―第二十二話―

初めて来た人へ
 リヴァルはその隙をつかれた。
 とっさに我に返り避けようと体を動かしたが、ウィーグルの矛先はリヴァルの右の二の腕に浅い傷を作った。
「――くッ!」
 リヴァルは傷口を押さえつつ、間合いを取ろうとした。
 ウィーグルに対し反撃をしようという動きは何一つ見られなかった。
「どうした! さっきよりも動きが鈍ってんぞ!?」
 そんなリヴァルを追い詰めるように、ウィーグルは距離をつめ矛先をリヴァルに向ける。
「お前……ホントにウィーグルなのかよ!」
 彼の攻撃を避けながら、確認の意味も込めて叫ぶ。
 出切れば間違いであってほしい。聞き間違いであってほしい。
 ウィーグルは再び剣を振り下ろす。
 リヴァルは剣を寝かせそれを食い止めた。
「お前何言ってんだ? もう一度言うか? 俺はウィーグルだ」
「……ウソだ!!」
 リヴァルは彼の剣を振り払った。
「……そんなのあり得ない……ウソに決まってる……」
 リヴァルの手が、訳もなくカタカタと震えた。
 様子の異変に気がついたニーナは、とっさに彼に近寄った。
 その光景をウィーグルはじっと見ていた。隙がありすぎて逆に攻撃できないでいた。
 向こうは自分の事を知っているらしいが、自分にはまったく身に覚えがない事だった。
「てめぇ、名前は?」
 ウィーグルは唐突に聞いた。
 それを聞いたとたん、リヴァルはまた、信じられないといった表情になった。
「覚えてねぇのか? 俺だよ。リヴァルだ」
 彼が何かを必死に思い出させようとしている事は瞬時に分かった。
 だが、やはり自分には聞いた事の無い名前だった。
「悪ぃな。聞いた事がねぇ」
「……そんな……」
 リヴァルはさらに落胆した。
 いや。実際落胆と言う言葉で形容できるような物ではなかった。気力も何もかもが抜けて無くなったかのように動かなかった。
「まぁ、そんな訳だ。大人しく殺されろ」
 ウィーグルは何も戸惑う事なく剣を構えた。
 だがリヴァルは構えない。ニーナの必死の呼びかけに対しても何の反応も示さなかった。
 やがてウィーグルは足を一歩踏み出した。
 だが、瞬時にその足を止めた。
「そこまでだ」
 自分の後ろから男の声が聞こえた。
 だが気配で分かる。一人では無い。
 ウィーグルは構えをとき大人しく手を上げた。
「物分かりが早いな」
 後ろに居るルキアスが、微笑しながら言った。
「状況の良し悪しぐらい判断できるさ」
「そうか。命拾いしたな」
 ルキアスはゆっくり歩きながらリヴァルとニーナの前に移動した。
 ウィーグルの後ろでは、カルノスがガントレットを、シュリアが銃をそれぞれ構えていた。
「もう一歩踏み出していたら僕が貴様を殺していた」
 ウィーグルは肩で笑った。
「そいつぁ怖ぇ」
 ルキアスはカルノスとシュリアに構えをとくよう指示を出すと、ウィーグルに言った。
「リヴァルは貴様を知っている」
「なんかそうらしいな」
「貴様は知らないんだな?」
「何度も同じ事を言わすな」
「リヴァルから色々と聞きたい事がある」
 一瞬リヴァルの方に目をやった。頭を抑え、何かに脅えている様子だった。
「ここは一旦退いてはくれないか?」
「獅子が目の前の獲物をそう易々と見逃す、とでも?」
 瞬間、カルノスとシュリアが再び構えた。
「まるで三文劇団の役者のセリフだな」
 ルキアスは微笑した。そして「吐き気がする」と続けた。
 ウィーグルはしばらく考えた。
 この状況で戦いを挑んでは、勝てる自信はあっても自分もただでは済まされない。それに、戦うなら戦うで。徹底的に戦いたい。そして楽しみたい。そう思った。
「……ここから五キロほどの所に廃墟がある」
 ウィーグルは続けた。
「そこで待っててやる。いつでもいい、だが必ず来い」
 言い終えた瞬間、ウィーグルの足元に空間の穴が開いた。何の抵抗もなく、ウィーグルはその穴へ吸い込まれるように落ちていった。
 シュリアが瞬時にその穴の中へ銃口を向けたが、それ以上をルキアスが止めた。
 これ以上ここでの厄介事は避けるのがベター。そんな一言をシュリアにかけた後、姿勢を低くしリヴァルと向き合った。
「大丈夫か?」
「……ああ」
 だが当のリヴァルは頭を抱えていた。肩で息をしている。
「出切れば今すぐがいい。全て話せ」
「ルキアス……少し単刀直入すぎよ」
 ニーナは続けた。
「リヴァルだってまだ心の整理が出来ていないのよ。そんな事急に言われたって……」
「ニーナ」
 少し力強く、リヴァルは彼女の名前を読んだ。
 その強さに、ニーナは小さく肩をびくつかせた。
「いいんだ……俺は大丈夫……」
 西日はいつしか水平線によって切断されていた。
 その反対の空には、既にいくつかの星と月が淡く光っていた。
 昼と夜の境がはっきりしていた。


