にする。
ガルラは、再びニッと笑った。
ガルラの奇襲があった日の翌日、二人は定期連絡船に乗り、大海原をルーミナルへ向かって移動していた。
海を割るように進む船は、リヴァルにとって始めての経験で、彼の好奇心を剥き出しにさせた。
だがその一方で、ルキアスは静かに考え事をしていた。
とくに、すでに向こうに空間圧縮で造った穴を人間が通る、という極めて高度な技術があるという事に驚いていた。
――空間圧縮……一つ間違えれば大惨事になりかねない移動方法。
「どうしたんだ? お前。酔ったか?」
リヴァルは突然、ルキアスの顔を覗き込んだ。
「基本的に僕は乗り物酔いはしない。少し気になっていた事があって、考えていただけだ」
「ふ〜ん」と言った後、思い出したように言った。
「そう言えばさ、ガルラが出てきた時の変な渦って何なんだ? お前、空間……何たらとか言ってたよな」
「ああ。あれか。説明すると少し長くなるぞ」
そう言うと、手帳を一枚ちぎり、ペンを持って説明し始めた。
「空間圧縮を説明する前に知っておかなくてはならないのが、各次元のあり方だ」
「次元?」
リヴァルは聞き返す。
ルキアスは、ああと言うと、紙に一本の線を書いた。
「まずこれが一次元だ。基本的に上下或いは左右のみに動ける、ある一本の線の事を言う」
続いて今度は、その線に他の線を付け足して四角形を書いた。
「これが二次元だ。縦と横がある世界で、上下左右全てに移動できる」
その後、それに再び線を足して、立体図形を書いた。
「そしてこれが三次元だ。二次元に高さが加わった空間を言う」
そして、今度はその図形に、「+時間」と書いた。
「その三次元に、時間が加わったもの。それが僕達が生きている次元、四次元だ」
リヴァルはルキアスの説明を、ふんふんと頷きながら聞いた。
「今まであげた次元には、全てに『距離』という概念が存在する。あらかじめ決められた『距離』よりも大きいものは、その空間に収める事はできない」
彼はそれが『次元』の定義だと言い、続けた。
「だが唯一、その定義を無視できる空間がある。それが異次元だ」
「異次元?」
「『距離』をまったく無視した空間を特にそう呼ぶ。『距離』が無いため、本当は千キロもある『距離』をほんの一メートルに縮めたりする事ができるんだが、それを利用した移動方法を、今カルーナ大学で研究している最中なんだ」
「それが空間圧縮なんだな?」
ルキアスは、コクッと頷く。
「まさか、すでに向こうにその技術があったなんて……」
「そんなに難しい事なのか?」
「まぁな。空間中に存在する大量の源霊を操り、空間を圧縮させないと空間に異次元の穴が空かない。その『大量の源霊を操る』と言う事は、とてつもなく大変な事なんだ。下手すれば、自分が死に至る事もある」
「死に至るって……」
「源霊が存在するのは空間だけじゃない。実際、物体と融合してこの世に存在する源霊もあるし、僕達の体の中にも存在する。だから、体内の源霊に影響を及ぼし、コリユー症という病にかかる可能性もある」
「どんな病気なんだ?」
「源霊量の不足で、人体細胞が腐敗死滅していき、いずれ死んでしまう病」
「それって、止められないのか?」
「無理だ」
「じゃぁ、なんであいつは……」
「解らない。その事を、ずっと考えていたんだ」
話はそこで一段落つき、ルキアスは、再び考え込んだ。
すでにレネス島は見えない。
聞けば、もう一日ほどで、ルーミナルに着くそうだ。
なにはともあれ、リヴァルにとっての、始めての外の世界は、新鮮その物だった。
続く
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