 既に夜は辺りを覆っていた。
 一同はリヴァルたちの部屋に集まった。だがリヴァルは、いっこうに話を始めなかった。
 まだ上手く整理が出来ていなかったようだ。
 どこから話せば良いのか。何から話せば良いのか。全ての話を一つにまとめるには、時間がなさ過ぎのようにも思えた。
 そして二十分ほどの時間が過ぎた時、その重い口を開いた。
「……ウィーグル=ジョンストンは……俺の親友だった」
 リヴァルは続ける。
「ちょっとした事情で知り合って、どっちかっつったら兄貴に近い存在だったのかもな。とにかくウィーグルは、俺に色々なことを教えてくれたんだ」
 上手な口笛の吹き方。上手な剣の使い方。
 彼との出会いは、今のリヴァルにとっての基礎でもあった。
 全ては四年と半年前。
 レネス島での出会いから始まった、悲しきノクターン。


 リヴァルにとって、祖父・シーホークは尊敬する人の一人だった。
 生まれた時から両親を知らない彼にとって、シーホークは唯一の身内にして育ての親。
 些細な知識から狩り、そして生きる術。それら全てを教えてくれた人間を、リヴァルは身内以上に慕っていた。
 そんなシーホークに育てられたリヴァルが一人前に猟に出たのは十二歳の時。それから一年が経った今、彼はその才能を開花し、村の中でシーホークに次ぐ優秀な猟師になっていた。
「ただいま〜」
 リヴァル達はふた手に分かれ密林で狩りをし、一定の時間が経つと海岸へ集合するというスタイルを日常としていた。
「おう。遅かったな、リヴァル」
 シーホークは今年で六十八になるが、歳不相応にたくましかった。
「今日はどれだけ狩れたんだ?」
「今日は負けねぇぞ」
 そう言って手に持っていた獲物を、シーホークの前に置いた。
「ウサギ二羽と猪一匹っ! 猪は一匹二ポイントだったもんな。これで四ポイント――」
「あまいッ!!」
 シーホークは叫んだ。
 その迫力のあまり、リヴァルは言葉を飲み込んでしまった。
「ベア三頭。ベアは一頭五ポイントだから計十五ポイント。俺の勝ちだ」
 そう誇らしげに笑った。
「また負けた〜」
「だが、なかなか上達したな」
 置かれたリヴァルの獲物を取り言った。
「獲物の数もそうだが、急所を狙って無駄な傷をつけずに捕らえている。『数よりも質』と言う事が暗黙の了解で伝わったんだろうな」
 シーホークは立ち上がると、リヴァルの獲物も担いだ。
「リヴァルの捕らえた獲物は綺麗だ。出荷に回そう。俺のベアは干し肉と今日の飯だ」
 シーホークは海岸を歩き、自宅の方へと向かった。リヴァルもその後を走って追った。
 歳不相応にたくましく、常に自分の何歩も上を行く彼は、リヴァルの憧れだった。


 その日の狩りでも、リヴァルは例によって仔ウサギを数匹で終わらせた。
「やっぱじいちゃんには敵わねぇよ……」
 溜め息をつきながら海岸へ歩を進めた。
 そうは言うが、実際彼の年齢でこれだけ狩りの上手い人間はごく稀だった。
 だが、自分の身の回りに同い年の猟師は居らず、さらに一番近くに居る猟師が祖父だからこそ、そんな溜め息が出るのだ。
 誇らしい事のはずが、目標の高さに自信が持てない。
 彼は再び溜め息をついた。
 やがて海岸へ続く道に出て、そのまま道なりに歩く。海岸へ出てしばらく歩き、祖父の姿を確認した。
 だが、祖父の様子がどこかおかしかった。
 外見からしてケガをしているとは思えない。が、しゃがんだまま動かず、何か一点に集中しているようでもあった。
 狩った獲物をさばいている訳でもない。寝ている訳でもない。
 ありとあらゆる可能性を頭にめぐらしている内に、彼との距離は縮まった。
「何してんの?」
 近づきながらそう問いかける。
 だがシーホークからの言葉が返ってくる前に、彼の体の陰から出ている人の足に気がついた。
 もっと近づき、その足から、きっとあるだろう体の方へと視線を動かした。
 年格好は十五、六歳といった所だろう。
 海水を吸った服が体に張り付いていて、その男の体格があらわになっていた。腰には短剣が提げられている。
 どうやらまだ息はあるらしい。服の乾き具合から見ても、まだ打ち上げられてそう時間は経っていない。
「近くで船が難破したって知らせあったっけ?」
「いや。無かったはずだ」
 シーホークは冷静に答えた。
「とりあえず家に運ぼう」
 シーホークはその男を担いだ。
「衰弱している可能性が十分にある。このままじゃ危ない」
「じゃぁ、俺先に帰ってベッドとか用意してくる」
 そう言うと、リヴァルは小走りに家へ向かった。
 シーホークは担いでいる男に変な振動を与えないよう、慎重に歩いた。
 やがて海岸を出たときだ。彼の首にさがっていた何かがシーホークの肩に触れた。
 シーホークは首を動かし、それを確認した。それはボロボロの金属板で、ドッグタグと呼ぶにはあまりに無様な物だった。
 そこには彼の名前らしき物の他に、何かのナンバー、そして国の名前が書かれていた。
 ――この男……。
 表記されている国の名前を見て、シーホークは一抹の不安を覚えたのだった。


 温かい感触に気がついた男は、その目をゆっくりと開いていった。
 体にだるさが残っているのが分かった。だがそれよりも先に、自分の顔を覗き込んでいる誰かに気がついた。
 よく見るとまだ少年だった。
 その少年はたちまち「じいちゃん!」と声を上げ、ドタドタとその場を離れた。
「目ぇ覚ましたッ!」
 どこか嬉しそうに報告する彼の声の後、部屋にもう一人の男が入ってきた。
 じいちゃんと呼ばれた男はベッドのそばの椅子に座ると、手の平を男の額に当てた。
「……まだ少し熱があるな」
 そういい、枕もとの棚に置いてあった救急箱の中を探った。
「解熱剤が無い」
「じゃぁ、俺がひとっ走り買ってくるよ」
「そうだな。頼む」
 少年は男から金を貰うと、さっそうと家を飛び出していった。
「……あの――」
「ここは俺とさっきの子供の家だ」
 男は続けた。
「俺はシーホーク。さっきのは俺の孫でリヴァルだ」
 恐らく男が聞きたかった事を、シーホークは瞬時に悟ったのだろう。シーホークの言葉の後、男は呆然としていた。
「そして君の名前は、ウィーグル=ジョンストン」
「なぜ……それを……」
 ウィーグルは唖然とした。
「悪いがこれを拝見させてもらったよ」
 ポケットから何かを取り出し、彼の寝ているベッドの上に投げ置いた。
 ウィーグルは半身を起こし、それを見た。そしてすぐに自分の胸板の辺りに手を当てた。
「ドッグタグは一般民が持つような物じゃない。お前は軍の関係者といった所だろう」
「……」
 ウィーグルは黙っていた。
 それは、見かたによってはシーホークの言葉を待っているようでもあった。
「ブロルの軍人が……なぜこの島に流れてきた」

 続く

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